バウンダリーと調整役
久しぶりに母と過ごした1日。
いつからか家族といると疲れるようになってしまって、せめて正月だけ顔を見せればいいかと思っていたけれど、最近はだいぶ大丈夫になった。
"あなたとわたしは違う"
今となってはごく当たり前のことに、私はずっと気づいていなかったのかもしれない。
これが何かの本で読んだバウンダリーと言うやつだったのか。
久しぶりに母に会うと「やっぱりわたしとは違うんだ」ということを自然と感じられた。
私はこう思うけど母はそう思うんだ。
(私という青色と母という赤色があるだけ)
母がいいと思うことと私がいいと思うことは違う。違くていい。
母は母でいいし、私は私でいていいんだ。
(赤は赤でいいし青は青でいい)
そんな風に思えるようになった。
(時々混ざりそうになるけど、混ざりそうになっている自分に気づく)
赤や青に限らず、人はいくつかの色をその都度変化しながら持っているから、2人の色が重なることもあるし、一緒にいることで生まれる色もあって、その重なる部分を大切にすればいい。
母と私は真逆の色も持っているけれど、どこか同じ色も持っている。
そう思えることに、歳を重ねるのも悪くないなと思った。
・
ところが、母と2人でいる時は混ざらなかった色が、妹が合流した途端に混ざってしまった。
混ざったのは母と妹。
はじめて自分の家族を客観的に見た気がした。
事の始まりは、3人で夕飯を食べていた時に妹
と母が喧嘩になったこと。
どちらの言ってることもわかる。
けれどどちらも自分の考えに相手の考えを合わせようとしている部分があって、そこで摩擦が起こっていた。
それお母さんの問題じゃない?(妹が背負ったり干渉することじゃない)
それ妹の問題じゃない?(母が背負ったり干渉することじゃない)
そう思う所が入り混じっていて、つい言葉を挟みそうになったけれど、事が収まるまで反応せずご飯を食べた。
ひと通り熱が冷めたタイミングで
母に「ちょっと夜さんぽいかない?」と誘った。
いつもひとりで行ってるくらいだから一緒に行きたいと支度を始める母。
妹には「今度家に遊びに来るって話してたやつさ、ランチはどこがいい?」と話しかけてみる。
母が別室で支度をしている間に。
お店が決まり、来月楽しみだね〜と妹。
その時気がついた。
わたし、ずっと家族の調整役だったんだ。
それに似たような事を、学校でも会社でもやってたや。自意識過剰かもしれないけど、わかっててやってた。
頼まれてもいないのに、自分もいっぱいいっぱいなくせに、ずっとそれをやっちゃってたんだ。
そうやって自分が分からなくなっていった。
・
話が少し逸れてしまうけれど、昨日まで1週間、シェアハウスに滞在していた。(ここでの気づきが繋がります)
人生初のシェアハウス。
住むことを検討してのお試しではなく、場やコミュニティのあり方を体験させてもらう形で滞在させてもらった。
これまでは、自分が人と「混ざっちゃう」ことが怖くて、ひとり暮らしはあるけれどシェアハウスなんて絶対無理だと思っていた。
でも、そこでの1週間は「そのままの自分」でいられる安心感があった。
(「馴染みすぎてて、もともと置いてあった家具かと思った。」と言われたくらいには)
「パーマカルチャー」や「多世代共生」をコンセプトにしているものの、難しいことを抜きにして説明すると、
・そこでは誰かに干渉されず(初めましてだからみんなそろって自己紹介!とかもない)
・ルールもなく(できる時にできる人ができることをやろうの感覚)
・かといってただの同居人(場だけシェアして無関心)でもない
暮らしを軸に、お互いを見守り合えるそのあり方が、安心そのものなんだと思った。
・
その感覚を思い出しながら、自分の家族を振り返った時、わたしはもう自分で安心を作っていいんだと思った。
わたしは家族を変えられない。
けれどわたしがわたしのままでいることはできる。
もしかしたらそれが、家族との関わり方も変えるかもしれない。
もしかしたら。
・
母と夜の街を眺めながらそんなことを感じて、また「歳を重ねるのも悪くないな」と思った。
家族の色がどこから混ざりすぎてしまったのかはわからない。
でも、それぞれの色がそれぞれのまま一緒にいられたら、それはとても豊かなことだと思う。
家族といえど、
他者といえど、
同じ月の下、
共に生きられたらと願った夜だった。
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