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【つの版】日本刀備忘録40:阿弖流為

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

 南北朝時代に成立した『太平記』、室町時代に成立した『鈴鹿の草子』や御伽草子『立烏帽子』などによれば、坂上田村丸/稲瀬五郎坂上俊宗は伊勢の鈴鹿山へ派遣され、立烏帽子/鈴鹿御前なる女盗賊と戦ったといいます。また彼は高丸大嶽丸とも戦うことになりますが、その経緯についてはいくつかのバリエーションがあります。

◆北◆

◆天◆


田村草子

『鈴鹿の草子』より後に成立したと思しい『田村の草子』上巻では、日龍丸=俊仁将軍の生涯と、その子・田村丸俊宗が金礫を打つ化生の法師霊仙を討伐するまでが描かれ、細部に差異はあるものの『鈴鹿の草子』と同じです。違うのはこれ以後、すなわち鈴鹿御前に関する部分を記す下巻です。

 霊仙に続いて田村丸が討伐を命じられたのは、立烏帽子/鈴鹿御前ではなく伊勢国鈴鹿山に棲む鬼神・大嶽丸です。田村丸は3万騎を率いて討伐に向かいますが、大嶽丸は飛行自在で黒雲の中に身を隠し、暴風雨や雷電、火の雨を起こして官軍を苦しめます。悩んだ田村丸が神仏に祈念すると、夢の中に老人が現れて「この山に住む鈴鹿御前の助力を得よ」と助言しました。

 田村丸が3万の兵を都へ帰し、単身鈴鹿山中に分け入ると、うら若き仙女が現れて館へ誘い入れ、一夜の契りを交わしました。彼女こそが鈴鹿御前です。鈴鹿御前は「私はあなたを手助けするため天から下った者です。大嶽丸は前々から私に言い寄っていましたが、いつも誘いを断っていました。私が彼に靡いた振りをして油断させますから、襲いかかって討ち取りなさい」と助言します。そして田村丸を伴って秘密の抜け穴から大嶽丸の屋敷へ赴き、田村丸を屋敷内に潜ませて大嶽丸を待ち受けます。

 鈴鹿御前が来たと聞いて大嶽丸は大いに喜び、懇ろにもてなして油断します。しかし彼は天竺の阿修羅王から日本の仏法を妨げるために授かった大通連・小通連・顕明連という3振りの宝剣を所持しており、これがある限り倒せません。鈴鹿御前は言葉巧みに大通連と小通連を預かりますが、顕明連は天竺にいる大嶽丸の叔父の三面鬼が所持していました。ともあれこれで大嶽丸は無敵でなくなり、田村丸は名乗りを上げて戦いを挑みます。

 大嶽丸は「粟散なる小国の帝の臣下がいかほどのものか」と嘲笑い、氷のような剣鉾を300本も投げつけますが、田村丸は千手観音と毘沙門天の加護により傷一つ負わず、騒ぐことなく神通の鏑矢を放ちます。それは数万の矢の雨となって鬼神の眷属を尽く打ち払い、大嶽丸は岩に変化して防ぎますがソハヤノツルギを投げられ首を刎ねられます。田村丸は鬼たちの首を荷車に積んで都に凱旋し、褒美に伊賀国を授かりました。田村丸は鈴鹿山で鈴鹿御前とともに暮らし、聖林という姫君を儲けますが、ともに都で暮らそうというと鈴鹿御前は首を振り、田村丸はやむなく一人で都に戻ります。

大嶽復活

 続いて『鈴鹿の草子』と同じく近江の高丸を討伐に行くこととなり、高丸は信濃・駿河を経て外ヶ浜へ逃げます。鈴鹿御前は夫が苦戦していると聞いて外ヶ浜へ神通の車で駆けつけ、高丸の城の前で舞を踊って誘き出し、顔を出した高丸たちを田村丸に討ち取らせます。田村丸は都に凱旋して恩賞を受け、再び鈴鹿山に戻って鈴鹿御前と暮らし始めました。

 ところが大嶽丸は天竺に残しておいた顕明連の剣を依り代として復活し、天竺から陸奥国の霧山岳に立て籠もって再び世を乱そうとします。これを察知した鈴鹿御前は田村丸を都に戻させ、名馬と神通の車に乗って霧山岳に向かいます。大嶽丸は蝦夷ヶ島の鬼神・八大王と会見しており留守でしたが、じきに黒雲に乗って帰還し、田村丸を見つけて嘲笑います。田村丸は三面鬼を神通の鏑矢で射て血しぶきに変え、飛びかかる大嶽丸の首を剣で刎ねますが、首は空中から襲いかかり、田村丸の兜に食らいつきます。しかし力尽きて動かなくなり、田村丸は鬼の首と顕明連を獲て凱旋しました。

 鈴鹿山に戻った2人は仲睦まじく暮らしますが、鈴鹿御前は寿命が尽きて亡くなります。悲しんだ田村丸は冥途へ降り、「鈴鹿御前を生き返らせろ」と倶生神や十王(冥府の王)らを脅しつけ、大通連の剣を抜いて暴れまわり、帝釈天(天帝)の宮殿を焼き尽くします。驚いた閻魔大王は2人を生き返らせ、帝釈天は彼らに3年(娑婆では45年)の寿命を与えました。かくも不思議な神通力を現したのは、田村丸が(毘沙門天ではなく)清水寺の観音の化身、鈴鹿御前が竹生島の弁財天の化身であって、衆生済度のために仮に人間の姿で顕れたためであったといいます。

 近世には東北地方に奥浄瑠璃『田村三代記』なども現れ、全国各地に様々な田村丸の伝説が広まっていくことになりますが、きりがないのでこれぐらいにしておきましょう。田村丸が退治したという鬼神・大嶽丸は、諏方大明神画詞における「安倍高丸」「悪事の高丸」、元亨釈書の「奥州の逆賊高丸」に酒天童子や仏典の阿修羅・羅刹などの描写を盛り付けたものでしょうが、吾妻鏡では坂上田村麻呂と藤原利仁が「賊主の悪路王赤頭」と達谷窟で戦ったことになっています。「悪事の高丸」が「悪路/赤頭」から来ていることは見て取れますが、そもそも悪路王とは何者でしょうか。

阿弖流為

 坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷討伐を行ったことは史実であり、彼と戦った蝦夷の「賊帥」には「阿弖流為アテルイ」という者がいたと『続日本紀』に書かれています(『日本後紀』『日本紀略』では「阿弖利為」)。「弖(て)」は「氐(てい)」という漢字が変化したもので、チャイナの漢籍には用例が見られませんが、高句麗の好太王碑文、倭国の稲荷山古墳出土鉄剣などに用例が見られ、朝鮮半島から倭国/日本に伝わった文字のようです。のちにこの文字の読み方が忘れられ、あるいは下の一が脱落して「弓(く)」と読まれ、阿弓流為あくるい→悪来→悪路→赤頭・悪事・阿黒と転訛していった、のかも知れません。安易に結びつけるのは危険ですし、阿弖流為と悪路王を結びつける説が唱えられ始めたのは近年としても、伝説のモデルぐらいにはなったのではないでしょうか。

 阿弖流為の名は『続日本紀』延暦8年(789年)6月甲戌(3日)の条に初めて現れ、北上川を東に渡って北進してきた官軍(日本軍)4000が居宅の近くに迫ったため「賊帥夷」の阿弖流為が300人あまりの手勢を率いて応戦したとあります。日本軍の目的地は胆沢(岩手県胆沢郡)で、この地に集結していた蝦夷を撃破するのが目的でした。阿弖流為は10倍を超える日本軍と正面から戦わず、北へ退却して追跡させ、巣伏という村に誘き寄せます。日本軍は周辺の14の村を焼き払いながら前進しますが、やがて蝦夷800ほどが日本軍の手前に現れ、東の山上に潜んでいた蝦夷400が横と背後から襲いかかりました。日本軍は川と山に挟まれて総崩れとなり、1000人あまりが川に転落して溺死します。1200人あまりは甲冑を脱ぎ捨てて裸で川を泳ぎきり助かりましたが、25人が戦死、245人が矢傷を負う惨敗を喫したのです。

 それ以後の阿弖流為の活動は13年にわたって明らかでありませんが、蝦夷側の首長として日本軍と戦っていたと思われます。この間の延暦10年(791年)7月には坂上田村麻呂が征東副使となり、延暦12年に征夷副使、延暦15年に陸奥出羽按察使兼陸奥守・鎮守将軍、延暦16年(796年)には征夷大将軍、延暦17年に従四位上、延暦18年に近衛権中将に任じられています。延暦20年(801年)に節刀を賜って出征し、「夷賊を討伏」して凱旋し従三位・近衛中将に叙せられました。実際の戦いの詳細は定かでありません。

 翌延暦21年には陸奥国に胆沢城を建設するため派遣されましたが、この年の4月に「夷大墓公おおものきみ阿弖利為」と「磐具公いわぐのきみ母禮もれ」が500余人を率いて降伏してきました。「公/君」は蝦夷の族長に朝廷から下賜されたかばねで、本拠地の地名につけて編戸(律令制において戸籍に登録された人民)に準ずる扱いを保障したものです。とすると阿弖流為らは単なる賊徒ではなく、日本国から蝦夷の族長として承認され、そのカバネを賜っていたほどの存在ではあったわけです。

 田村麻呂は彼らを伴って7月に京都へ戻りましたが、朝廷は蝦夷平定を祝賀したものの、阿弖流為と母禮は8月に河内国のとある山(場所は不明)でられてしまいます。田村麻呂は「彼らの願いを聞き入れてもとの居住地に帰らせ、賊の仲間を招かせて降伏させようと思います」と進言しましたが、公卿らが「執論」していうには「彼らは野性獣心にして、反覆定めなき者である。たまたま朝廷の威光によって捕獲できたが、申請通りに奥地に放還すれば、いわゆる『虎を養って患いを遺す(猛獣を野放しにする)』ようなものではないか」とのことでした。田村麻呂はやむなくこれに従い、阿弖流為らは故郷へ帰ることなく河内で殺されたのです。

 実際無念ではあったでしょうが、蝦夷が報復の戦を起こしたこともなく、阿弖流為らの霊魂が後世に祟りをなしたという伝説も特にありません。近年になって阿弖流為らの墓と称される古塚がいくつかあげられ、悪路王・高丸や大嶽丸と結びつけ反体制・東北の英雄として顕彰する向きもありますが、学術的には認められていません。まあ反体制派に持ち上げられて悲運の英雄視され、世をかき乱すのも鬼らしくはありますが。

◆鬼◆

◆丸◆

 さて、田村麻呂伝説を追うのはこれぐらいにしましょう。室町時代の最盛期を築いた足利義満の没後、天下は再び乱れ始めます。各地の守護大名や関東公方は求心力を失った室町幕府に従わなくなり始め、ついには応仁・文明の乱を経て戦国時代へ突入することになるのです。

【続く】

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三宅つの
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