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斜めに差す光がない世界について20210804

9時30分起床。ディキンソンの詞「There's certain Slant of light, 」を訳す。少し気障な訳になってしまったかもしれない。詩の中のimperial(:帝国の)という単語からルネ・マグリットの絵画《光の帝国》を想起した。



上は雲と青空、下は街灯のともる道と明かりのついた家々。昼と夜。現実には同時に存在できないはずの二つの世界が、一枚の絵画の中におさめられている。そこから、ある種の違和感、ストレンジな印象を受ける。しかし、明らかに技法的に意図されたこの奇妙な印象とはまた別に、この絵を眺めていると、どこか落ち着いた印象も受ける。そこで、この落ち着いた絵のタイトルがなぜ《光の帝国》なのか、ということを考えてみた。光といえばやはり昼か、と絵の上部を見やる。そのうちに、いや、夜こそ人が光を求める時間だという気がして、絵の下部を見やる。いや、やっぱり昼かな……
そんなふうにして絵の中の昼と夜を交互に見やり、二つの世界を行ったり来たりしているうちに、非常にありきたりな結論にたどり着いた。昼、明るいうちに多くの人ははたらく。夜、活動する人は明かりをつける。昼と夜、いずれにせよ人は光の中で暮らしているのだ。すると、ついさっきまで「どちらが」光の帝国か、という問いを立てて考えていたことの方が、むしろ謎に思えてくる。昼も夜も含めた、人間の生活様式そのものが「光の帝国」ではないか、と。マグリットの絵は、そう、ひっそりと教えているような気がした。


ルネ・マグリット《光の帝国》1950年

《光の帝国》は複数バージョンが存在する。ここで紹介したのは、ニューヨーク近代美術館所蔵の作品。

「アメリカ」と「光」つながりでディキンソンから連想しました。



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