銃後というものについて考える
台湾旅行記の途中ではありますが、9月8日と会期終了も迫っているのでこの話題を語っておきたい。
九段下の「昭和館」の企画展「慰問 銃後からのおくりもの」を見てきた。恥ずかしながら「昭和館」の存在は知っていたけれど、足を運んだのはこれが初めてだった。
きっかけをくれたXのフォロワーさんの行ってきたよ、のつぶやきに感謝している。
銃後の国民から前線の兵隊へ送られたという慰問袋の存在は知っていたが、誰が何をどのように送ったのかの詳細までは知らなかった。
写真やニュースフィルム、袋に同封された手紙、慰問袋に対する礼状などから、多くの女性(主婦や女学生)や子どもたちによって山のような慰問袋が用意され、次々と運ばれていったことが分かった。
慰問袋の送り先はランダムなこともあれば、○○部隊の××様、と名指しで送ることもできていたようで、戦地に家族からの慰問袋が届くこともあったそうだ。
中身は腐らないもの、日用品、キャラメル・ドロップ・タバコ・耳かき・絆創膏・虫よけ薬・ガーゼ・缶詰……その他手作りの人形やぬいぐるみ、子ども達の書いた書初め・絵画、千人針、女優たちの写真…はじめはパンパンに膨らんでいた袋が無事届いていたからこそ、慰問袋をきっかけに文通が出来たりもしていたようだが、戦況が悪化するにつれて届けるための燃料も不足し、送る側の物資も乏しくなりで、届かなくなっていく。
松の根っこから搾り取った油で飛行機を飛ばそうとするほど追い詰められていたのだからさもありなん。
展示では、慰問で戦地や軍需工場や病院を訪れた芸人や歌手の紹介もされていた。
一昨年、NHKドラマで放映された「アイドル」の主人公「明日待子」の名前の書かれた「新宿ムーランルージュ」のチラシも展示されていた。
このドラマもかなり胸に来るものがあったが、今回の展示で最も胸を痛めたのは婚約者からの慰問袋に対する礼状だった。
「今僕の腰には慰問袋に入っていたかわいい白い犬のマスコットがぶら下がっています。すっかり汚れてまっくろですが」
そう綴る青年は何歳だったのだろう。かわいらしいものを愛で、マスコットとして携帯する心優しい青年の手に銃を握らせ、人殺しをさせる悍ましい時代。青年は帰還できたのだろうか。それについては何の説明もない。
慰問袋に手作りの人形?それは喜ばれたの?と、一瞬でも疑問に思ったことを恥じた。かわいらしい手芸品は戦場で兵士たちのすさんだ心を慰める、心のよりどころだったのだ。それを知ることが出来ただけでも、見に行ってよかった。
昭和館の常設展示もとてもためになるものばかりだった。玉音放送のフルバージョンを聴けるスペースもあり、現代語訳文で確認しながら聴き入った。
昭和館の後に、8月16日より公開された「劇場版 アナウンサーたちの戦争」も見に行く予定を立てていた。
これも、去年NHKドラマとして放映されたものだが、放送時間に線状降水帯がーという気象警報が逆L字で画面にかかってしまい、再放送を待ったのだがいつまでも放送されないのでなんでー、と思っていたらなんと劇場版になっていた。
実話をもとにしたドラマということで、合間に実際の戦場の様子を記録したフィルムも挟みつつ、アナウンスという技術が国策により目的をゆがめられ使われ、それに疑問を持つ者、持たない者、煽られ踊らされていく民衆の様子が描かれていく。森田剛の芝居もよかったが橋本愛がなんとも美しかった。その他のキャストも演技巧者ばかりで、ぐいぐい引き込まれてしまった。
放送は武器、放送はだれかを守るものではなかったのか、関東大震災の時に正しい情報がなかったばかりに家族を失ったアナウンサーが国策の為に正しくない情報を流さなければならない。情報戦の最前線に送られる電波戦士たち。自分自身が誇りをもって身に着け、培ってきた技術と知識を、本来の目的とは異なることに使えと強制されるのはどれだけ辛いだろう。
このダブルヘッダーは重すぎた。重すぎたけど、目をそらしてはいけない歴史上の事実で、戦争を知らない世代の大人として、知っておかなければいけない事柄だった。
知らないことは国内にもたくさんある。
こんな夏もまたよし、と思った一日。
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