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秋だからね、心がすこし弱っちゃう季節だからね、ふとした瞬間に寂しくなって悲しくなって、だいすきな人に大切な人に無性に会いたくなって、止められないほどの想いと涙があふれてしまうけれど、報告なんてものをされると「がんばってね!でも無理しないでね!」という心配の気持ちばかりで、自分の気持ちなんてどうでもよくなるくらい、わたしのちっぽけな不安な気持ちはいつの間にか消えていて、いつもだいすきで大切な人がいちばんなのは、ずっとずっと前から変わりなかったね。なんてね。
大切でだいすきだからこそあふれる想いを止めることはできず、君が吐く息だって体温だって感情だって誰かに触れてほしくはないし、放つエネルギーだって発する言葉だって与えるやさしさだってわたしだけが大切に受け取りたいし、君のキラキラと輝く瞳に映る女の子はわたしだけがいいし、君が惹かれる女の子だって君に惹かれる女の子なんてわたしだけでそんなの一生現れてほしくはないし、君が困ったときに助けを求めたり寄り添える相手はわたしだけがいいし、君がつらいときに泣ける場所はわたしの前であってほしいと
大切で大事で失いたくない想いが強くなればなるほど、合わさってるひとつひとつのピースの大切さを実感する。 あのとき、違う選択をしていたら。 あのとき、あの言葉を伝えなかったら。 あのとき、感情を出せていなかったら。 あのとき、勇気が出せなかったら。 あのとき……。 すべてのピースが揃った過去と、自分で選択した過去があるからこそ、大切にしたい今が存在しているもの。もしかすると今のしあわせがない未来もあったかもしれないし、そもそも出会っていなかった未来だって存在するかもしれない
形成するものがなくなりつつあることが怖くて、不安で恐怖心を抱いた。ゼロになりかけているわたしには何もなくて、掴み取れない不安と焦りに苦しく怖くなって、気づけば涙があふれていた。何度「たすけて」そう言えたらよかったと、頼れたら甘えられたらよかったと、そう思ったのかなんてもう忘れてしまったけれど。幼い頃に告げられた「心配とか迷惑かけたらダメだよ」という言葉に縛られて、助けなんて求められるはずがなかった。迷惑を考えたら言えるはずなんてなかった。大切で大事だからこそ「たすけて」を言え
大切な人ができると自分のことよりも「こうしてあげたい」って気持ちが大きくなる。だからこそ甘えられたり頼られると嬉しく、多少の無理でも応えたくなるもの。 でも、大切な人だからこそ「こうしてほしい」って求める気持ちも大きくなっては、上手な気持ちのバランスの取り方がわからなくなる。
言葉と想いを大切にする仕事だからこそ「誰かの大切を、個性を、そのものを、傷つけるようなものは届けたくない」という想いは何年たっても変わらず、関わりを持ちたくない人からの心ない言葉に、苦しくなって涙があふれて立っていられなくなって前が見えなくなって一番大切にしたい人も言葉にも影がかかったようにも思ったけれど、寄り添ってくれるあたたかな言葉一つで涙があふれては「守られるだけじゃなくて、守っていける強さがほしい」という愛おしさが込められた想いと向けられるキラキラと輝く笑顔を思い出し
どれほど大切に想っていても、自分が不調のときにはやさしさを届けられず、優先して想うことができなくて後悔。 あんなことおもってごめんねと、届いていない想いに罪悪感を抱いては「明日も君が笑顔でありますように」と、心の奥に抱く想いにエネルギーを込めて君に届くように飛ばしてみた。
すきの想いが強くなればなるほど、求めるものが大きくなったり、大切だからこそ心配や不安も増えていく。 でも、なによりも大切に想うからこそ、距離感は意識すべきことであり、近すぎても遠すぎても良くないもの。 大切だからこそ、自分のことよりも考えて行動していかなければいけないね。
ある程度経ってから書こうかなっておもっていたり。でもやっぱり自分の中で大切にしていたいなとか、この年齢で恋愛事を公開ってどうなんだろなんて考えすぎていたら……溜めすぎた。(もうすこしはやく更新したかった) 元々わたしは恋愛こじらせマンなので、ちょっとしたことがこわくなったりネガティブになって、ぐるぐるしてなかなか書けなかったりしていたのも理由だけども……。 去年の11月の月報にもすこし書いていた縁の進展とは…… 年末前くらいに約3年だいすきでだいすきで。何よりも誰よりも
大切にしたい思い出ほど記憶が薄れて、新しい記憶に上書きされていく。がんばって思い出そうとしても伝えてくれた言葉の前後は思い出せないけれど、そのとき抱いた気持ちは忘れていない。 思い出すたびに涙があふれそうになるけれど、このあふれる想いを伝えられる日までは覚えてたいとおもうよ。
起こってもないことを深く捉えて病んでしまうときほど、自分のことしか考えられていない証拠でわがままの気づき。 だからこそ相手に対して「なにも考えてあげられてない」って気づいたときには、申し訳なさとこれまでの感謝の気持ちがあふれては、自分が抱えるものなんてどうでもよくなった。
なんだかちょっぴり元気が出ないなんて日でも、届くメッセージや通知の名前を目にするだけで、あたたかな気持ちになれるもの。 もうすこし、すこしだけ、ほんのすこしだけがんばってみようかな。なんてね。 「ただいま」って言うと「おかえり」って返ってくるこの関係が心から嬉しくて愛おしい。
立てなくなったときも、逃げたくなったときも、消えたくなったときも、ずっとずっとひとりだった。けれど……優しくてあたたかな想いに触れて、心から寄り添ってくれる姿に嬉しくなって、今日もまた悲しくないのに涙があふれて、笑顔で頭を優しく撫でてくれる姿は夢の中にいても想像ができてしまうよ。
あたたかくて優しくて愛おしい想いに触れると、はじめての温もりに涙があふれそうになって、言葉では言い表せない深い想いに伝えきれないもどかしさを感じた。 悲しいよりもあたたかくて愛おしい想いに涙を流して、愛されてる実感をようやく感じられるようになって、今日も心が満たされていくんだ。