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me and my xmas vol.2

生まれてこのかた暮らしている愛する北海道と義実家のあるニューヨークのブルックリンでの二拠点生活など、今とこれからのわたしの暮らしごと。

ミックスカルチャーのバックグラウンドを持つ子どもたちの日本での子育てがひと段落しそうなころから、少しづつスライドするように、元保護犬の相棒と高齢親の介護サポートがはじまって、つい先日、愛犬と母を立て続けに見送りました。

はて
さて

わたしの50代後半からの再スタートの記録。
まずはロゴスの世界からこんにちは。

わたし


北海道は春。

例年よりも2週間くらい早い桜が咲いてきました。

地道な地震活動で少し南へずれちゃったのか?と思うほどに、なんとなく雪国の気候も少しだけ変化している様に感じています。



xmas xmas

このコーナーには国内のこと。最近のきらめきや心と身体のことや、日本ベースでの子育てのこと、わたしのおすすめや、思ったこと、これからのことを書いていきます。

人が亡くなった後の事務的な忙しさ 


先日、母の四十九日が終わりました。亡くなった直後からのこれまでの日々、特に遺産相続人がたくさんとかじゃないのに本当に事務的なことに時間が取られるんだなあと改めて思っています。

これは必要な提出書類というのが場所によって異なる(写真付きのマイナンバーもあるのだし、結局は本人確認なのだから、なんとかわかりやすく可能な限り統一してほしい)のです。

また、うちの場合は、両親が話し合って、高齢父の方が先になくなるだろうからと諸々を母名義にしていたのが、先に母が亡くなって彼らの読みが外れた形になってしまい、母名義の光熱費、通信費、etcetc…を、とにかく止めたり、父名義へ移す作業も本当に一つ一つ。オンラインですると父に見えないので、銀行引き落としの項目の数だけ、向こうの営業時間内に電話をして口座変更の手続きをして。この口座変更が完了するまでの過渡期の2ヶ月程度の間に次々くる請求書と支払い。

これ老人だけの家庭だったら本当に大変。これホントみんな自分でやってるの?と思うだけで道を歩く人たち全員に勝手にシンパシーの様な人間愛を感じてしまうわたしです。高齢化社会でしかも核家族化が進んでいて一体みなさんどうしてるんだろうと。そういうお仕事の方達が登場して助けるのかしら。

でもそういう終わりに関わることは結構高額なものもあるんですよね。お葬式にしても然りですが、みんな全員がもれなく通る特に家族を失うという悲しい道のりくらいは、もう少しいろんなことに寛大な配慮とともにゆっくりさせてほしいものです。

不動産登記だって、うちの様に簡単シンプルでサポート手のある家庭の場合は自分でやった方が良さそうだったので、うっかり「やりますか」とわたしがしているので余計に時間と労力が取られてるわけなのですが、必要書類が役所で6000円くらいで揃って、あとは数万円(これは不動産の価値による)を法務局に支払うだけ。これ専門の仕事の人を入れると法務局に支払う金額を除いて、大体20万くらいかかるそうです。

そして更にわたし的に「うぐぐ」とさせたのは、名義変更の書類を送付してもらうためにする毎回の電話で「名義人の母がこの度亡くなりまして」と言うと「あ、そうですか」とか「そうなんですね〜」と答える人の多いこと。うちの場合は親は2人。何度もあるわけではないことだし、もちろん初めてなのですが、そういうのもなんだなあと近年の電話対応に人間味がなくなっていて驚きました。「ご愁傷様でした」とまでいかなくても「それは大変なところご連絡いただきまして」みたいな様子も全くなく事務的なのでした。アメリカでも自然に「I am sorry what happened」(それは大変なことでしたね、、、みたいな感じ)くらいは言いそうだけど、もしかしたらこういう時に共通で使えるフレーズが、かしこまってしまう日本語以外ないのかもな?とも思いました。

電気、ガス、水道、電話ほか、今回の一連の電話で、唯一、上記の対応がされていたのは保険会社と水道会社だけ。保険会社はマニュアルなのでしょう。水道の人はマニュアルではなく個人力という感じでした。なぜなら後から問い合わせした時に別の人は何も言わなかったから。

そんなところにほっとすることは求めてはいないけど、大袈裟なものじゃなくてこういう日常の一コマ一コマのことが実は小さな社会へのボランティアみたいにもなったりするし、一個人が小さくあたたかく深く影響を及ぼすことができる世の中に役立つ瞬間だなあとおもいました。そして、たいへんな時の有り難かったことって人間おぼえているものです。

高齢の父には、なるべく変わらず頭がシャープでいてくれることで自己有用感を感じて欲しいし、お願いするとすごい力を発揮するので、頼れるときには頼るようにしていています。明らかに体調が悪くない時にはなるべく一緒に出かけています。

先日、母の携帯電話を解約する手続きでiPadに電子サインをした時のこと。
これって字がかなり歪んでしまうのが普通だと思うのですが、94歳の父はそれを知らないわけです。達筆だと褒められることの多い父にとっては許し難いことだったらしく何度も書き直した後に一言。
「こんなんでは後進に恥ずかしい」とサラリと言いました。
我が父ながらそれを聞いてハッとしたのです。この国の高度成長期を作ってきたこの世代のみなさんは、そういう考えがOSバージョンでプリインストールされてて、大きな目で同じ国に住むまわりの若い人を『後進』として見てきていたんだなあと。近年、他人の行動に口を開くお年寄りを十把一絡げに老害と呼ぶ風潮にありますが、むしろ家庭で自分と仕事で精一杯で、子どものケアまで手が回らなくなってしまった忙しすぎる親御さんが多いことを考えると、この落とし所をうまく利用すると、若い親世代ですら知らない叡智を国の子どもたちへという大きな視点で引き継ぎことができるのではなどど思ったり。

わたしもそろそろ60歳が見えてきて、父の存命のうちに良い部分はしっかり見習って、これからも境界線を越えない程度に人間らしいと自分が思えることを瞬間瞬間に見極めながらコツコツしていこうと今回の2つのことであらためて深く心に刻みました。


日高の新冠の海の見えるカフェにあらわれた猫ちゃん


ますます

国外、アブロード的なこと。ミックスカルチャーな我が家のわたしから繋がる海外を。

今年からは下の子の進学に合わせてニューヨークとの2拠点生活もはじまります。


我が家の日本で育ったバイリンガルの子どもたち①

子どもたちのことを書くときは、成人した本人たちの承諾を得てからしたかったので、ようやく少しだけ書いていこう。

我が家の成人した2人の子どもたちは日本で育ちました。外見からも純アジアではないのがわかる2人ですから、海外経験があるとか外国に縁がある人ではない人たちが集まる環境に行くと、何かと考えなくてはいけないことが起きました。

特に小さな子どもというのは育つ生活環境にいる大人が話す言葉をそのままスタンプを押されたように使います。これは失礼だ、とか言ってはいけない、とかは小さいうちは教えられなければわからない。もしくは少し大きくなってから経験を通して恥ずかしい気持ちとともに学ぶかなのです。

息子はよくクルクルの天然の髪質を、娘は肌の色のことを言われました。なんの気ない「なんかちがうね」という「仲間だと思っていた相手から【違う】と区別されて扱われた」言葉がスウィッチを押してくる。相手にさほど悪気はないかもしれないけれど、だからと言って、こちらが感じるフィーリングを我慢したり無かったことにするのもまた違う。

この対応の仕方は家庭環境や生活環境によって変わるので何が正解か?はわかりません。

でもわたしが子どもたちによく言ったのは「彼らはまだ知らないの。だからあなたたちが外交官だと思って知らないことを教えてあげなさい」と。

子どもたちが小さな頃、我が家では大きな地球儀をリビングに置いておいて日本の位置や大きさ、世界の広さとそれぞれの国の常識の違いをよく話しました。またそのような内容が絵に描いてある「せかいのひとびと」という絵本をよく読んでいたことも懐かしく思い出されます。

息子の髪の毛を揶揄された時には「その子は髪の毛がまっすぐでストレートの人しか見たことがないんだから『あれ?君のはまっすぐだね!』と普通に言ってみたら?僕のお父さんの国のニューヨークにはいろんな髪の毛や肌の色の人がいるんだよ』と」「セサミストリートは見たことある?」と。

あんまりに故意的でひどい場合は、以前アメリカにあったアニメーション『Little Bill』で、小さなBillが友達にpoo poo diper baby(ウンチのついたオムツをしてる赤ちゃん)と言われてお父さんにどうしたらいいか?と話した時の動画を引用して、堂々と「so what🤷🏽‍♀️(だからなに?)」とこたえるように言ったこともあります。

「だから?」を、ただ堂々として全く構っていないような素ぶりで言い続けるだけ。

娘の肌の色の一件の時は、友達に「わたしはバレエをやってるから、あなたみたいな肌の色になったら叱られる」と言われたそうで泣いて学校から帰ってきたことがありました。まわりはどこを見てもアジア系の子ばかりで疎外感があった中で、更に努力しても変えようのないことを言われて繊細な娘はひどく傷ついたようでした。

女の子が化粧品に興味を持つお年頃になると、またこれが再燃。今度は友人からではなく化粧品の広告から。これだけインバウンドが増えたらそろそろ変わらざるを得ないはずですが「美白」がまるで最上級のような扱いの日本の美容広告。

でもこの頃の娘は、アジアと一部の地域を除いては肌の色は健康的な色が一番良いとされていることを知ることが出来たし、なにか疑問に感じたことがあったらまず果たしてこの国の中だけの既成概念なのかどうか?を調べて納得のいく答えを自分のチカラとタイミングで確かめることが出来るようになっていました。

こうして改めて昔と比較してみると、若い子たちが手の中にあるもので自らが望めば、より誰にでも開かれた明るい未来があるのを感じてとても喜ばしく頼もしくおもいます。


つづく

鯉のぼりモビール





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