「ある奴隷少女に起こった出来事」感想
こちらは2020年に記載した本の感想分になります。
1.本の紹介
読んだ本は表題にも上げた『ある奴隷少女に起こった出来事』、ノンフィクションです。
アメリカの南部奴隷として生まれた少女の人生(奴隷として生まれてから逃亡して生活するまで)を綴った伝記なのですが、驚くことにこの本、執筆されてから100年以上経ってアメリカでベストセラーになってます。また、日本語訳として「堀越ゆき」さんが翻訳をされていますが彼女自身が翻訳者をお仕事とされているわけではなく、たまたま新幹線で読もうと手を取った洋書がこちらで読了後に並々ならぬ決意をされて翻訳版が出版されています。
アメリカでのヒットが2004年~(?)堀越さんが手に取ってお読みになったのが2011年8月頃、発刊されたのが2013年。それから約9年後の今年初頭に起こった「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)運動」があったことで再注目され、新潮文庫での100冊へ選出・店頭ポップに並び、わたしとの出会いがありました。
そう考えるとなんだか運命を感じちゃうのは、わたしが感覚で生きている人間だからですかね。
2.注意事項
さて、そんな本の感想をこれからつらつら綴っていきたいと思っているのですが、最初にここでご注意です。
今後、もし少しでもこの本について読んでみようかな、と考えられている方。
一旦noteを閉じて読了後に再度ご確認ください。
そのほうが私の主観的な感想に振り回されないし、一番純粋に誰の影響も受けずに本を楽しめると思います。これから私がするのは食レポと同様の行為です。わたしの目の前にオムライスがあったとして、わたしが言葉で色や形や歯ごたえをお伝えしても口のなかに同じ味が広がるわけでもなし、空腹が満たされるわけでもありませんよね。それと同じく、この本の良さは読んだ人しかわかり得ません(断定)。なのでおいしい料理の味をそのまま味わいたければkindleでも本屋でもその他電子書籍でもいいのでまずはご自分で味わっていただくことをオススメします。
逆になんでそこまで言いながらわざわざ長い時間を使って、休職中の休ませないといけない脳みそを使って文字を書いているのかといいますと、これはもう自己満足だからとしか言いようがありません。そもそも自己満足でなければこの長さの記事かきませんから!
だからこそ、お伝えしたいことがあるし、いろいろ考えたところもあるので。
そして、そうはいっても慎重派のあなた or 何がそんなにすごいのか先に知りたいという方。
まあ、お付き合いください。
ただし、表現が露骨なところがありますのでお気をつけて。
3.『ある奴隷少女に起こった出来事』1
「わたしは奴隷として生まれた」の一文から書は始まります。
この奴隷という言葉、わたしが最初に連想したのは、映画の中で遺跡の発掘をする際に荷物を運ぶ人というイメージでした。
あるいは鞭を持った支配者に理不尽なことで追い回されているような人。
……なので、最初の一文が著者にとってどれほど重い制限を受け人生の枷になるのかは私自身知りませんでしたし、そもそもちょっと面白そうな匂いのする本があるな~って手に取った本なので、これをどうしてもまとめて記事にしなければ!という使命感なんて全く持っていませんでした。この時は。
筆者は比較的自由のある奴隷家庭に生まれます。幼少期は自分が奴隷だということを感じずに幸せに暮らしていまして、その中で両親から家で読み書きを習ったこと、女主人(ここでいう主人は筆者を所有する人のことを指します)が心優しい敬虔なキリスト教徒だったことで幼少期からキリストの教えを学ぶことができたこと、そういった教養を当たり前に受けて育ったようです。
当時はまだ奴隷に対して教育なんでありえないこと(そもそも言葉が通じる家畜、という位置づけ)だったそうなので、この対応は破格の待遇だったといえます。筆者の祖母が自由黒人で女主人の乳母だったことも大きいでしょう。
逆に言うとそういうある程度の教養を受けることができた恵まれた環境だったことで筆者は苦悩し続け怯え続けることになります。
試練が始まったのは両親が亡くなり、優しかった女主人が亡くなったことがきっかけでした。(ちなみにこの時点で筆者12歳です)
女主人には遺言書がありました。
この当時の遺言書というのは亡くなった主人の遺産(現物)を今度は誰が所有するかということが細かく書かれているようなもので、家財道具の中に連なって奴隷の名前と相続先が書かれていたようです。またこのタイミングで主人が解放する宣言を残していたりすると自由黒人として晴れて奴隷から解放されるわけですが、当時そのような気の良い主人は少なかったようです。それでも夢を見てしまう解放という未来。
今までの経験や、娘のように女主人が可愛がっていてくれたことがあったので筆者も「もしかしたら女主人が私を解放して自由黒人にしてくれるかもしれない」と淡い期待を抱いていました。そりゃそうですよね、まだ12歳の少女ですから。しかし、やはりといいますか、蓋を開けてみたらそんなことは一切無く、女主人の姉の子供に相続する、という旨が読み上げられたわけです。こうして作者は齢12歳にて5歳児の子供の奴隷となります。
ここまでで「えー!かわいそう、なんで解放してあげればいいじゃん」と思った方、わたしも同じ気持ちです。可愛そうだと思います。12歳なんて今の日本で言えば小学校6年生程度ですし、そんな子供を子供のとはいえ奴隷にするんですから。(まあ、5歳児が奴隷をうまく使えるわけがないので実質はその子供の親の奴隷になるわけですけどね)
この5歳児の奴隷になったことで、筆者の人生は天国から地獄に落ちていきます。詳しくは書くの面倒なので端折りますが、15歳になるとここの男主人(姉の夫でドクター。以後ドクターと呼びます)にすごい粘着され、性的に虐げられ始めます。
その年の差35歳。
毎日毎日卑猥な言葉を投げかけられ、悍ましく追われる日々が続いたようです。そして、それを知った新しい女主人(5歳児の母親で前の主人の姉)は筆者に激しく嫉妬をします。元々性格的にめちゃくちゃ嫉妬深く感情的な方だったようですが、夫の浮気がひどすぎてさらに心を病んでいたようです。
後でわかったことですが、この時代そういうこと(浮気して奴隷に子供を産ませる)は日常茶飯事に発生していて、むしろ子供が生まれたことにより主人が所有する奴隷(資産)が増えるので、男主人にとっては都合がよいことだったようですね。
なにせ、飯代に困ったら子供売ればいいので。
(これがまたある程度育った人間は高値で売れたそうな……)
一方、女主人と産んだ母親は悲惨、の一言です。
ただでさえ、自分は正妻としてキリスト教徒の教えのまま、良き妻・良き母として努めて頑張っているのに、自分の夫はそんなこと知ったこっちゃないと余所で種まいてきて咎められない。夫の愛はどう頑張っても自分だけに向けられないわけですからね。そりゃ満たされないですよ。
そして産んだ母親は母親で、いつどこで子供が自分から取り上げられ、奴隷として知らない土地に売り飛ばされるかもわからないわけです。作中ではそういう経験をして産んだすべての子供を売られた母親や主人の子供を産んで死んでいった少女の話も書かれているのですが、まあ地獄ですよね。
話を戻します。自分に理不尽に向けられる女主人からの悪意に筆者は必至に耐えます。けれどドクターから逃げようとすれば逃げるほど追われ、またそれにより女主人の嫉妬の炎と怒りはさらに筆者に向かいます。まさに女の敵は女、といったところでしょうか。ただ、のちに筆者はこの女主人の行動については、同じ立場になれば同じように感じるだろう、というような同情的な意見を残しています。
そしてもう一つわたしの心をおおきく振り動かすことになった部分。
この言葉にどれほどの絶望が込められているのかは現代に生きる自分にとっては計り知れません。美しい奴隷の少女がどういう人生の顛末を送ることになるのか、それはどんな言葉を使っても表現できるとは思えません。
また当時、奴隷は『結婚』ということをそもそも許されていませんでしたので、黒人奴隷として生まれた筆者が相思相愛の彼氏ができた時も主人が許さなければ一緒に過ごすことも子供をもつこともできません。ここでの苦悩はロミオとジュリエット的なロマンスではなく、ただ所有欲に燃える主人が繰り出す歪んだ悪意との闘いです。筆者の想いが痛いほど伝わってくるような気がします。
4.『ある奴隷少女に起こった出来事』2
(加筆しました)
それでもなお10代後半の筆者に忍び寄る35歳も年上の男性。筆者はこの時点で精神的にも体力的にも社会的地位的にも何一つ勝てるものはありません。
当たり前ですが、どう頑張っても男女の力の差は埋められないものです。ですので、力で押し倒されてしまえば簡単に体の自由を奪われ、ドクターは思うままに彼女の体の中を蹂躙することができます。そしてそれはその時だけでは終わりません。同意のない行為によって生まれる新しい命は彼女に地獄の苦しみを与えるでしょう。
幸運だったことは、ドクターが無理やり行為をする、ということを望まなかったことです。奴隷制の弊害だと思うのですが、そもそも奴隷と主人という役割で生まれてきた人の間には「本人の意思を尊重する」という認識がありません。主人は命令したことを必ず奴隷が「はい」というようように仕向け続け(一応当時も法律がありますから、同意を取らない行為は法に違反します)奴隷にとっては「はい」と言わない限り、食事を与えなかったり、鞭打ちを行うだったりといった拷問が繰り返されます。最終的に奴隷は「YES」と返事をするしかないのですが、「自分が受け入れたか」「受け入れいていないことか」は後々人の精神状態に大きく影響するので、どんな形でも同意をとることは当時において大きな意味を持ちます。
(これは現在の裁判においてもよく焦点となりますよね)
そういう極限の中で筆者は当時としてはとんでもない方法でドクターの魔の手から逃げようとします。どんな手を使ったかについては本書をお読みください。女の私からしたらといいますか貞操概念が昔よりも寛容になっている私でさえも、これはどうなの?というような感想を持ちます。一歩間違えば今以上に地獄だったろうに。ここからの行動には彼女の行動に神様が力を貸してくれたのではないか、というように思わざる得ませんでした。
結論からいいますと彼女は最終的に子供を2人持ちます。母親の身分に子供も付随することに法律でなっていたようなので、もちろん二人とも奴隷です。この時点で筆者まだ20代前半。多分今の若いお母さん、と呼ばれる人たちと同世代ぐらいになるのではないでしょうか。まだまだ若い世代です。
そして彼女は奴隷制から逃げるため、生まれた子供を奴隷から解放するために大きな決断をします。北部へ逃げることを実行するのです。
突然北部というのが出てきたので補足しますが、当時のアメリカは奴隷を法律的に許容する南部と奴隷を法律的に許さない北部で分断されています。よく聞く南北戦争とかってのがそれです。
まあ、北部に逃げれば万事うまくいく、みたいなことはないのですが、それでも肌の色に関係なく自身の自由を保障している北部のが良いですよね。そんな感じで筆者は北部を目指したわけです。
最終的にいろいろあって(人の手助けや裏切りや7年という間の潜伏期間を経験して)彼女は念願の北部に行きつきます。行きついた後もまだまだドクターは彼女を取り戻そうと頑張りますし、そのために私財を投げ売って追いかけます。すごい執念です。そして筆者はその追撃から逃れながら人生を過ごし、そしてようやくこの本を書き上げるのです。
読了後、一息ついて私が思ったのは『筆者、よく生き残りよく遠い夢のまた夢だった光を手につかんだな』ということでした。そしてその安堵の後にこれがノンフィクションだという事実が私に襲い掛かってきました。なにか悍ましいものを見てしまったようなそんな気持ちです。そしてそれは翻訳者のあとがきを読んだことで明確にさらにどろどろと渦巻いていきます。
5.日本人の生きる環境
わたしは日本で言えば中間層、もっとよく言えばイギリス式の階級で呼べばミドルに該当する家に生まれています。なので基本的に筆者と比べようもなく不自由なく幸せに暮らしていたのだと思います。ですが自分がどの階層にいて、他にもいろんな生き方があるというのを知ったのは高校生になってからです。
現文の熱心な教師…というより研究者といった方がいたのですがその人に期末テストでクラスの平均点が50点もいかないことを怒られたときのです。テストの解説をされても誰も答えが分からず見当違いなことばかりをいう私たちに向けて「何でこんなこともわからないんだ!都会なら小学生5年生が解く問題だぞ!!」と声を張り上げました。しかし、それさえその時授業を受けていたほぼ全員が「ぽかーん」として言葉を流しました。小学生がこんな問題とけるわけがないじゃん、と思ったのを覚えています。だってそれが普通の世界なんて接したことがありませんでしたし、その頃の私たちは一方的に出される課題を怒られないように処理し、家を守るために考えすぎず、将来はほどほどなところに就職し、ほどほどで結婚し、子供をもって祖父母や両親と一緒に住んでいくように幼いころからしつけられていましたから。
また、田舎では親が言うことが絶対だし、なにかに挑戦しようものなら鼻からとんでもなく否定をされます。そして失敗したらそれ見たことかと嘲笑され、少しでも成功すれば嫉妬の対象になります。
テストの点や内心に怯え、教師や親の言う通りにならなければ、罰という名の課題を突き付けられて生きてきたのです。教師にすればそうではない、というと思います。実際、熱心に教えてくださる人も多くいましたし、そう言った人の授業はわかりやすかったのを覚えています。ただ先に話した通り、教育を受ける前の段階から閉鎖的な空間で育った子供たちは自分たちがやればできる、とうことを知りません。失敗することは悪で成功することは運。そう言った価値観の元で育っていますから、それなら最初からあきらめて上の人の意見に従った方が楽です。だからこそ、教師がどんなに頑張っても、どんなに声を上げても学ぶというところに子供たちの心は楽しみを見出せません。だってどうせダメに決まっているんだから。
この関係、よく似ているとおもいませんか
ご主人様と奴隷の関係性に。
この場合、ご主人様は親であり教師であり、子供に接する大人たちのことです。そして奴隷は結果的に子供たち、という構図になります。
なぜ結果的にと伝えたかというと中にはそういう壁を打破して新しい世界踏み出していける子供たちも一定数いるからです。これが人間の未来を切り開いてきた力そのものだとわたしは思います。でももちろん、個体差があることなので全員が全員羽ばたけるものではありません。
同じことを翻訳者である堀越ゆきさんも巻末のコメントでおっしゃっております。平成に生まれた私でさえこうして生きてきたのです。堀越さんが新幹線で感じた気持ち、痛いほどわかります。
この本を読んで、まず著者がいったいなぜここまで厳しい試練に耐えて自分の想いを達成できたかというところを整理してみたいな、純粋に思いました。普通の人だったら途中で投げ出すか精神病んで自殺している案件でしょうと。筆者も詳しく書いてはいませんが潜伏中の軟禁生活の中で心を大変病んだということを書かれています。しかしそれでもなお、その状態から彼女は新しい土地に行くためのチャンスをつかむまで待ったのです。
彼女は『自分は誰のものでもなく自分のものだ』という価値観を幼少期からしっかり持っていましたし、周りの人を巻き込んでも新しい道を突き進もうとする力もありました。
周りの大多数の人たちが『自分は他人のものであり、自分は自分のものではない』という感覚で生きている環境のなかでただ一人、自分の意思を貫き突き通した結果、周りも彼女を応援しいつの間にか彼女に夢を見るようになったのだと思います。
6.最後に
ここまで読んでいただいた方。長々とお付き合いありがとうございました。まったく自己満足の記事ですが、これを書き終えるまでに丸々4日が過ぎました。全然日記更新しないじゃん、と思った方。これをずっと書いてたのがこの4日間のわたしの実績です笑
誰のためともわかりませんし、何のためとも思いませんが翻訳本を読んだ感想をもってまとめた結果をもって、私は今後また一歩踏み出したいと思っています。(いまはまだ少し怖いですが)
この記事を読んだあなたの心に少しでも夢や希望やあなた自身が戻ってきたら私は幸せに思います。