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2024年7月の記事一覧

【つの版】日本刀備忘録24:応永備前

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  応永6年末(西暦1400年初)、足利義満は有力守護大名の大内義弘を討伐し、日本屈指の貿易港である泉州堺を掌中に収めます。まもなく義満は明国との正式な国交を開き、日明貿易を開始することになります。 ◆鹿◆ ◆苑◆ 日明貿易 義満は応安7年(1374年)と康暦2年(1380年)に明朝へ使節を派遣していましたが、明朝は南朝の懐良親王を「日本国王良懐」として承認しており、義満の使節は追い返されてしまいました。そこで応永8年(1401

【つの版】度量衡比較・貨幣149

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  1733-35年のポーランド継承戦争において、フランスはスペイン・サルデーニャと結んでオーストリアを集中攻撃し、ロレーヌ公国をもぎ取ることに成功します。英国は中立を保ったものの、同盟国オーストリアを支援しなかったことで国際的威信が低下し、スペインにもナメられることになります。 ◆Another◆ ◆World◆ 耳朶戦争 ポーランド継承戦争の講和条約が締結された1738年春、英国とスペインの間である問題が勃発します。英

【つの版】日本刀備忘録23:応永之乱

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  明徳3年(1392年)閏10月、室町幕府と南朝の間に和約が結ばれ、南朝の後亀山天皇は吉野を去って京都に入り、三種の神器を北朝の後小松天皇に引き渡します。ここに半世紀以上に及んだ南北朝の並立は一応解消し、南北朝時代は終結して、これより歴史上は「室町時代」と称されます。 ◆逃◆ ◆若◆ 義満出家 足利義満は東の土岐氏、西の山名氏、南の南朝を平定し、名実ともに天下人となります。また南北朝合一により各地の南朝方も大義名分を失い、九州

【つの版】度量衡比較:貨幣編・インデックス04

 ドーモ、三宅つのです。あまりにも増えてきたのでさらにインデックスを作りました。もはや貨幣史からはみ出していますが気にしないでください。  つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。 ◆欧州大戦編147.英仏和平 1715年にフランス王ルイ14世が崩御すると幼い曾孫のルイ15世が即位し、摂

【つの版】度量衡比較・貨幣148

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  スペイン継承戦争の後、フランスはスペイン・オーストリアを牽制するため英国と同盟を結びました。しかしフルーリー枢機卿のもと順調に国力を回復するフランスを諸国は脅威とし、英国はオーストリアと接近し始めます。 ◆波◆ ◆蘭◆ 金権政治 1727年に英国王ジョージ1世が崩御し、子のジョージ2世が即位しますが、「首相」こと第一大蔵卿のウォルポールは王室費を80万ポンドに引き上げてキャロライン王妃の歓心を買い、問題なく留任しました

【つの版】日本刀備忘録22:明徳和約

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  北朝の康暦元年(1379年)、幕府執事/管領の細川頼之に対して幕府諸将は連合して反旗を翻し、室町御所を包囲して将軍足利義満に頼之の罷免と追放を要求しました。義満はやむなくこれを承諾し、足利(斯波)義将が管領に返り咲き、各地の守護職は義将派によって再編されます。 ◆南◆ ◆北◆ 足利左府 康暦の政変の時、義満はまだ20歳過ぎの若造でした。義将も29歳ほどの若者ですが、還暦を過ぎた宿老・土岐頼康がバックにおり、権威はともかく諸将

【つの版】度量衡比較・貨幣147

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  18世紀の日本は様々な災害に見舞われ、重税と貨幣改鋳により幕府の財政赤字を補填していました。これは18世紀末に天明の大飢饉と全国規模での打ちこわしをもたらし、田沼意次の失脚に繋がります。そして同じ頃、ヨーロッパではフランス革命が起きます。それまでの歴史を見ていきましょう。 ◆仏◆ ◆蘭◆ 英仏和平 振り返ってみましょう。フランス王ルイ14世は、スペイン・ハプスブルク家断絶後にスペイン継承戦争を起こし、孫のフィリップ(フ

【つの版】日本刀備忘録21:康暦政変

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  貞治6年(1367年)12月、足利義詮が病に倒れ、嫡男の義満が10歳で征夷大将軍の位を継ぎます。佐々木道誉ら諸将は幼い将軍を輔佐する幕府執事に細川頼之を擁立しました。翌年には南朝の後村上天皇も崩御し、南北朝時代は転機を迎えることとなります。 ◆花◆ ◆丸◆ 頼之執権 足利義満については前にやりましたが、改めて見て行きましょう。彼は幼名を春王といい、実母は義詮の側室・紀良子です。彼女は石清水八幡宮の検校(長官)の娘で、妹の仲子

【つの版】度量衡比較・貨幣146

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  老中・田沼意次は18世紀後半の幕政を取り仕切り、貨幣改鋳など財政改革を行いました。彼の時代には江戸や上方で町人文化が栄え、社会には安定と成熟が訪れたかに見えました。しかし、天明年間に破局が到来します。 ◆栄◆ ◆一◆ 天明噴火 天明3年(1783年)、信濃国(長野県)と上野国(群馬県)の境に聳える浅間山が大噴火を起こしました。天仁元年(1108年)に大規模な噴火を起こして以来、この山は戦国時代から江戸時代にかけてしばし