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「#生活保護は権利 ハッシュタグデモ」の先に目指すべきもの

昨日12月25日、クリスマスのこの日、Twitter上では「仕事納め」といったワードが活気づく裏で、一つの「社会運動」が行われていた。

つくろい東京ファンドの稲葉剛氏が呼びかけた、「#生活保護は権利」というハッシュタグを18時から21時の間に投稿するという「デモ」である。

近年、こうしたハッシュタグを使って社会問題を顕在化させたり、問題提起する動きが盛んだ。

世界的な影響力を持った「#MeToo」運動が最も有名だと思うが、日本でも最近では「#検察庁法改正案に抗議します」という「ハッシュタグデモ」が注目を集めメディアでも取り上げられている。

コロナ禍で人が集まること自体が難しい昨今では、どこにいても手軽に参加できる「ハッシュタグデモ」は、社会運動の一形態になりつつあるように思う。

SNSデモは「ガス抜き装置」?

他方で、筆者はこうした「ハッシュタグデモ」の効果や社会的な意義について、過大評価をすべきでないと考えている。

それは、「ハッシュタグデモでは社会は変わらない」と単に冷笑的に見ているからではない。

仮に一時の盛り上がりで終わってしまったとしても、市民が声をあげたり意思表示するツールや機会があることは歓迎すべきだと考えている。

しかし、SNSによる「デモ」はその気軽さゆえに冷めやすく活動が長続きしないという傾向にあるように感じる。また、単に活動が継続しないだけではない。

古市憲寿は、著書『だから日本はズレている』で、2011年にSNSによって火が付いた花王商品の不買運動と70年の消費者団体による松下電器の不買運動を比較し後者のほうが長期間にわたって企業に大きな影響を与えたことを指摘している。そのうえで、SNSによる抗議活動を次のように評している。

ソーシャルメディアによる「共感」というのは、冷めやすいのだ。・・・さらに、人々に「何かした」感を気軽に与えてしまう。ツイッターで何かそれっぽいことを書いて、大勢の人にリツイートされれば「これで花王をこらしめてやったぜ」とでも思ってしまう。つまり、ソーシャルメディアがガス抜き装置になって、1970年代のような大規模な不買運動の可能性が抑制されているのだ。

この、「ガス抜き」という指摘は無視できない。

「ハッシュタグデモ」などのSNSを通じた意思表示や抗議活動は誰もが気軽に経済的・時間的・労的コストを支払うことなく参加できる。すると、活動に「参加した」という達成感もまたほぼ無償で得ることができるために、社会運動における大きなうねりへと発展されにくい。

本来市民の強い要求を先鋭的に顕在化させ、権力者に影響を与えることを目的とするのがデモだが、SNSによる「ハッシュタグデモ」にはそのエネルギーを分散化し弱めてしまうという逆機能も持ってしまうということである。

「#生活保護は権利 ハッシュタグデモ」に惹かれたワケ

そうした「逆機能」を認識しながらも、筆者が今回の「#生活保護は権利」ハッシュタグデモに参加したいと思ったのは、今回のデモの目的が単なる抗議活動ではないと感じたからだ。

呼びかけ人である稲葉剛氏の「概要」は以下の通りである。

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「#生活保護は権利」Twitterキャンペーンの概要
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◆キャンペーン時間:12月25日(金)18~21時の3時間
◆方法:#生活保護は権利 というハッシュタグの入ったツイートを一斉におこなう(1人何回でもOK)。
◆内容:生活に困窮しているが生活保護の申請をためらっている方を対象に、生活保護の利用を呼びかけるメッセージ(130字くらいまで)をハッシュタグと共に書いて、発信してください。
 制度や政策の要求をメインにするのではなく、生活困窮の当事者向けの言葉を中心にお願いします。特に思いつかなければ、#生活保護は権利 だけでもOKです。

筆者は、この「生活に困窮しているが生活保護の申請をためらっている方を対象に、生活保護の利用を呼びかけるメッセージ」という趣旨に強く賛同した。

今回のハッシュタグデモは、日本で生活保護を申請しようとする方が直面しうる「恥」の感覚や社会的なスティグマを、それを生みだしてきた市民自らがパラダイムシフトしようとする試みだと感じたからだ。

生活保護はお恵みなどではなく、権利である。胸をはって、堂々と利用すればよい。そういった背中をおすような言葉を、「あなたの権利を承認する人がたくさんいる」というメッセージを、スティグマに苦しむ方に届けたい。

今回のハッシュタグデモは、権力者への「気軽な要求」ではない。「制度や政策の要求をメインにするのではなく、生活困窮の当事者向けの言葉を」届けることを通じた、「参加者全員による権利の承認」という”支援活動”なのだ。そしてその”支援”の対象は、生活困窮の当事者はもちろんのこと、「誰もが生きやすい社会」をつくることを通じて私たち一人ひとりに向けられている。

さて、この「#生活保護は権利」ハッシュタグデモは、多くの活動家や市民によって拡散され、4万件を超えるツイートによって一時twitterのトレンドにあがった。

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今回のハッシュタグデモが、実際に誰の目にとまり、そこでどういったメッセージが受け取られたのかは分からない。

しかし、生活保護といえば(実際には極めて少数であるにも関わらず)不正受給などのネガティブな印象を付与されることが少なくない印象のあるネット空間で、これを「権利である」というメッセージを多くの人が発信したことの意味は決して少なくないだろう。

「達成感」のその先へ

他方、水を差すようで恐縮だが、やはり今回のハッシュタグデモが「トレンドにもなってよかったね」で終わってしまってはあまりに勿体ない。

貧困支援の現場が直面しているのは、いつも差し迫った当事者の”生”である。一時の「つぶやき」だけでは、大局は変わらない。

しかし、支援に直接関わっていない人にも、継続的にできることはある。

たとえば、厚生労働省の「広報」に参加することだ。
先日、厚労省は公式のHPにおいて、生活保護の利用を積極的に促す「異例」のよびかけを始めている。

従来、できるだけ申請を抑制しようと努めているとしか思えない運用を続けてきた福祉事務所に対しては多くの支援団体が抗議してきた。また、その批判の矛先は制度について積極的に広報をしない厚生労働省に対しても向けられてきた。

その意味では、今回の厚労省のよびかけはまさに「異例」であり、画期的なことである。
従来、民間団体が行なってきた「広報」に、厚労省が本腰をあげて「参戦」してきたと言える。

これはチャンスだ。国、民間団体による制度の広報に、市民が加われば三つ巴の広報戦略を張ることができる。

それぞれの立場から、「生活保護は権利である」というメッセージを引き続き発信し続けることができれば、「生活保護はお恵み」「恥である」といった認識や声に苦しむ人を、少しずつでも減らせるのではないだろうか。

「生活保護は権利」

このメッセージは、単なるハッシュタグで終わらせてはいけない。

70年以上にわたって制度として存在するこの理念が、本当の意味で私たちの社会に根付くまで、対話を止めるわけにはいかないのだ。


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永井悠大
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