【つの版】日本刀備忘録45:山名持豊
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
嘉永元年(1441年)6月、恐怖政治を敷いた将軍・足利義教は赤松満祐らの家来により暗殺され、大名ら数名も死傷しました。満祐らは京都を退去して領国の播磨に戻りましたが、管領・細川持之は義教の子を後継者として擁立し、大名たちに満祐討伐を呼びかけます。
◆室町◆
◆無頼◆
山名持豊 各地の守護大名たちのうち、赤松満祐討伐に乗り気だったのは山名持豊(のち出家して宗峯、宗全)です。山名氏は足利義満の時に一族で11カ国の守護大名となって