平行宇宙
平行宇宙と言うものがあるらしい。
今暮らしている世界と重なり合うような状態で
それも無数にあるらしい。
その宇宙には、別の自分も存在している。
それなら、自分自身も無数に存在していることになり
それぞれがそれぞれの人生を送っていることになる。
そうなると、本当の自分は
どれなのかが分からなくなる。
本当の自分は、
無限の宇宙の中の一つを選択した時に決まる。
そこに存在する人間が、
本当の自分という事らしい。
想像しても、理解しがたい。
「しまった。」
さっきの店に、大事なかばんを置き忘れた。
中には、進行中のプロジェクトの書類が入っている。
まだ、公表前の案件なので、
社外に流失すると大変なことになる。
今渡ってきたばかりの横断歩道の信号は、
すでに青から黄に変わっていた。
この交差点は、交通量が多いので
今戻ると非常に危険であった。
とっさにそう考えたが、
すでに体は、戻ろうと車道に数歩踏み出していた。
発進したトラックが、突っ込んでくるのが見えた。
「しまった。」
映画のスローモーションシーンのように
ゆっくりと迫ってきた。
そして横断歩道に、
急ブレーキとド~ンと鈍い音が同時に響き渡った。
どういうわけかFは、
交差点を上空から見下ろしていた。
そこに、人が倒れていた。
トラックが横向きに停車し
傍らに、運転手が呆然と立ち尽くしている。
周りに人が集まってきていた。
倒れているのは、自分自身だった。
直ぐに救急車が到着し、
Fを乗せて緊急搬送して行った。
救急車を見送った時、俺死んだと思った。
その証拠に、
こうして幽体離脱していると妙な納得があった。
幽体離脱の話は聞いたことはあったが
実際に体験するとは、思いもよらなかった。
それにしても今いる空間は、
理解しがたい場面に取り囲まれていた。
事故直後の自分、
病院で救命処置をされている自分
そして、学生時代の自分。
時間軸がごちゃごちゃなになっていた。
生まれてからの様子を撮った
瞬間、瞬間のスナップビデオを
ランダムに見ている状態だった。
それらの一つに、手を伸ばした瞬間
Fは、その世界に吸い込まれていった。
その時、周りの空間はすべて消え去り、
現実の世界に引き戻された。
そこには、立派な車に乗っている自分がいた。
「わかった。俺が行って話を付ける」
「すぐに行くからな。」
そう言って携帯電話を切った。
助手席には黒いカバンが置いてあった。
かばんの中には、札束と契約書類が入っていた。
商店街の一角に着いた時、
手下がFの車を見て走り寄ってきた。
「兄貴、こちらです。」
「おう。まだごちゃごちゃと渋っているのか?」
「すみません。なかなかしぶとい奴で。」
案内された店舗の奥で、もう一人の手下と
店のおやじが言い争いになっていた。
「おやじさん、すみませんね。」
と声をかけ、そばにいる手下に
「オイお前ら、少し引込んでいろ。」
そう言って追い払った。
妙にニコニコしながら
「どうも行儀の悪い奴らで、いや~申し訳ない。」
「わしは、この店は手放す気がない
と何度も言っている。
あいつら毎日来ては、
嫌がらせをするので、困っている。」
「あいつらにもう来ないように、
兄さんが言ってくれないかな。」
「分かった。これからは、来ないようにする。
約束するよ。」
「そうかい、助かるよ。」
「ところで、この店舗の事だけど。
周りの店はすでに買い取られていて
後は、おやじさんの所だけだよ。
俺たちが手を引いても
次は、もっと危ないのがやって来る。
家族にも危害を及ぼすかもしれないしな。」
「そうならないうちに、
この話をまとめたいので
今日は、良い条件を持ってきた。」
Fが、身を乗りだすと
おやじは、警戒感を強めたそぶりを見せた。
「どうだろう、
近くにこの店の1.5倍の広さの店舗を確保している
そちらに移ってもらえないかな。」
「売買代金以外に引っ越し費用も、
何もかも必要な金は全部面倒見るよ。」
おやじの目がかすかに光ったのを見逃さなかった。
やっぱり金目当てじゃないか。もう一押しだ。
Fは、詰めの交渉を開始した。
これが買い取り代金で、
その店舗の図面はこれだとカバンから取り出した。
「駆け引きなしの最終条件だ。
これでだめなら、この話は終わりだ。」
Fの勢いに押され
案外と、すんなりこの話はまとまり、
売買契約が成立した。
「さすが兄貴、凄腕ですね。」
「でも、経費が少しかかりましたけど大丈夫ですか?」
「何が?」
「その、代わりの店舗代とか・・・。」
「ばか野郎。何年この商売やっているのだ。」
Fは、にやりと笑いながら
店舗の明け渡しの段取りを指示した。
「代替え店舗は明け渡しの為の工事がある。
ここの引っ越しの荷物を
少しの間、倉庫に保管しますと運び出せ。」
「それがすんだら、すぐに店を解体して更地にしろ。」
なるほどと手下はうなずいた。
「代わりの店舗にはいつ?」
「店舗の工事が終わり次第と言っておけ。
まあ、永遠に終わらないけどな。」
「騒ぎ出したころには、俺たちはもうここにはいない。」
「なるほど、そういう事ですか。さすが兄貴だ。」
やっと手筈が飲み込めた。
「あのおやじが強欲だからそうなるのだ。」
「いいか、この商売そう長くは続かないぜ。
今のうちに稼げるだけ稼ぐ、いいな。」
「はい、兄貴。どこまでもついて行きます。」
こちらの世界は、バブルの真最中だった。
Fは本人も驚くほどの悪だった。
太く短く生きるが口癖だった。
でも、前のFとは比べ物にならないぐらい稼ぎが良かった。
前の世界のFは、まじめで一生懸命
会社の為に働いていた。
どちらかと言うと、約束を守り
地道な人生を送るタイプだった。
ここは全く違う世界であった。
この世界のFはどのような育ち方をしたのだろうか。
見たこともない大金。
怪しげな人脈。
お決まりの酒と女。
どれをとっても、まるで映画のようだった。
「兄貴、以前に引っ掛けた店舗のおやじ、
あの後、女にも騙されて
家の売却代金そっくりやられたらしいですよ。」
「おお、そうか。すっかり忘れていた。
馬鹿な奴だな。」
「兄貴の事、逆恨みしているようなので、
気を付けてくださいよ。」
「あんなおやじに何ができる。」
「いや、そうですよね。」
あちらこちらに顔を出し、
なんだかんだと、顔を突っ込んでいるだけで
毎日、面白いぐらい金が入ってくる。
金を稼ぐのは、こんなにも簡単だった。
Fは悪人だったが、子分の面倒見は良かった。
稼ぎに比例して、子分の数も増えていた。
何時しか、町の裏の顔役になった。
その日も、数人の子分を連れて夜の街を飲み歩いていた。
皆、ずいぶんと酔っていた。
飲み屋街を出て、大通りに出た時
後ろの路肩に駐車していたトラックが
急発進してライトも点けずに
Fめがけて突進してきた。
Fは10メートル近く跳ね飛ばされて建物に激突した。
Fは病院のベッドで、目を覚ました。
あのくそ野郎、タダでは済まさないぞ。
そう思ったが
体が全く動かなかった。
意識を取り戻したFを見て看護師は、担当医を呼んだ。
「Fさん分かりますか。聞こえますか?」
Fは小さくうなずいた。
「あなたは、トラックにひかれて3週間意識不明でした。」
「良かったです。話せますか?」
Fは小さな声で、「はい」と答えた。
「すぐにご家族に来てもらいます。」
後でわかったことだが、
Fはまた前の世界に戻っていたようだ。
しかし残念ながら、事故の後遺症で
もう歩くことは出来なくなっていた。
ここは、前の世界のようだけども
ひょっとして、
似ている別の世界なのかもしれない。
回復して、元気に歩いている別の世界もあるはずだ。
いや必ずある。
その世界に行きたいと、
毎晩寝る前に念じていた。
起きたら歩けるようになっているようにと。