xtcblar(ブラー)

女装が得意でゲームが好きで昔の小説に詳しいです。

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初めての女装用品

女装したくなったら衣装買っちゃうよね。わかる。私もそうだった。 だいたい次はウィッグじゃないかな。 で、あと何がいるの?に対するわたしの答え。 最初にいるもの・衣装……えっちなのは今後でいい。とりあえずスカートと下着一択。長さは好みだ。トップスはユニクロでTシャツ買えばいい。とにかく下半身の心もとないドキドキを味わってほしい。 ・ウィッグ……Amazonで「FESHFEN」を検索して出てくるやつ。 わたしはもうここの以外買えないかもしれない。つむじも抜け毛対策も抜群

    • わかるひとにしかわからない言語の話-2.1-

      言葉には意味があります。ということの意味はまだよくわかっていません。 われわれはもっとも素朴な考えとしてまずこう考えます。 「言葉は現実世界に存在しているモノやコトを指し示している。」 これは意味の指示説と呼ばれる考え方です。つまり、ある言葉は現実世界の何らかと常に対応しており、言葉は現実世界の何らかを矢印で指し示すことができる、という理論です。 たしかに。 椅子、と言えばあなたがいま座っている椅子を指で示せますし、空、と言えば上を見上げて天高く指を突き立てられます。

      • だれでもわかる言語哲学講義-第1回-

        なにより重要なのは、言語は“かならず”誰かによる行為であるということです。このことを忘れて言語を現存在から切り離せば、標本の昆虫を観察するように、いくらためつすがめつしようと、言語の形だけしかわからなくなってしまいます。わたしたちが言語に触れるとき、そこには必ず発話者の息づかいを感じ取らなければなりません。それゆえ言語学と言語哲学の領域はわかたれ、言語学者は標本の言語を扱い、我々は生命ある言語の深淵を覗き見ます。 それではまず、「危険」という言葉を辞書でひいてみましょう。

        • 蜃気楼

          他者との出会いは否との出会いである。 端的には自己でないものが他者であるから必然である。 そうして否のない世界で、意識は他者と出会わない。 この単純なルールは、その単純なあまり我々の意識が目を覚まして世界を見つめるようになった途端意識の底深くに入り込んで二度とは見えなくなる。いつか再び出会うのはそれが否の姿をとって世界の内から飛び込んできた時である。 出会いを恐れる必要はまったくない。 むしろ自己をなによりも恐れよ。他者を作りかえて世界の外に連れ出すことのないように。わたしと

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        初めての女装用品

          よくわからない話

          わたしには体育祭の思い出がほとんどない。 高校1年の秋、体育祭で誰がどの種目に出るのかを決めるクラス会議での委員長の顔。 「その日休むから不参加で」 障害物競走のくだりになって自分の名前が出たとき、何となく言いづらかったそのセリフをついに吐き出したわたしであった。 一瞬教室全体の動きが止まった気がした。だから言いたくなかった。 「え、なんで?」と委員長が目を丸くした。 「え… いやまあ…体育祭とかそういうのやりたくないというか……」 と、言った時の委員長の顔である。わたし

          よくわからない話

          遮光カーテンと北向きの窓

          聖書をときどき読むのである。 福音に興味はなく、ただ知識として読むのだ。 ラザロのくだりが印象的だ。ラザロが病気になる。イエスは「ラザロ死なないよ〜」って言ったのにラザロは死ぬ。それから4日も経ってイエスに生き返される。それを見てみんなは福音を信じる。バカどもめ。そんな信仰は贖罪と復活を得るための手段じゃないか。出世したくて上司に媚びへつらう無能とどう違うんだろう。 同じ本に、わたしたちは神によって霊を吹き込まれた土くれであると書いてある。そういえばMan is spirit

          遮光カーテンと北向きの窓

          エロゲ学のメモ

          当たり前だがエロゲにもさまざまなジャンルがある。 大きく3つに別れると思うが、抜きゲー/キャラゲー/シナリオゲーである。そして三者は三すくみである。 抜きゲー、シナリオゲーというのは読んで字のごとく表現されるとおりに理解すればよいが、それぞれ三すくみであるために中庸であるものの方が数が多い。 抜き寄りのシナリオゲーやシナリオ寄りの抜きゲーなどというのはいまいち想像が難しいが実際にはたくさんある。それはゲーム自体の性質よりもプレイする人間の性癖が多様であるからだ。 音楽において

          エロゲ学のメモ

          エロゲ序説

          いわゆるPCゲームである。 そういうものがいつからあるのか知らないが、私がそれに出会ったのは20xx年頃、悪い先輩の押し付けによるものだった。涼宮ハルヒの憂鬱やらきすたといった初期の京都アニメーションが持て囃され、徐々に他人ともアニメの話ができるようになり始めた頃……今では考えられないが、深夜アニメというのは今で言うと「ジュニアアイドル」くらい他言無用のヤバい趣味であった。 そのような社会情勢で「エロゲ」がどのような立ち位置であったかは説明するまでもない。それを先輩はわたし

          おもしろ哲学「物自体」

          わたしたちは物自体を知ることができません。 机自体を知るにはどうすればいいでしょう? 机を叩くと音がしますが、それは波として空気を伝わった机の振動です。机の表面は滑らかだけど、それは指先が伝える机の凹凸具合であり、押したときの硬さは机の反発力であり、目に映っているのは、机の表面を反射して瞳に届く光でしかありません。 わたしたちは物自体を前にして、それが発するあらゆる情報を感じられるのみであり、情報をこえたところの物自体に至ることは決してできない。というのが「物自体」という

          おもしろ哲学「物自体」

          生きにくさ一覧

          生きにくいので生きにくさを感じたときにメモしてみました。 ・書いてある通りにココア作るとめっちゃ粉っぽい ・梅干しの甘いヤツの存在 ・チェンソーマンでレゼ編はいらないのに面白いとされている ・梅干しの甘いヤツを作ってる農家を襲撃してすっぱいのに変えさせるテロリスト集団「白干し」の頭領になりたいがそうすると犯罪になる ・わたしより価値のある人が死ぬ ・10年も前からおなかがいたい ・君たちはどう生きるか すずめの戸締りはどう考えてもそれぞれ最高傑作 ・19万円の古臭いエロゲが

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          おやすみ

          わたしは決して無礼なのではありません。 カレンダーのいかなる数字が増えようとなんとも思ってないだけです。

          12月27日

          昔の友達が離婚したって。 わたしは結婚も出産もしょうがなくするものだと思っていたので、その類いの報告を聞けばいちおう嬉しいかどうか確認してからお祝いしていたのを思い出した。 当時のわたしからすればささやかな気遣いだが、今思うと下手くそだったなと思う。いまは上手になったのでそんなことはしないのだ。 ラインで「やったやん!よかったな」と言うと、「だいたいお悔やみ言ってくるけど絶対そっちよな。」という返事があった。 いぇい。

          12月17日

          noteの下書きはゆうに100を超える。 途中まで書いたもの、最後まで書いたけど見せる気にならなかったもの、書いたことすら忘れていたもの。 昔は今よりもたくさん文章を書いてたくさんの人に見せていた。まだわたしはふつうだった。 今は昔と違って自分の知識や考えや想像をわざわざ人に読ませてやる優しさがなくなった。漫画や小説を書く人は特に優しいと思う。自分だけで楽しめばいいのに。 ギターを弾くことを人に見せなくなった。本を書くことを人に見せなくなった。絵を描くことを人に見せなくな

          10月17日

          われわれ(あえてね)にとってストーリー、筋書き、なんてものはどうでもいい。始まって終わりさえすれば十分である。 物語作品に対する考察はインターネットにおいてそのほとんどがストーリー上隠された秘密に対する予想である。 これは文学的な作品の理解からむしろ遠くに位置する。もしあなたがそのような考察をもって作品を理解したと思うならば、その作品は決してあなたの人生になんら影響しない。例え振り返ってみても、「面白かった」「𓏸𓏸がよかった」「泣けた」「怖かった」「主人公が好き」という、キ

          たくさんいる友達の話:ホイットマンについて

          アメリカの詩がよいのである。日本の詩ほど内向的じゃないし、中国の詩ほどいかめしくもない。 むかし英米文学に傾倒していて、シリトーだのヘミングウェイだのフィッツジェラルドだのシェイクスピアだの……読めばいちいち感銘を受けて頭を抱えていたのをよく覚えている。英語というのはなんて文学的なのだろうとおもって、英語の詩に手をつけたのは21歳くらいだっけ。 アメリカの詩といえば、やっぱりホイットマンだ。有名な「おれにはアメリカの歌声が聴こえる」を紹介しようと思ったが、それよりも印象深い

          たくさんいる友達の話:ホイットマンについて

          ピアノと世界のつくりかた

          鍵盤の美しい並びはすなわち音符の美しい並びを再現していて、両手を広げれば届くたったこれだけの白と黒のどこかに、バッハだってサティだって、わたしも、隠れている。 じゃん。ちいさな左手を広げて三度と五度。右手は順番に指を動かそう。たらら。 世界は単なる色の配置ではなく、言葉を通してわたしの中に入ってくる記述の連なりなんだって。だったらわたしはわたしをどのように記述すればいいの? どうしてもわからなくて聞きたいんだけど、そのことを教えてくれた友人は、わたしが生まれる頃にはとっく

          ピアノと世界のつくりかた