遮光カーテンと北向きの窓
聖書をときどき読むのである。
福音に興味はなく、ただ知識として読むのだ。
ラザロのくだりが印象的だ。ラザロが病気になる。イエスは「ラザロ死なないよ〜」って言ったのにラザロは死ぬ。それから4日も経ってイエスに生き返される。それを見てみんなは福音を信じる。バカどもめ。そんな信仰は贖罪と復活を得るための手段じゃないか。出世したくて上司に媚びへつらう無能とどう違うんだろう。
同じ本に、わたしたちは神によって霊を吹き込まれた土くれであると書いてある。そういえばMan is spirit. Spirit is the self. だ。じゃあ自己ってなにかというと、それは関係である。その関係それ自体に関係する関係である。あるいは関係において関係が関係自身に関係する、そのことである……らしい。偉い人によるとね。よくわからないけど、わたしのイメージするラザロがよたよたと復活する姿が浮かぶと、そんな文章を思い出すし、そんな文章を思い出すと、ラザロがその後の人生で「じゃあ死ぬ前に助けてくれよ」と一度も思わなかったかどうかが、気になって、よく眠られないのだ。
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