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2022年4月の記事一覧

【つの版】ウマと人類史:近世編12・西域韃靼

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  16世紀後半、オスマン帝国とモスクワ・ロシア帝国がヨーロッパ諸国を脅かしていた頃、イランにはサファヴィー朝、北インドにはムガル帝国、中央アジアにはシャイバーニー朝やヤルカンド・ハン国が栄えていました。これらの国々の様子をざっと見ていきましょう。 ◆印◆ ◆度◆ 伊蘭動乱 サファヴィー朝の君主タフマースブは、1555年のアマスィヤ条約以後はオスマン帝国と平和を保ち、欧州諸国から同盟を持ちかけられても拒絶しました。北東のシャイバ

【つの版】度量衡比較・貨幣22

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  11世紀末に始まった十字軍運動は、フランク/ローマ・カトリック世界を押し広げ、交易を活発化し、イスラム世界や東ローマからの先進文明を大規模に取り入れることにも繋がります。ことに海上交易を生業とするヴェネツィア共和国は、この時代に大きく発展しました。 ◆GIO◆ ◆GIO◆ 威尼台頭

【つの版】ウマと人類史:近世編11・皇子撃殺

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  1576年、ステファン・バートリがポーランド王に選出されると、ロシアは混乱に乗じてリヴォニアを攻め、大部分を占領します。20年近く続いてきたリヴォニア戦争は最終段階に入ろうとしていました。 ◆雷◆ ◆撃◆ 対露反撃

【つの版】度量衡比較・貨幣21

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  1095年、東ローマ帝国はセルジューク朝への反撃のため、西欧諸侯に傭兵の提供を呼びかけます。これを受けて、ローマ教皇は聖地奪還のための聖戦を西欧諸侯に呼びかけました。これがいわゆる十字軍です。 ◆Lion◆ ◆Heart◆ 聖地奪還第1回十字軍 - Wikipediaja.wikipedia.org

【つの版】ウマと人類史:近世編10・莫斯炎上

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  モスクワ・ロシアのツァーリ・イヴァン4世は、リヴォニア戦争で思うような戦果が得られず、国内では貴族や聖職者に権力を制限されます。しかしモスクワ市民を煽動することで無制限の独裁権を獲得し、秘密警察を組織して反体制派を粛清します。周辺諸国はこれを好機として連携し、モスクワ・ロシアへの攻勢を強めることになります。 ◆露◆ ◆土◆ 英露通商 リトアニア、ポーランド、スウェーデン、クリミア、オスマン帝国と対立し、国際的孤立を深めるロシ

【つの版】度量衡比較・貨幣20

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  ノルマン人による盛んな交易や戦争、掠奪によって、ヨーロッパの経済は活性化し、商業が盛んになります。そして11世紀末に始まる十字軍運動によって、西欧経済は大いに沸き立つことになりました。 ◆十◆ ◆字◆ 東羅馬国 十字軍運動の発端は、東ローマ帝国が西欧へ傭兵を求めたことによるものでした。それまでの東ローマはどうしていたのでしょうか。

【つの版】ウマと人類史:近世編09・恐怖政治

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  1558年、モスクワ・ロシア(モスコヴィア)はリヴォニア連盟に対して条約違反を理由に宣戦布告し、長きに渡るリヴォニア戦争が始まります。これは周辺諸国を巻き込む大戦争となりました。 ◆雷◆ ◆帝◆ 利沃侵攻 モスクワ・ロシアの最初の攻撃地点は、ナルヴァ川西岸の都市ナルヴァです。この川の東側には、1492年にモスクワ大公イヴァン3世が築いたイヴァンゴロド(イヴァンの街)があります。

【つの版】度量衡比較・貨幣19

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  世界帝国モンゴルはアフロ・ユーラシア大陸の交易路を結びつけ、莫大な富が世界中から帝都に集まり、また流れ出していくシステムを構築します。遠くヨーロッパにもその影響は及び、商業と経済を活性化させ、現代資本主義社会の基盤が形成されたのです。中世ヨーロッパの貨幣と経済について見ていきましょう。中世と言っても長いので、今回は十字軍以前です。 ◆VINLAND◆ ◆SAGA◆ 佛蘭幣制 476年に西ローマ帝国が消滅し、欧州はいわゆ

【つの版】ウマと人類史:近世編08・利沃紛争

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  モスクワ・ロシアのツァーリ・イヴァン4世は、1552年にカザン・ハン国を、1556年にアストラハン・ハン国を征服し、ヴォルガ川流域を平定してカスピ海北岸まで勢力を広げました。次いでイヴァンは西方に目を向け、バルト海沿岸のリヴォニア地方を巡って大戦争を開始します。 ◆愛索◆ ◆尼亜◆ 利沃紛争 リヴォニアとは、現在のバルト三国のうちラトビア北東部からエストニア南部にかけての地域で、フィン・ウゴル系のリーヴ人が先住民として暮らし

【つの版】度量衡比較・貨幣18

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  イスラム世界では、7世紀末から金貨ディナール、銀貨ディルハム、銅貨ファルスが流通していました。しかし9世紀から10世紀にかけてイスラム世界が分裂していくと、各地で様々な貨幣が発行され、品質も低下していきます。こうした状況を解決したのは、モンゴル帝国による大征服でした。 ◆蒙◆ ◆古◆ 銀貨流出 9世紀末、マーワラーアンナフル(ソグディアナ、トランスオクシアナ)に勃興したサーマーン朝は、中央ユーラシアの中心にあって交易で

【つの版】ウマと人類史:近世編07・喀山征服

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  1547年、モスクワ大公イヴァン4世は東ローマ皇帝から贈られたと称する冠で戴冠式を行い、「ゴスダーリ(君主)、全ルーシのツァーリ(帝王)にしてヴェリーキー・クニャージ(大公)」と称しました。ルーシとローマの正統な後継者を名乗った彼は、事実上の「ロシア帝国」の建国者として親政を開始します。彼の治世を見ていきましょう。 ◆韃◆ ◆靼◆ 東方遠征 戴冠式から1ヶ月後、数え18歳のイヴァン4世は妃を娶ります。彼女の名はアナスタシアと

【つの版】度量衡比較・貨幣17

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  モンゴル帝国が金と南宋を滅ぼし、日本に遠征軍を送り込むようになっても、チャイナと日本との民間貿易は続きました。しかしモンゴル/大元は日本を敵視していたため、多くは密貿易という形になります。またモンゴルでは銅銭も流通したものの、長らくイスラム世界の基軸通貨であった銀が導入され、紙幣もこの頃に広く流通し始めます。 ◆銀◆ ◆河◆ 大食銀銭 久しぶりに極東を離れ、イスラム世界の貨幣を見てみましょう。7世紀半ばにアラブ・イスラ

【つの版】ウマと人類史:近世編06・俄羅称帝

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  1547年、モスクワ大公イヴァン4世は東ローマ皇帝から贈られたと称する冠で戴冠式を行い、「ゴスダーリ(君主)、全ルーシのツァーリ(帝王)にしてヴェリーキー・クニャージ(大公)」と称しました。モスクワ大公国はこれ以後「ロシア・ツァーリ国(ツァールストヴォ・ルースコエ)」と呼ばれることがあります。この称号について少し見ていきましょう。 ◆ロロロ◆ ◆ロシアン◆ 俄羅称帝

【つの版】度量衡比較・貨幣16

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  宋では多額の軍事費を補うため、大量の銅銭を発行しました。あまりの過剰発行に銅銭の価値は下落し、商品は相対的に値上がりして、「銭荒」と呼ばれるインフレが起きたほどです。こうしてだぶついた銅銭は日本へも流出し、貨幣経済を復活させるに至ったのです。今回は日本における宋銭の流通について見てみましょう。 ◆僧◆ ◆銭◆ 日宋貿易