「美しい」ってなんだろう?
今夜は毎月やっている哲学対話会の日。
「哲学」と言っても必要なのは知識ではなく、「?」=「問い」を深めていくことがそれになる。
今日の問いは"「美しい」ってなんだろう?"
最近美しいと思ったエピソードを参加者が語るところからはじまり、いろんな角度から「美しい」を眺めていく。
景色やアート、人の心にそれを観たというエピソードを起点に、いろんな声があがった。
・美しくないものがあるから美しさを感じるのかも
・心のゆとりがあるかどうかじゃないかな(ex.心が荒んでる時は道端の花を美しいと思えないかも)
・その時だけ、刹那的なものに感じる(ex.桜や蛍など。もし年中見れるものだったら美しいと思うのかな?)
・種の保存のため(汚い環境や状態を本能的に避けるのかも)
他にも時代によって変わるよね(平安美人と現代の美人)とか主観によって変わるよねとか、「美しい」をなんとなく共通認識としては感じているものの、その核はとても深い。
なかでも面白かったのが、「"自然"に感じる美しさと"アート"に感じる美しさはなんか違う」という意見。
具体的な言葉に収まりそうにないのでイメージしてみると、"自然"は持っていたコップの水がつい溢れてしまったかのように「美しい…」と感じるのに対して、"アート"は井戸の水を汲むように「美しい」がじんわりやってくると思った。
個人的にアートの場合は、「美しい」よりも先に「すごい」とか「なんだこれ」とか圧倒されることが第一印象で、対象に入り込んでいくうちに「美しい」も含めたいろんな感情が湧いてくる気がする。
「美しい」の基準はさまざまだけれど、アートに関して言えば「自分自身でも気づかなかった何か」を秘めているものが美しいとわたしは思う。
自分自身でも気づかないというのは、もっと言えば作者さえも作品に気づかされるということ。
作品を作ったのは作者だけれど、意図して作ったというより自然と生まれ出たものという意味で、人智を超えた何かが宿るような。
その意味で、"自然"も"アート"も人智を超えた何か、操作し得ないものの中に「美しい」は眠っていると思った。
(操作し得ない、けれどついうっかり自分の一部が現れちゃうようなものを生み出したいなぁなんてことも思いながら。)
そんなことを考えていたらあっという間に2時間。
哲学対話では「結論を出す」という終わりはなく、ほどよい余韻を残したまま終わる。
大の大人が10人集まって「美しい」を問うた夜。
今こここの時間こそが「美しい」じゃんなぁと気づいてしまい、つい書き残してしまった。
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