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色と形のずっと手前で

デザインを生業とする女性が母親になっていくまでを描いたエッセイを読んだ。

タイトルは、
『色と 形の ず っ と     手 前で』。


文字と文字のスペースに込められた表現が、何かが生まれてくる過程のようだなと手に取ってみたら、ヒトが"産まれてくる"方の本だった。


去年から身近に妊婦さんがいることもあり、「出産」というワードが以前より現実味を帯びている。


先日出産した友人からは時々状態は聞いていたものの、実際の日々が未知すぎて ((無事に産んでくれ…!)) と祈るばかりであったし、
職場にいる妊婦さんは、日に日に変わる体調を間近で見ていても想像でしか寄り添えなくて、こんなにも無力なのかと思う。


妊婦さんに限らず、ここ数年で出会った女性の中には、子育てをしながら第一線で活躍し続けている人もいれば、子育てが終わって自分探しをしている人もいたし、不妊治療をしている人、結婚という形にはこだわらない人、子どもは持たずにパートナーとの時間を育んでいる人。本当に十人十色。



それぞれの生き方に魅力も悩みもあって、人生って複雑で豊かだなと思う。

そして私も彼女たちと同じ女だったということを30歳を超えて実感することが増えた。

年齢の変化もあるだろうけど、どちらかというとカラダの声を無視し続けた20代だったので、「あれ?これってPMSだったの?」とか「生理って自分を労わっていいやつなの!?」とか「女性の体って変化多すぎない!?」とか耳を澄ませてみたら気づいたことがたくさんあった。


そんな時にこの本を読んでみて、女性の私が私として生きるってなんだろうと思った。

著者の長嶋りかこさんは、男性と同化してキャリア優先で働いてきたけれど、妊娠をきっかけに自分は男性と同じ体の仕組みじゃないことをはじめて実感したそう。


かくいう私は、キャリアを優先する生き方も結婚を望む生き方もしてこなかったけれど、「女だから」は何かを選択する時の優先度としては低かったように思う。


著者との共通点をあげるとしたら、小さい頃から男の子と同じでありたいと思っていた節があるところで、「女の子だから」という言葉にまとわりつく抑圧や不自由さに抗いたかったのかもしれない。


「○○だから」という言葉で可能性を狭めたくないからか、自分が女性だという前提から目を背けがちだったけれど、それに纏わる本がこんなにするんなり入ってくるとは思わなかった。



自分の想像をはるかに超えて体も心も変わっていく世界を知ることは、今よりちょっとだけやさしさの視点が広がる気がする。 人にも自分にも。



出産を経験したことがないひとりの人間として読んでいるものの、男性にこそ読んでほしいやつだ〜〜〜としみじみ思う。




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