自分のことをベケットだと思っているおじいさん(創作)
平日のまっぴるまに東名高速道路を三重県方面に進行している車両の中で、須山もちくさは陽の光で眠たくなっているのを紛らわすためにラジオをつけた。社用車でラジオを流すのはいいのか最初の方は気がかりだったが何度か乗り回すうちに上司が自分の携帯を接続して音楽を聴いていることがわかり、ならラジオも構わんわな!と今は吹っ切れている。
ラジオでは新しくできたいちご農園の若いオーナーの男への電話インタビューがやっていて、須山は激しめの音楽でも流してくれ!とチャンネルを変えたがなぜだかどの局もいちご農園の男の話をしていた。きっとラジオが壊れてるのだろうとNHKのラジオまで行くとクラシックが流れていた。
たしかショスタコーヴィチだ。聞いたことがある。須山の友達でクラシック音楽ジャンキーの富永という女がいて、彼女の家に夕食をご馳走になると決まって流れているのがこれだ。須山は趣味が悪いと思った。落ち着いて飯が食べられやしない! ああ……!まだ今日は何も口にしていない!須山は戦慄した……腹が鳴り、まるでクラクションのように全身に響き渡る……血流をセーブしなくてはいずれガス欠で運転もまま鳴らなくなる! 須山はサービスエリアに入って併設されてるコンビニのおにぎりでいいから、とにかく何かを腹にいれたかった。仕方ないのでルームミラーに齧り付いて走った。
須山はもうかれこれこのように四日市に通い詰めている。業界の性質上、小型トラックでまとめて輸送できるものを一般の普通車でちまちまひとつずつ運ぶ仕事である。ねずみ講のごとく分裂していくように配送の流れは経由する倉庫を土地ごとに敷いていれば起きないものだが、須山が運んでいるものは訳ありで、とても一般の大手運送会社には委託できない。なぜこういった仕事についたのか、後悔の念に駆られるものだが営業ノルマのようなものは強いられておらず、日に一枚、その訳ありの品を四日市に運ぶだけで給料が発生するので我慢はできた。ガソリン代なども会社負担である。そのかわり法定速度の維持、交通ルールの遵守、当たり前のことが並んでいるが、要するに警察の厄介になる真似をしてはならないということだ。警察に目をつけられて品物の存在が明るみになることを防ぐためであろう。須山は自分が運んでいる品物が何かわからなかった。もしかするとキアヌ・リーブスが昔出ていた映画のように一定の速度を逸脱すると爆発する爆弾でもあるのかも知れない、なら目的地に着いたところで自分は爆死だな、と須山はくだらない妄想をした。法定速度を超える、もっとも高速道路というのは追越車線で100キロをあっさり超えてごぼう抜きをしている輩が何台もいる。須山は追越車線に移ることはほとんどなかったが、彼のノロノロ運転に嫌気を覚えて車が横を掠めていくたびに、愛想が尽きて離れていく昔の友人たちを思い浮かべた。
もう富永くらいしか酒を飲み交わす、家に招いてくれる友人はいないものだが、富永しずかは独身ではなかった。別居中の旦那がいて、須山の前の会社の上司だった。不倫相手というわけではないのだが、もっともその旦那が援助交際で年若の娘をふたりに富永との生活費に充てる分を含めた銭で釣ってせっせと淫行に励んだらしい。片方の娘(富永曰く「二階堂ふみによく似ていたが元旦那はマイネオのCMに出てる女優の方が似ている」と援助交際の件とは別で言い合いになった)が妊娠してしまい、親族からの通報、裁判沙汰まで駆け抜けていったのだ。
富永しずかとの仲は大学時代に須山の同級生で谷口という新海誠フリークがいて、彼の素直さに惹かれた地雷女が接近してきたところから始まる。富永はこの佐伯と同じ地元から大学に通っていた。富永は須山の通うキャンパスの近所の女子大だったが、佐伯は谷口と二人っきりになるその瞬間までそのことに気づいておらず、突然腐れ縁の如く現れた旧知の人間に驚き慄き、腰を抜かし、谷口のズボンのベルトにしがみついてつられて二人して地面に尻をつくことになった。須山は大学の友人と冷やかしがてら公園の茂みに隠れてその一部始終を見ていたわけなのだが、まさか彼らが座るベンチの向かいの別の茂みに富永が同じように冷やかしで潜んでいるなんて思いもよらなかった。須山は富永とその場で意気投合し、彼らの白々しいほどのやりとりを観戦し続けた。とはいえ佐伯は自分の感情を常に谷口にぶつける、というか、公共の場で撒き散らすようなタイプで、気をひこうとしているのか、思考内で収めるべき事柄が全てインターネットの海に放流されていった。それを須山と富永は面白がって見ていて、やがて須山と谷口の交友が途絶えるきっかけになる。口を聞いてもらえなくなった須山は谷口に見えぬ範囲で次なる地雷を仕込みに、男とすぐ寝るような後輩女を侍らせては谷口に刺客として送り込んだ。まんまと引っかかるものもいれば、お互いどこかポエジーな側面があるのか退廃な真似をしでかして、挙句心中未遂までして女子の方が退学してしまったことを機に、須山はこの遊戯から手を引いた。富永はとっくの昔に須山が手に負えないと考えたのか須山が卒論を仕上げるまでしばらく交流は途絶えていた。
富永から、結婚式の招待状はなかった。須山は学生時代のアルバイト先の当時5歳年上のパートの女性と仕事上がりに夕食を一緒に摂ることがあったが、知り合った時にはその人はもう5、6年連れ添った幼馴染のような年下の彼氏がいて、翌年の春に籍を入れるという話があって、その夫婦の結婚式に呼ばれることがなかった。富永の結婚式があったかは須山はわからないが、このパートの女性が挙げなかったように時勢的に控えたのか、旦那が金銭をケチったのか、とはいえ富永が佐伯に当てつけるように挙式を上げて優越に浸るほど性格が悪いとも考えられないのでーもちろんそれをすれば須山も面白がれたのだろうが、へんにノリの悪いところがある佐伯のことだから来ることはないだろうー大方挙式はなかったのだろうと考えていたら、どうやら親戚だけを呼ぶ粛々とした会だったらしい。祖父母の兄妹と、叔母叔父、いとこはどちらもいない。富永も旦那もひとりっ子で、送迎のバスは一台で済んだという。岐阜の山奥の山荘街に教会があって、鈴鹿から旦那の親戚を引き連れて東名高速から東海北陸道で各務原まで向かい富永の親族を拾い、山奥へ向かう道中、放置された森林の奥で富永は佐伯の生霊を幻視したという。旦那の父親に当たる男が鷹のように鋭い眼光をした、白髪頭の山男で、披露宴の写真を見せてもらうと須山にはサミュエル・ベケットに似ていると思えた。富永がサミュエル・ベケットと聞いても顔が出てくることはないだろうと須山は口にしなかったが、後年柄本兄弟のゴドーを待ちながら公演のドキュメンタリーを見たから原作を貸せと頼んできたとき、柄本明が死んだひいじいちゃんに似てたと笑いながら話してきて、須山は不思議な気持ちになった。富永がクラシックの耳に慣らされていたのはこの曽祖父の代からピアノが居間にある家庭だったからだ。富永の父母も写真には写っていたがどちらも、いしいしんじにそっくりだった。
「もちはずっと菅田将暉みたいになりたいって言ってたけど、アレって顔面であってる?」
当時のことを一通り振り返った末、富永は3本目のストロング系の酎ハイを開けてそう言った。話はもう5、6回はもつれており、谷口に貼り付いていた佐伯がドリームワークスに出てくるリスみたいなヒロインだと言ったり、谷口のことは辛党のクマのプーさんだと罵ったりしていた。
富永はあの頃須山のことをすや先輩と呼び、敬語がやや砕けた「〜っす」と言う語尾が、クラシックジャンキーというギャップからか、より目立ったが、世間という洗濯機によってすっかり洗い流されてしまった。須山は淋しいと思ったが、代わりに「もち」という、当時須山と無神論について語り明かした一個上の先輩と同じ呼び方をしてくるから、ちぐはぐに何か腰を浮かすようなものもちになる。
「菅田将暉自体になったら面白くないだろうけど、菅田将暉みたいな覇気は持ち得たかったな」
「覇王色?」
「じゃないかな」大して面白くもないのに須山は笑ってみせた。
「ワンピ読んでました?」
「スリラーバーグ篇だけ買ってた」
「なにそれ。きもい」
今目の前にいる富永は本当にあの頃の富永の地続きなのか。須山はどこかで路線の切り替えを踏んであらぬ方へ飛んで行ってしまったのではないかという考えに囚われ始めた。禁欲を続けると何もかもが綺麗に見えてきて自信に溢れるが、堰を切ったように欲を受け入れ続けると自分がふしだらに思えてくるように、所詮は自分の視野の位置関係によるものだとは須山にとって大人になって行くうちに見出したものの考え方ではあるが、あまりにも自分には位置関係を狂わせたらしい。
富永は須山もちくさのことをもちと呼ぶなら須山は富永しずかのことをしずと呼ぶべきなのだろうか。富永しずかは富永しずかであるが現在、援助交際に伴う別居中とは言え現在は籍はまだあり、名字転じて池辺しずかになっている。池辺いう苗字は「いけのべ」と読ませるのだという。旦那の祖父にあたる人物がサミュエル・ベケットに似ていることと池辺、池のベケットという繋がりを須山はあの写真を見て以来、ついぞ思い出してしまう。池辺家に離婚調停にかかわるやりとりをするためにいわゆる出戻りをしている旦那の元へ富永しずかは単身向かわないといけなくなった。流石に一人じゃ怖いということで須山が何故か同行した。両親をこうした形で擦り合わせるのが気が引けたのか、いしいしんじ似の両親の顔がザブングルのような顔になっても仕方がないと思ったのか、須山は詮索しなかったが、どういうわけかこうした面倒とも思えるような、修羅場じみた機会にばかり富永しずかが頼ってくるというのは学生の頃から変わりないことであって、須山も特段面倒に感じることはなかった。富永が須山もちくさのことをもちと呼ぶのはこうした野暮な外野を引き込む上での免罪符として機能しているというのなら、須山にとってそれは効力を発揮するものとは思えない。少なくとも須山とは違って社会規範のレールに則って他者を愛し、他者と共に生きる道を選び、恐らくだが他者を受け入れたであろう一人の友人のことを誇らしげに須山は感じていた。須山にとってそれは過酷であり、他者は彼に追従することは天地がひっくり返ろうとも起こり得ない。須山はその場しのぎの遊戯としてそれら他者とのやり取りの真似事をすることはあったが、いずれも幼児のままごとに大差ないものであった。須山は池辺家の門をくぐった時、どうか池辺旦那の父親が、あのサミュエル・ベケットにそっくりな白髪頭の山男が、自分のことをサミュエル・ベケットだと思い込んでいて欲しいと思えた。ベケットは後年のノーベル文学賞を受賞したあたりのインタビューで、沈黙を貫いたことがある。須山はその動画をネットで見たことがあるが、ハシビロコウのようで噴き出してしまったことがある。きっと池辺父が自身のことをサミュエル・ベケットだと思い込んでいたら、ハシビロコウのように何も言わずに硬直を貫いていてくれると須山は信じていたし、信じていたかった。
息子の別居中の結婚相手のよその娘が、さらによその男を引き連れて上がり込んできたとなると、招き入れた旦那の母親もなんとも言えない顔をした。酸っぱいだろうと思って口に入れた梅が、あまりにも甘かった時のような口の窄め方をしている。まあうちのバカ息子も若い女の子にちょっかいをかけていたのだから、こんな可愛い嫁さんを貰っといて本当にバカなことをしたよ、と旦那の母親はブツブツ言いながら土間の石段を上がり、スリッパを冨永と須山に促した。富永は旦那の名前を口にし、どこにいるのと聴くと旦那の母親はもじもじと手にひらをを擦りながら、バカ息子はおとっさんと山へ芝刈り言っとる、と答えた。富永は噴き出して、ならお母様は川へ洗濯ですかと尋ねると、あら、もう行ってきたのよとげらげらと笑い出すのである。須山は誰にも似ていない顔をする旦那の母親に好感を抱いた。
日が傾いて西日が部屋に差し込むようになっても旦那と件のベケットおじいさんは戻ってこなかった。さっきまでテレビで笑点を見ていた旦那の母親は佃煮やらあなごやら皿に並べ始めるからお構いなくと富永は断った。のぶおが初任給で送ってくれたのよこのテレビ、と42インチの画面を誇らしげに何度も見て言うのだが、テレビを持っていない富永や須山は何がすごいかわからなかったし、そんな画面で大きく山田くんの挨拶を見るのもなんだか哀愁が強まる。家屋は平屋で、居間に面した縁側に野良猫がちらほら現れていて、のぶおがでてってからおとっさん、よく餌付けをするから来るから困っていると旦那の母親が言った。みーちゃん、まーちゃん、たーちゃん、こーちゃん、のぶなり、かずなり、と猫の頭を指差しして数え始めた。きりゅういんがいないと言って台所に引っ込んでしまった。癖が強いと須山は冨永にいうと野良猫たちががりがりと笑い出した。かずなりって名前つけてるの、おかあさんが嵐の二宮が好きだからだと須山に説明した。きりゅういんってじゃあゴールデンボンバーの鬼龍院ってわけ?ときくといや、たしか甲子園の優勝校とかじゃなかったかな。おかあさん、甲子園なんてろくに見ないらしいんだけどね。ベケットおじいさんは猫に名をつけたのかと聞いたらあの人、そういうの無頓着だからと旦那の母親が答え、須山は期待が膨らんだ。
「なんでオレには招待状おくんなかったの」
「あれ?もちに送らなかった?」
「こなかったよ」
「郵便局員が無くしたのかもね」
「ならいいんだけどさー」
「あいつとどうやって知り合ったの」
「別に、特に、」
「なに」須山は笑った。「やましいもんでもあるの」
「ない」
「ないのか」
「あったかもしれないけど、ない」
「よくあんな男とついてたな」
「もち、妬いてる?」
「妬いてねーよ」
「妬いていいよ。もう関係ないし」
「ふうん」
「もち、ずっとお父さんの顔の話してなかった?」
「ベケットおじさん?」
「そんな似てるかな」
「だって、ちょっと嬉しくなんない?知ってる作家に似てると」
「それ、もちだけの感性だよ」
「わかんねえーか」
「うん、わかんない」少し富永がむせていた。さっきのサービスエリアで買ったカフェオレを飲んだ。
「ベケットもよくわかんない」
「なんか読んだの」
「小説?」
「どれ」
「名づけられないものってやつ」
「読めた?」
「読めない」
「だよな」
「けど、はじめの方の、なんか語る私よくわからないみたいなこと言ってるとこあるじゃん」
「そうだったけ」
「もち読んだの」
「読んだと思うけど、だいぶ前だからよく覚えてない」
「たぶんそれ読めてないよ」
「笑うなよ」
「なんか、すごいよ、こわいよ、よくわからないものをよくわからないまま語るって」
「うーん」
「わたしにとってあの人って、そういうよくわからないまま始まってよくわからないまま進んで、よくわからないまま終わった気がする」
「なんもわからん」
「ほんとな」
「わからんままで良くない?」
「わたしはわかりたくない」
「オレもベケットおじさんのことはわからんままでいいや」
「わかりたくないとわからんままでいることはちがくない?」
「そうかな。一緒にしちゃう」
「だって、否定と保留はちがうでしょ」
「谷口や佐伯はわかりたくない、わかるで進みそう」
「そう考えるとわたしたちは昔は保留ばっかだったね」
「そんな昔かー?」
「もう昔だよ、もち」
須山の運転する車の助手席で富永しずかは寝息を立てていた。ビルがいくつも見えてきて環状線に吸い込まれようとしたところで、カーステレオのラジオからは踊ってばかりの国の「世界が見たい」が流れていた。NHKのクラシックがやってるよとチャンネルを合わせる冨永に須山は言ったが、聴きたくないと短く答えた。地方局の顔も知らないパーソナリティーの明るい声が突然入って、すぐに流行りの曲が流れて気が付いたら富永は眠っていた。リスナーに凸電話をするコーナーが終わって、踊ってばかりの国の「世界が見たい」が流れていた。僕はもう誰も邪なものを抱かないで、一緒にしないでいいんだと須山は笑えてくるのだった。ETCカードを入れ忘れて、料金所前で急停止したら、後ろからトラックになかよく玉突きされた。なかよし。
(了)
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