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決断が正しかったかどうか。



「あの時の自分の決断は正しかったのだろうか」と何度も何度も反芻し、悩むたびに、私はいつも同じ結論にたどり着きます。

「正しい決断をしたと思えるように行動をしよう、違っていると気づいたらその時修正すればいい」と。

かの有名な米国の軍人、政治家であるドワイト・アイゼンハワーはこう言っています。

「決断とは、目的を見失わない決心の維持にほかならない」by ドワイト・アイゼンハワー


他人の決断に、周りの人々は様々な反応をします。

応援をする人、否定をする人、中立の人、不思議がる人。


◆転職という決断について考える

『転職を考えるのは自然なこと』

社会人になって数年が経ち、ある程度仕事に慣れてきたタイミングで、転職を考える人って多いじゃないですか。仕事に余裕が出てきて、ふと悩んじゃうんですよね。「このままで良いのだろうか」と。
より良い環境を求めて転職する、自分のおかれた環境に合わせて転職する、それって自然なことだと思います。

動画サイトやSNS、そのほかインターネット、電車の中吊り等には転職関係の広告が無数に掲載されています。これだけ広告費をかけている点からみても、転職サービスはそれだけ需要があるってことですよね。


終身雇用なんてとっくの昔に終わってるし、年金制度だって言ってはなんだけど破綻してる。

今まで通りを選択するよりも、新しい何かを選択する方が正しいのかもしれない。


◆結婚という決断について考える

『結婚する・しない、事実婚を選択する等、選択肢が広がった分、従来より覚悟が必要』

「結婚しない」、「事実婚を選ぶ」という選択肢が市民権を得たのはつい最近のこと。

もちろん昭和の時代から結婚しない人はいたけれど、世間からは冷たい視線を浴びせられたことが容易に想像できるし、もしかしたら家族から罵倒されていたかもしれない。

現代では結婚しないことも事実婚を選ぶこともある程度認められるようになった、と個人的には思っている。

私より15歳以上年上の方々には未だに受け入れてもらえない節があるが、アラサーであれば「貴方はそう考えるんだね」と受け入れてくれる。


結婚することがある意味当然だった時代=「女は25歳を過ぎればクリスマスケーキ」というフレーズが現役だった時代よりも、

今の方が結婚する際の覚悟が必要だと思うのです。

「選択肢はいくつかあるのに、あえて結婚する」のだから。

自由は人の本質を炙り出すものだから。

そんな覚悟をもってする決断を、赤の他人が正しかっただとか失敗だったとか、しいては決断した本人が失敗だったなんて言うのは過去の自分に失礼な気もします。

離婚をする際、「結婚に失敗した」と自虐的に言う人を何人か見てきましたけれど、失敗したんじゃなくて、「自分に合わないことを発見した」って捉えた方が、過去の自分が報われるんじゃないかなぁ。

かの有名なエジソンのように。


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決断した当時はそれが正しいと思って行動に移した。

それだけで、決断は正しかったと言っていいんじゃないですかね。



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