憤りの巡り
刑事裁判で腹が立ったことは結構多くある。
情状酌量のためだと思うのだけれど、
「かならず償います、出所したら何をしても償います」
という具体性のないビジョンと口から出まかせのような
可能ではないことを言われたことだった。
私自身は「これからは変わるから」という言葉を人生で信じたことはないかもしれないなと、35年を振り返って思った。
「謝罪や変わる宣言の言葉が聞きたいんじゃないんだよ、行動で見せてくれたらいいよ」
そんな風にいつも思っている。
子育てをしていて、子どもが「ごめんなさい」と同じことを繰り返す
(宿題の提出だとか)時があったけれど、「別に、宿題を出すか出さないかはママには関係ないけれど、困るのは〇〇ちゃん自身で謝ってほしいわけじゃなくて、行動で見ているから」と言うだけだった。
自分のためだと思ったときに、行動が変わったところはあるが、
娘の持つ発達障害の特性上、「自分のためと言うのは分かる」と
「タイミング的に出しそこなった宿題を出す」は全く違うのだが。
謝ることができない人間は最低だと思うけれど、謝りすぎると信頼性はどんどん下がるし、謝ったらどうにかなるのかなと思ってしまう。
加害者はひょっとしたら事件発生から受刑期間も「運が悪かった」程度にしか思っていなかったんじゃないかと思った。
今まで、女性を強姦したりしても捕まらなかったから、次も捕まらないだろうというような感覚で犯行してしまったのだろうと。
性犯罪の暗数(表に出ていない被害)は途轍もなく多い数字だと思う。
そこに乗じて、犯行を繰り返して、検挙されたら「運が悪かったと思う」
と供述で出ているので、検挙されたときだけでなく10年間にわたって、
「運が悪かった」と思っていたって、おかしい話じゃないと思う。
私自身は、塀の外で犯罪被害者として社会的マイノリティをひたかくしにしながら、生きていくために働くことをしたり、カウンセリングを受けたり、毎日多い日だと2本注射を打って仕事に行ったりしていた。
それだけの痛みというものを抱えながら、塀の外で生きる私も自由を奪われたも同然の暮らしだったと思う。
精神的に揺らぎが起きてしまうと、情緒不安定になるから、
喜怒哀楽と言うものをなくしてしまったと思う。
きれいな花を見たら、昔だったら「このバラはなんていう種類かな」と
胸をときめかせたりした。けれども、きれいなものをきれいとみてしまうと、盛者必衰の理と思えてきてしまう。
「人として、私は終わっている」と言うような気持に何度となく陥った。
真実を私は聞きたいだけで、終始に渡って情状酌量を求める加害者の言葉というものに恐怖心すら感じた。
犯罪被害に遭ってから「大丈夫だよ」と言うことが本当に増えたと思う。
全然、大丈夫ではないのだけれど、「大丈夫」と言うことで善意の言葉によって傷つきたくない、その人を嫌いになりたくないと思ってしまった。
「死んでないだけよかったじゃん」
「刑務所に入ったんでしょ、ならいいじゃん。」
「シリアの人たちは、あなたより辛いんだよ」
「強姦されたわけじゃないんだし、減るもんでもないし」
と心無い言葉を思い返せば、いくらでもある。
おそらく、発言している人は私を鼓舞するつもりであったり、慰めるつもりで言っているのかもしれないけれど、その言葉を言う姿に優越を感じているように思われるときもあった。私はシリアにも住んでいないし、国際情勢として関心を持つべきことではあるけれど、そこと同列に論じることは違う。
「一体、あなたに何がわかるんだ」と思いながらも「そうですね」と言ったり、「大丈夫ですよ」と言うことで身を守ることしかできなかった。
論点をずらして、真実を語らないこと自体が罪だと思う。
被害者は真実を知りたい、そこに嘘をついたところで罪が消えるわけでもない。「いじめに遭っていた」「両親が中3で離婚した」「妻が統合失調症で性行為がままならない」と言うのは、情状酌量のためだと思うけれども、
情状酌量を狙えば狙うほどに被害者の腸は煮えくりかえる。
どれだけ下衆な答えでもいいから、生々しい真実を加害者の口から聞きたいと思っていた。
客観的な根拠や証拠をつきつけられても、考え方をかえることなく思い込みの世界か思い込みすぎて真実になってしまったのかわからないけれど、答えになっていない言葉が返ってくると、キャッチボールにならないで壁にボールを当てるような形でしかない。
もどかしい気持ちと言うのが先行して、被告人質問で語気を強めて質問したりしたこともあった。「なんで、あなたはやってはいけないことの分別ができないのか」と聞いても「社会が悪いから」と答えになっていないことを言う。
「被害者の方は僕のせいで、離婚するとかお子さんを抱っこ出来ないとか家庭を壊してしまってごめんなさい。だけど、僕も離婚をして家庭が壊れてしまいました。けれど、出所したらまた妻と幸せになります」と言う、宣言が私の怒りの頂点だったと思う。「なぜこの期に及んで、自分も被害者のように離婚したことを語り、けれどまた同じ妻と幸せになる」と言えるのか、まったく私の人生の経験値が足りないから理解できないのか、本当におかしなことを言っているのか区別すらつかないような複雑な気持ちになった。
加害者は、出所間もなくして不審死しているところからして幸せになるということは諦めたのだと思う。
諦めるって、非常に簡単なことで努力をしない選択をして5分程度苦しんで死ねばもう苦しむことがない。
やはり、何度考えても「生きて苦しみの中で償ってほしい」と言う気持ちはいまだに消えない。
怒りをぶつける持ち続ける相手がこの世から消え去ってしまうって、本当に大きな喪失だと思う。私は今まで以上に、持たなくてもいい気持ちを持ちながら1日1日を生きて、「なんでこうなっちゃったのかな」と意味もないことを考えたりする。
裁判は言葉で構成されている。一度述べてしまった言葉は、飲み込むこともできないし、「被害者はうそを言っていると思う」と供述したかと思ったら、「被害者はうそをついていない」と言ってみたり、一貫性のない供述をし続けることはリスクヘッジ以前の問題だと思う。
私は、事件発生から結審、上告棄却まで本当につらい気持ちだった。
特に現場検証で指をさすとか、検察での状況の実験の際に、空いたドアを見て「また死ぬんじゃないか」と本気で思ってしまった。
いい大人が、人前で恐怖を感じて慄くということはとても恥ずかしいことだし、けれどもそれを押し殺してでも参加しなければいけないと思った。
「真実」を知りたい、「混じりけのない真実」を知りたい、裁判とは真実が知れる場所だと思っていたけれど、大きく裏切られた気持であった。
加害者の弁護士からは人権を踏みにじるような発言が何度も飛ぶし、けれども「それも仕事だろう」と割り切ってはいても、「抱きつれて、パンツに手を入れたことはそこまで悪質じゃない」「20万円を供託した」と言う、非常に馬鹿にしているのかというような気持が常にある刑事裁判だった。
刑事裁判や様々な機関とのやり取りをしながらも、私は日常生活を営んでいかなければいけないし、被害回復するためにも厭世的な自分を能動的に光をつかみ取るマインドにしなければいけないと思っても、本当に難しいのだ。
自分が意識していない世界でフラッシュバックをして、「なんでまた怖い思いをする」という現象は、生き地獄のように恐ろしい。
「私が代わりに刑務所に行ってもいいから、後遺症を消してほしい」と思った「刑務所に行かなくていいから、お前も同じ後遺症を負え」と思った。
腰椎圧迫骨折の後遺症で色々な専門医に掛かっても、「対処治療しかない」と言われる、崖から突き落とされるような現実を何度も見ている。
真面目に生きてきた人間が、こうやって優しさを失っていくというフローを客観的に考えたとき、犯罪被害と言うものは人から幸せな暮らしや家族の絆を失うだけでなく、私の持っていた尊厳というコアの部分を奪われた現実を受け入れるということには、防衛機制で否認と言うものが常に移ろいで働いて、受け入れられない自分を責めることも多い。
「優しさ」と言うものはある程度心にゆとりがないと持てるものではない、ゆとりがなくなれば、人は厳しくなってしまう。その経験をしてきて、自己嫌悪とぐちゃぐちゃになったものが混ざり合って混沌となる。
罪を償うってなんですか。
ってやはり思う。神様や仏様はいるのかと言うほどに形而上学的だし、つかめないものだと思う。
その「償い」をテーマにした刑事裁判って本当に何の意味があるの?と疑問が絶えなかったうえに、私は事件が起きたときに「求刑を絶対上回る判決を勝ち取る」と決めていた。結果的に1年であるが、上回ることは出来た。
その判決が出たときに思ったことは「だからなんだっていうんだ」と言うものだった。ものすごい虚しさが私の心の中で渦巻いたし、控訴されたときには腹が立ち、三審制の司法制度では当然の権利だと思うが、上告の棄却までの時間も本当に普通の社会人として生きることや「腰痛もちで、注射を打ってから通勤したい」と社長に言って、時差で出勤していたけれど、「なんで腰が痛いのか」の事実なんて話せなかった。話したら、私はものすごく肩身の狭い思いで生きていかなければいけないような気持になったから。けれど、社長や同僚の優しさを頂戴しながら、なんとか貢献していきたいと思っても、日常生活に暗い影がいつもついて回る。
私の父親は私と性格が真逆でポジティブな人で、
「意味のないことなんて、起きやしないんだよ」だったり、
「自賠責からお金はいるからよかったじゃん」と言うような、
父親なりの慰めかジョークか分からなかったけれど、
私からしてみれば父はそもそも人として醜悪の最終形態だと思っているから、ショックは受けなかったが「金じゃないんだよ」と言うような気持でいっぱいだった。
分かってほしい人に分かってもらえない悲しみやもどかしさは誰しもにあると思う。
私は私らしく、生きていきたいただそれだけの人間としてなんの疑問もない願いさえもが様々な角度から牽制されたように思っている。
人生に「意味のないことは起こる」と考えている、ただ人間は脳が発達しているので起こってしまったことに後付けで意味を持たせることもできるけれど、意味をもたせることすらできない物事だって起きてしまう。
加害者が死んだことも意味なんて私の中には一欠けらもないけれど、意味を持たせないと耐えられないくらいに辛いのだ。
だから、いいように考えたら「加害者は自分の命で償った」とか絶対にありもしないことを考えたりもする。けれど、自分のその考えに疑問符は当然湧いてきて「死んだから何がかわるんだ」と言う思いがふつふつと湧くし、
この気持ちを共有できるような環境ではない。
カウンセラーや医師も私に精神的回復の機会を与えてくれているけれど、
「一体、何がわかるんだろう。臨床でも人それぞれ違うだろうに」という斜に見る気持ちを持ってしまう。
苦しさって、いつまでもいつまでも尾を引いて死ぬ時までずっと憎しみを持ち続けると思う。人を憎しみ続けるということには途轍もないエネルギーが必要であるし、何かを生んだとしても恨みを原動力にした努力は達成できたところで、虚しさしか生まない。その経験を事件に遭ってから、何度も何度も体験してきた。けれど、世の中の人のバイアスは強いもので、
「自分は犯罪被害と無縁」くらいに思っている。私自身もそうだった。
実際に降りかからない限り、自分は大丈夫と言う根拠もない思いがある。
また、明石市は犯罪被害者の損害賠償を上限はあるが、一部肩代わりするという条例があるのだけれど、同じ日本で住んでいるところが違うだけでこうも差があること自体がおかしい。国の予算からして、犯罪被害者の被った被害を社会福祉の中に組み込むことは可能だと思う。訴訟提起の弁護士費用から印紙代、すべてをなぜ被害者が負担しなければいけないのか。
治療費も自分が支払うのか、救われなければいけない早期のタイミングで救われなけば、後々の苦しさには雲泥の差がある。
支払われない損害賠償請求に何十万も支払いをして、紙の上での判決を勝ち取ったところで、生活は一変することもない。
法律自体が時代に則していないという点はあると思う、社会は移ろい状況は変わっているのだから、法律自体も柔軟に見直されるべきだと思う。
インパクトのある犯罪に関しては法案がすぐ通るのに、犯罪被害者と言う部分になると牛歩のように遅く、何かがこの10年で変わったような気がしない。昔、祖母が特殊詐欺に2回被害にあったけれど、今から13年くらい前の出来事で「調べるけど、お金直接渡してるから、おばあちゃんがあげたんじゃないの?」と言うひどい答えが返ってきた。今では、特殊詐欺に対してすごく刑罰であるとか、出し子や受け子の検挙率も高いのだけれど、そういった事件が少なかったときは、まったく警察は相手にしなかった。
そのあとに祖母は「わしは、馬鹿な人間だ」と認知症になってしまっていった。高齢者をだまして、金銭を詐欺によって搾取すること自体が重い罪で、そのあとの高齢者の心理的辛さと言うものは想像を絶すると思う。
今でも、その特殊詐欺の犯人はどこかでのうのうと生きていると思うと私は非常に怒りを感じるし、特殊詐欺の件数が増えたらやっと重い腰を上げるという、警察のありかたに「国民を馬鹿にしているのか」と思う。
警察官を装って、「貯金を2か所に分けていると危ないから、引き出して管理しましょう」と引き出したお金を持っていかれて、どこが詐欺集団にあげたとなるのか。警察と言う組織は国民の味方ではないことはよくわかっている。もしも、100%国の秩序を守り国民を保護するという気持ちがあるならば、ひどい言葉が出てくるわけがない。性犯罪被害者にも落ち度があるようなことを言う時点で、組織として終わっているとすら思った。