はじめてフリースタイルラップバトルに出たら知らない世界が広がっていた
「お前そろそろバトル出てみたら?」
「そうだな〜」
サイファーにも通わず、独学でフリースタイルラップを始めて二年。
友達からフリースタイルラップの大会に出てみたらどうだと薦められた。
仲間内のカラオケや飲み会でラップするだけの状況に飽きつつあった僕にとっても魅力的な誘いではあった。
ただ、これまでは踏ん切りがつかなかった。
知り合いがいるわけでもなく、クラブカルチャーに馴染みがあるわけでもない僕が飛び込むハードルはそれなりに高い。
「あれ、来月の頭に渋谷でバトルイベントあるじゃん」
「ほんとだ」
「エントリー費2000円だってよ」
「意外とリーズナブルなんだな」
「出てみよっかなあ」
その日はなぜか抵抗がなかった。
友達とカラオケで盛り上がってハイになっていたせいだろう。僕はスマホに指を滑らせて、主催者にDMを送った。
明くる日、再びそのサイトを覗いてみると、「出場するMC」の欄が更新されており、MCネーム「堕天狗」もその中に加えられていた。
カラオケ・トリップから正気に戻った僕は震えた。
クラブに行くのだ。踊るでも叫ぶでもなく、衆目の前でラップをするためにクラブに行くのだ。
事の重大さを確認し、僕は黒目を大きくしながらタブを閉じた。
その日以来、僕は「今度MCバトルに出ることにしたわ」と周りに吹聴した。
「バトル」の発音は、ここ数日の間に「バ↑ト→ル↓」から「バ↓ト↑ル↑」に変わった。なんか小慣れてる感じがするから。
自分を「ラッパー」と自称した。発音は「ラッ↑パー↓」。以下同文。
自分を追い込むために、「まぁHIPHOP使っていっちょ金儲けしてくるわ」と証言のZeebraのバースをサンプリングしながら言いふらした(誰にも気付いて貰えなくて少し悲しかったが)。
優勝賞金は5万円らしい。
もちろん、本当に優勝できるとは1ミリも思っていない。
ただ、ここで優勝できると吹聴してフリを利かせておけば、惨敗したときに落差で笑ってもらえるだろうという浅ましい考えだった。
☆
バトル前日、僕はサークルの同期と麻雀を打った。
徹マンするか?という流れのとき、僕は「明日バ↓ト↑ル↑だからさ」と断った。
すると、一人が「え?明日なの?俺見に行くよ」と酔狂なことを言い出した。
確かに興味を持ってくれるのは嬉しい。嬉しいのだが、惨敗する様を観られるのはしんどい。
「マジで?」
「当たり前だろ!お前がバトル出るなら見に行くよ、予定あるから途中までしかいられないけど」
内心焦った。
どうせ負けるからトーナメントの決勝まで見届ける必要はない。
それ以前に、自分の予定を押しのけてまで来てもらうほどのイベントでもない。
「おう、楽しみにしとけよな」
その場を収めるために、とりあえず僕は強がった。
☆
当日、僕は渋谷にいた。
宮益坂を表参道方面に歩いていくと、そのクラブはある。どうやら早く着きすぎてしまったらしく、まだ開場時間まで余裕がある。
僕は周辺を散策しながらその時を待っていた。
すると、ある駐車場が左手に見えた。
キックの重低音とハイハットのリズムが大音量で響いている。目を遣ると、そこには煙草をふかしながら円を作って屯するヤンキーがいた。サイファーをしているらしい。その周りにはそこかしこに吸い殻が散らばっている。
状況から察するに、彼らは今日のバトルに出場するMCだろう。
ジブさんでもいてくれればポイ捨てを注意してくれるのだろうが、そこは無法地帯。僕は身震いして踵を返した。
クラブの前で暇を持て余していると、友人がやってきた。
後ろを見るともうひとりいる。共通の中高時代からの友達だった。僕たちは中高大・部活・サークルと同じなので、共通の知り合いは多いのだ。
その境遇を恨めしいと思ったのははじめてだった。だが、彼らと話すことで緊張の糸がほぐれていったのもまた確かだった。
いざ開場すると、MCたちは一列に並んでエントリーフィーを払い、主催者に挨拶をし始めた。
「おはようございます!」
「おう!お前今日こそはトップ取れよ〜期待してっからさ」
「○○さん勘弁してくださいよ〜」
既に独特のムラ社会が形成されている。
さすがに初対面でそこに食い込む胆力はない。ひとり髪の毛虹色だし。
僕は「堕天使の堕に天狗で堕天狗です、よろしくお願いします」「はーい」と軽く主催者と挨拶を交わし、友達と隅でフロアを見回しながら、また時間を潰した。
まもなく、フロアが暗くなった。
バトルの前にDJプレイがあるらしく、ヘッズたちはステージ前に大挙した。
後ろから見ると、思ったより人数が多い。ざっと150人くらいはいるだろうか。
僕はひとり震えた。
途中、一際大きな歓声が上がった。
何事かと思って耳を澄ますと、BAD HOPのKawasaki Driftがフロアに流れていた。
「川崎区で有名になりたきゃ 人殺すかラッパーになるかだ」
全員が、待ってましたとばかりにその日一番の大声でT-Pablowのパンチラインを叫ぶ。
第1,2回高校生ラップ選手権で優勝したT-Pablowは、数年経ち、HIPHOPヘッズたちを自身の曲のパンチラインで沸かせている。
彼も、始めたときはこんな気持ちだったのだろうか。震えていたのだろうか。
いざプレイヤー側に立ってみて初めて彼らの偉大さが分かる。
バトルの時間がやってきた。
僕はエントリーNo.67、奇数だった。
トーナメント表に記載された相手は「Baliw」という名前のラッパーだった。サイトの「出場するMC」欄を確認すると、(秋田県出身、22歳)とだけ情報があった。
僕の欄を確認すると、「ダテング」とカタカナで表記してある。
いや、漢字で書いてよ。主催者よ、頼むよ。
ともかく、奇数は先攻だと告げられていたので、予め1バース目に言うことをなんとなくまとめておく。
No.1対No.2、No.3対No.4…とバトルは続いていく。出順が遅いだけに、緊張は徐々に高まっていく。
「お前、表情固いな〜」
「お前らしく行ってこいよ」
友達の激励の声に苦笑いで返答し、他の人のバトルを見る。
一回戦ということもあり、リズムキープすら出来ずにとんでもなくスベり倒している奴らもいる。共感性羞恥からまたもや緊張の糸がぴんと張る。
そうこうしているうちに、すぐに出番はきた。
「頑張れ!」
「おう!」
友達の応援を背にステージに上がる。
対面のBaliwはパーカーを着て、フードを目深に被っている。
「それではビートはこちらです」
先程の主催者が司会を務めており、DJにビートチェックを振る。ビートが流れる。
なんかStreet Dreamsっぽいビートだな、サンプリングしようかなとは思ったものの、確証が持てない。ミスは禁物なのでとりあえず無難に始めることにする。
「先攻・MC 堕天狗、後攻・MC Baliw。8小節の2本勝負!Bring the beat!」
DJのスクラッチ音とともにビートが鳴る。
僕は「お前は秋田から来たような田舎モン、渋谷に馴染みはしないだろ?」といったラインを吐き、最後は6~8小節のケツ、三連続で7,8文字くらいビシバシ語尾合わせる流れを想定していた。
序盤から7小節まではお客さんも最低限沸いている。
(よし。いける。)
そう思ったとき。
ジュクジュクジュクジュク
8小節目にスクラッチ音が重なった。
(え?)
焦った。
なんだこれ?もしかしたら、もう既にBaliwのバースなのでは?僕が小節を数え間違えていたのでは?
いろんな考えが頭を過ぎり、僕は頭がパンクして、肝心の8小節目を黙ってしまった。
考えてみたら当たり前なのだが、8小節目はスクラッチ音と重なる。
初めてのバトルだから、という言い訳は利かない。きょうだって、ここまで30本以上のバトルを見てきたわけだから。その30本のうちどのバトルのどのバースも、当然ながら8小節目はスクラッチ音が重なる。
それに気づかないくらい緊張していたという証左だろう。
お客さんも消化不良感があるまま、Baliwのバースに移る。
Baliwは、思いっきり僕に顔を近づけてガンを飛ばしてきた。その距離10cmほど。
「お前格好ダセえんだよ!そんなのはHIPHOPじゃねえ!」
全否定。
僕のことを全否定してくる。
「そんなダセえのにHIPHOPやるな!」
追撃。
お客さんはそれほど沸いていないが、僕はBaliwに圧されて下に視線を逸らした。
僕はBaliwが自分のマイクのコードを踏みつけていることに気づいた。
ちょんちょん、と下を指差してBaliwにアピールしてみる。
すると、今まで僕にガンを飛ばして粋がっていたBaliwも視線を下に落とし、少し申し訳なさそうな表情で足をどかした。
僕はなんだか少し愉快になった。
なんだ。こんな粋がってても根は良い奴じゃんか。
Baliwのバースが終わる。
僕は完全トップオブザヘッドでバースを蹴る。
「お前はフード被って素を見せてないんだ、フード脱げ、心まで裸になれよ。ダセえ奴は分かるんだよ、肌感覚で!」
細かいことは覚えていないが、こんなことを言った気がする。
会場の沸きは最低限。事故らない程度にBaliwのバースに移る。
「お前はダセえから帰れ!」
いや、待ってくれ。それ一辺倒かよ。
さっきあれだけ根の優しさが見えたはずのBaliwが、もう一回僕に顔を近づけてガンを飛ばしてくる。
僕はもう睨み返す気力もなく、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「終了!」
バトルが終わる。
「勝ったと思う方に声を上げてください。先攻、堕天狗!」
少しばかりの歓声。
「後攻、Baliw!」
同じくらいの歓声。
「うーん…勝者、Baliw!」
え?マジかよ。
とりあえずナメられないようにBaliwと握手し、その手を引き寄せて肩のあたりをパンパンと叩きエールを送ってステージを下りる。
「…帰ろっか」
僕と友達は逃げるようにそのクラブを後にした。
「いや、良かったよ!」
「先攻と後攻の差だな!お前後攻だったら勝ててたって」
二人のフォローが虚しく響く。
「いやあ、まだまだだったわ」
「まあ、また練習して出てよ」
「そしたら俺らもまた見に行くからさ」
「…そうだな」
僕たちは背中を丸めて宮益坂を渋谷駅方面に下った。
☆
翌朝、僕はスマホの目覚ましのアラームを止め、寝ぼけ眼で通知を確認した。
すると、Twitterから数件通知が届いていた。早速スワイプして確認する。
「Baliwです!昨日はありがとうございました!
堕天狗さんですよね?」
え?
目を擦ってもう一度そのDMを見直すと、それは確かに紛れもなくあのBaliwからのフォローとDMだった。
僕は急いで「そうです!こちらこそありがとうございます!昨日ははじめてのバトルで〜」とDMを返した。
バトルで当たった相手のTwitterはフォローするものなのだろうか?
そもそも、僕は一度だけTwitterでMCバトルに出場する旨をツイートしたけど、Baliwはどうやって僕のアカウントに辿り着いたのだろう?
DMを返して眠気が覚めると、いくつかの疑問が浮かんでくる。
しかし、答えは一向に分からない。
「僕も昨日は二年ぶりのバトルでした(笑)
また今度良かったら一緒に2on2に出ましょう」
DMが返ってくる。
なるほど。
バトルをして仲を深めたら、今度は仲間になってチーム戦に出るのが筋ってもんなのか。昨日までの強敵は今日からの友。なんたる少年漫画的胸アツ展開。
僕は全てが腑に落ちた。
「ぜひぜひ!」
僕はそう返信すると、ベッドから起き上がった。
☆
…という事件があってから、半年が経った。
あれからというもの、Baliwからの連絡はない。
僕は気づいた。
あれは社交辞令だったのだ。
HIPHOP界の「今度2on2出ましょうよ!」「マジでいいすね!」は、一般社会の「よかったら今度ご飯でも」「ぜひぜひ〜」なのだ。
少年漫画的胸アツ展開は、やはり3次元には広がっていなかった。
でも、僕は諦めていない。
次にバトルに出場する時こそ、今回の課題をクリアする。
バ↓ト↑ル↑で優勝してメイクマネーすることも、そこで出会った敵と少年漫画的胸アツ展開を繰り広げることも。
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