管理職になるのって、怖くね?
管理職まで出世できるかどうかは別として、
管理職になるのって、怖くね?という話をしたい。
自身の無能さが根底にあるが、もう少し具体的に挙げるとすれば、以下のような理由が挙げられるだろう。
①事業が多岐に渡る
②短いスパンでの異動がある
③部下の適正な評価が困難
④部下>上司の構図
これらの点について、公務員の今と、銀行員時代を比較しながら、詳細を書いていこうと思う。
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①事業が多岐に渡る
銀行であれば、基本的な業務(預金、為替、貸金等)は行員全員に共通している。
そして、管理職になる時点で、この基本的な業務はほとんど習得している。
だから部下のAさんの担当先に行こうが、Bさんの担当先に行こうが、この基本的な業務の話さえ出来れば最低限はクリアしている。
でも、公務員はそうはいかない。
なぜなら事業が多岐に渡っているから。
部下であるAさん、Bさんは全く別の事業をしているのだ。
そして、必ずしも経験したことのある分野の部署で管理職になれる訳ではない。
なのに、多岐に渡る事業を詳細に把握する必要がある。
どれだけの記憶力が必要で、どれだけの判断を求められるのだろうかと考えると…
怖くね!?
という話である。
②短いスパンでの異動がある
公務員の異動のスパンは短い。
これも怖っ!と思わせる要因の1つだ。
短いスパンでの異動は、銀行も同じである。
しかし、①で書いたようにある程度共通した業務があるうえでの異動なので、言ってしまえば「支店が変わっただけ」「部門が変わっただけ」ということが多い。
基本的な業務は共通しているから、一から業務を理解する必要はなく、積み重ねた経験を活かせることが多々ある。
しかし、公務員はどうだろう。
異動の度に新たに事業を覚えなければいけない。
しかも色んな分野の部署を転々とする。
要はあまり活用できる経験を蓄積できないのである。
にも関わらず、着任後すぐ、市民・県民の前や議会関係等で何かしらしゃべらなければならないようなこともある。
マジ無理ゲーである。
③部下の適正な評価が困難
銀行のときは定量的な評価と定性的な評価があった。
上司の好き嫌い、馬が合う合わないがあるにしても、結果が数字に現れている人は、それなりの評価がされていたように思う。
しかし、公務員の場合はどうだろう。
定量的な評価軸が無いため、そのほとんどが定性的な評価でしかない。
現場でどれだけ市民・県民にきめ細やかに対応しても、過去の担当者のずさんな管理を正しても、管理職でさえ思いつかない良案を思いついても、
それらを数値化できないので、どこまでいっても定性的な評価オンリーなのである。
もし私が管理職になったとしたら、私情を挟むこと間違い無しな気がする。
たぶん「こいつ、イラッとすんな…」とか思いながら、評価をつけてしまいそうだ。
部下を適正に評価出来る自信はないっ!!
でも、求められるのは適正な定性的な評価なのだ。
無理ゲーその2。
誰か、公務員を定量的に評価できる、何かしらのシステムを作ってくれませんか?笑
④部下>上司の構図
銀行の場合であれば、①で述べたように基本的な業務があり、それらは言ってしまえば年を重ねる毎に詳しくなる。
なので、業務について、上司は当然部下より詳しい。(取引先は担当者の方が詳しいだろうけど)
だから、時に(いつも?)上司から厳しい指導もされる。
しかし、公務員の場合はどうだろう。
①で述べたように事業が多岐に渡っており、その事業に最も詳しいのは「部下(担当者)」なのである。
②のような状況も相まって、上司が担当者に教えを請うことは多々ある。
例えば50代の上司が異動してきたとして、社会人2年目の担当者(その部署2年目)に色々教えてもらう、ということもあるのだ。
つまり、部下>上司の構図が出来上がりやすい。
このような状況が故に担当者優位になることもあり、管理職が気を遣って指示を出しづらい、意見しづらいといった状況を何度も見てきた。
今は自分が担当者の立場だから良いが、
管理職の立場になったら、怖すぎ…
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以上が私が管理職になることを怖がっている理由である。
決して、銀行の管理職の方が楽!と言いたい訳ではない。
その大変さは中にいた人間だからこそ理解している。
ただ、公務員の管理職も相当無理ゲーっすよ?ということを説明したかったのである。
組織人はある種、組織の中で上を目指すべきなのだが、こんな思考になっているのに「公務員であり続けることの意味は…?」と最近考え始めている。
こんなことを言うから、最近の若者は~とか言われるんだろうなぁ…