新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
新年の歌といえば、まっさきに思い浮かぶのがこの家持の歌だ。ただ今が正月だからというだけでなく、今の僕の心境とも重なる、とてもいい歌だと思う。
上の句で三重にも重ねられる「の」。その音の弾むようなリズムが心地よく、この先もどこまでも続いていきそうで、また、続いてほしいと、そう思わせてくれる。
去年見た、junaidaの「の」を思い出す。
「の」が生み出すリズムに乗って、想像の情景や物語がつぎつぎと広がっていく、とてもステキな絵本だった。
千年以上も前にこの「の」の魅力に気付いていた家持は、現実と暦の吉兆を、ことばの上で結びつけ、歌の中で重ね合わせた。
いやしけ吉事
その願いを、この歌いかたによって、表現したのである。
なんて素晴らしいんだろう。
ぼくがこの歌を素晴らしいと思う理由はまだまだたくさんある。けれど、今回改めてこの歌と向き合うなかでふと思ったのは、よいこととは、それ自体が単独であるのではなく、何かと何かの、重なり合いのなかに見出されるのかもしれない、ということだ。
気落ちしているときに、元気な人の声をきいて、よかったと思う。
苦労してつくった料理を人が食べてくれて、よかったと思う。
会いたい人が連絡をくれて、よかったと思う。
友人に、最近いいことはあったか?とよく訊かれる。楽しく過ごせているし、良いこともあるはず、と思いながらも、なんだかパッと浮かばず、まあこれといって無いかな……と答えるのが習いになってしまっていた。
そんな「吉事」に、今年はたくさん気付けたらいいなと思う。