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8月の読書日記

かか/宇佐見りん
推し、燃ゆ/宇佐見りん
くるまの娘/宇佐見りん
訂正可能性の哲学/東浩紀

気になっていた「推し、燃ゆ」を読んだところから始まり、「かか」「くるまの娘」と続けて一気読みしてしまった。
これでもかと現実を現実のままに描き切る筆致。
遅れ、重たさ、閉塞感。
それでいて絶望しきれない様を描き切る、血のかよった人間臭さを持った物語。
読み切るのに体力を要するタイプの小説であると言わざるを得ないが、それと同時に「読まなくてはいけない」「より多くの人に読んで欲しい」そう思わせる何かがあった。

訂正可能性の哲学については以前に「現代思想入門/千葉雅也」を読んだ際に東浩紀氏の著作を改めて読みたい、と思い図書館に足を運んだところ目に入ったという理由で読み始めた。
第二部は読むのに体力が足りなくなりそうだったので第一部までの感想になるが、保守とリベラル、右と左の二項対立へのジンテーゼとして観光客的な存在を主張し、それを支える家族的なものの再定義、そしてその行為自体を訂正可能性という概念としてまとめ上げていた。
当たり前のように見えて言われてみれば確かに、と唸るしかないようなそんな新しさが感じられる概念だったのだが、それよりも本書の書かれ方が特徴的だった。
数々の古典的作品の引用とその再解釈、それでありながら初学者でも読みやすい文体は、あとがきを読むとなるほどと思うと同時に訂正可能性と持続性という本書で書かれたことそのもののように思えた。
書かれていることの内容にもまして書かれ方にも意味があるように思えたのは、現代思想的なものに慣れてきたからだろうか。
また自分が読めるときに第二部についても読みたいと思う。

実は他にもプラトンの入門書なんかを読んだりしたのだが、入門書を読んだくらいでプラトンは語れそうになかったので割愛。
光文社から出版されている文庫のテアイテトスやソクラテスの弁明を読んでみようかな、と考えている。
それとしばらく体力を使う読書が続いたので、久しぶりにシャーロックホームズでも読んでみようか、A・ハインラインの明日への扉も読んでいない。

今まで積み重ねをしてこれなかった人生だ。
読書の記録なんかだとしても、これを積み重ねていけば何かになるだろうか、そんなことを考えながら書いた九月最初の月曜日だった。

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