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フリコが虹を渡った翌日
11月30日 木曜日
意識がおきた。
でも目は開けたくない。
フリコのいない現実を見たくない。
もしかしたら生き返ってあのかなしい箱から起き上がってくるんじゃないかとまだ思っている。
いい加減にしないと天国へ行きづらいじゃん!
でも昨日のことだったんだから、もうちょっといいじゃん。
私の中のいろんな人が話している。
昨晩はわたしが寝ている和室のすぐ横の居間にフリコもよく遊んだ大きなベランダへの入り口があって、そこの内側のドアを開けてその前にフリコの横渡っている箱を置いた。数日前に雪が降ったので外の外気温は0℃くらい。ひんやりした冷気が少し入ってくる。そこの右側には小さな祭壇があっていろいろな聖なるものを飾ってある場所でもあるので最適だと思った。
わたしは眠っていたようでいて一晩中、耳がフリコの呼吸や寝返り音を探していたのだと思う。
犬を飼っているとするあちこちでするカサカサ音。
何やってるんだろうというような音だったり、夫や子どもたちの部屋に訪問しに行っている足音だったり、何かを物色している音だったり、水を飲む音だったり、ここ最近は、咳がはじまる苦しそうな音、転んだ音だったりもして、いろいろ。
昨晩寝てから、あれ?というカサカサ音がしていた。
かすかに意識がおきて目を瞑りながら、ああ、やっぱりあれは悪い夢だった。
もしかしたら朝起きたらいつものように起きてくる。
お腹すいたよと言ってくる。
「フリちゃん、おはよう〜」とフワフワの毛に鼻を埋めてたくさんチューをして朝のご挨拶する。
そしてわたしが立ち上がると、その後をトコトコついてきてキッチンでわたしがご飯の準備をするのをいつものように大人しく、でも少しワクワク気味に、しかしながら美しい姿勢で座りながら献身的な様子で待つ。
そして「はい、お待たせ〜ご飯だよ〜」の合言葉でフリコのご飯をあげてまた幸せな犬との1日が始まるんだ。
そう思って思い切って目を開けて起きあがってみたが、やはりフリコはいつもの場所にいなかった。
わたしの枕元にも、いつも大の字になって寝ているお決まりのピアノの下のところにも、フリコのクレートの中にも、ベッドのところにも、どこにも。
よくよく考えるとここ数ヶ月は夜中の排泄のサポートをしていたから、特にそのカサカサ音や匂いに敏感だった。起き上がってたまに転ぶこともあったから、まるで新生児の授乳期みたいな時間を過ごしていた。ちょっとの物音にも起きる母性本能のような癖とでも言うか。
このカサカサ音や匂いはフリコが生きている証拠。
目を開けたらまた会える。それだけがわたしを動かしていた。
でもやっぱり昨晩のことは悪い夢なんかではなかった。
フリコはあの箱の中でお花に囲まれて目を開けたまま横たわって動かなくなっていた。
寝る前の絶望的に辛く悲しいわたしの現実がそこにあった。
たくさんのお花に囲まれて横たわっているフリコ。
大きな声にびっくりする子だったので「フリちゃん、おはよう!」少し大きな声でいつものように何回か声をかけてみたけどフリコは生き返るようには今は見えなかった。
開いたままの目がわたしにフリコの死を受け入れることを促していた。
寝ているように目が閉じていたら、いつか起きてくるのではないかと
いつまでも踏ん切りがつかないかもしれないと思うようにした。
フリコがいつも横にやってくると自然と触ってマッサージしていた小さい肉球たちは昨日眠る時は少しまだあたたかだったのに今は冷たくなっていた。身体も硬くなって、いつもチュウチュウキスをしていたフワフワの小さいかわいいお口の横の毛にも今日はあの温かさがなくなっていた。
そういえば次に動物を見送ることになったら必ず病院で最後の診断は診てもらおうと思っていた。メッチャんの時は亡くなっていたが病院に行かなかったので後で何回も「もしかしたら生きていたんじゃないか」と思った。亡くなったのが真夏だったのですぐに身体からにおいが上がってきて亡くなったその日のうちに亡骸を焼き場に連れて行ったのだが「あの後、実は生き返ったかもしれなかったのに」と思ったりもしたものだった。では現実としてそうなった今、わたしはどう思っているかと言えば、やはり医師の診断を受けても「生き返るかもしれない」と思っていた。
失意に身体がクニャクニャしてしまいまた布団の中に戻ったはいいが眠れるわけもなく、でもどうしていいかわからずに、これを書いている。
あんまり寝ていないし、ご飯も昨日は朝しか食べてないけど
なにか大きなあたたかいもので後ろから包まれている感じがずっとしている。
これは私を大切に思ってくれている存在だと思う。
泣いて鼻をかんだ時にわたしの手にまだフリコの身体みたいな匂いがした。
フリコのエキスはわたしの身体の細胞の中に間違いなく取り込まれている。
あれだけずっと毎日24時間365日7年間一緒にいたんだもの、あたりまえだ。
目が痛い。パソコンを見ていると光が目に刺さる。
みんなが起きてくるまでもう少しだけ目を瞑ろうか。
今日は偶然にも子どもたちはお休み。
もしもそれが登校日や出勤日に重なっていたとしても
休むも休まないも人それぞれ。
休んだからと言って喪に服していないとは思わないし
形式的に葬式に出席することが喪に服しているとも思わない。
身体という有機質なものから解放されて
目には見えない魂になったからこそ
本当に心を込めて祈ったり嘘なく心で喪に服すことが大切だと思うからだ。
それをすぐに魂は感じ取る。
本人たちにはそう告げていた。
昨晩、帰宅してから泣きすぎて頭がぼーっとしながらも「今晩は一緒にいてあげて明日には火葬という感じになると思います」と今後の段取りを教えてくれた先生の言葉がずっと残っていた。
先代の時は当時息子が通っていた小学校近くの山の中のペット霊園で火葬してもらい合同墓地に埋葬をお願いした。今日は、息子がいろいろ調べてくれて、今現在はその霊園では火葬受付はしていないとのこと。
子どもたちにフリコの火葬後、遺骨をどうしたいか聞いたら、「遺骨を持っていても悲しいばかりだし、骨に愛着はなく、生きているフリコに愛着があったんだ」というような意味のことを、途切れ途切れにぽつりぽつりと話してくれた。私たち夫婦も同じ気持ちだった。骨は土に還るのが一番だというのも同じだった。
人間の様に葬儀をする、移動火葬車で自宅前で火葬できるなど、昨今いろいろな選択肢がある様だったが、我が家の選択は、市の動物愛護センターの合同火葬(遺骨は拾えないが他の子たちと慰霊碑に入れてもらう)か、隣町のかかりつけの病院で樹木葬、慰霊祭みたいなのをたまにしてもらうかのどちらかを話して明日の気持ちで決めようということになっていた。
今日起きたら気持ちは決まっていた。同じ市内で、と思った。家族も同意見だった。たくさんの子たちと虹の橋を渡る。それも寂しくないね、フリちゃん。社交性抜群で芯の強いフリちゃん。ぽんやり少しタレ目のフリちゃん。わたしにとってポメラニアンはあまり好きな犬種ではなかったのに、その犬常識をいい意味で覆してくれたフリちゃん。いろんなかわいらしさの思い出に少し笑顔にもなれる。
札幌市の動物愛護センターは「あいまる さっぽろ」として11月13日にオープンしたばかりだった。火葬の受付はそこで行い、以前動物管理センターだった福移で合同火葬と埋葬を行っているそうだ。動物の種類や大きさで変わるそうだが我が家は5100円を支払った。申込書を書くと祭壇に通されてお別れ時間をくださる。その後はそのまま預けて去るという形だ。正直、最後に迷った。やっぱり自分たちの目の前で見送ろうかと。でもどんな形にしても色々考えるし、子どもたちのいう通り遺骨を残したいわけではない。なにより先代だって場所は違えど、そうしたじゃないか。祭壇(Altar)と書かれた場所に移動して最後のお別れでたくさん泣いたら腹が据わって火葬を依頼して、その場を後にした。
帰り道に「こういうときこそ美味しいものを食べようよ」と息子がお金を出してくれて、家族の好きな西野のお蕎麦屋さんで新蕎麦と旬の食材の天ぷらに舌鼓を打ちつつ、みんなでかわいいフリコの思い出話をたくさんした。
帰宅して「ドアを開けるとフリコがいる」という7年間のデフォルト設定が1日で抜けるわけもなく、エレベーターを降りる時、家の鍵を開ける時、フリコがいつもいる居間に向かう時、すべての瞬間にフリコを想う。それほど深く深くわたしたちは家族だった。また家族でそれぞれのそんな話をする。でもみんな悲しくて疲れていたので自然と1人また1人と自分たちの部屋に戻っていった。
わたしは、49日までは魂がお家にいると聞くし、『家族それぞれが自分のペースで、自分が選んだ静かな時間に心でフリコと話せる様に祭壇を作ろう』と帰りに寄り道してもらってお花とフォトフレームを買っていたので早速作り始めた。写真をプリントしてフレームに入れてお花を生けた。場所はフリコのご飯やクレートがある場所の上。最後に息を引き取った時にフリコを包んでいたお気に入りの薄手のフリースブランケットを敷いて、その上にキャンドルやお花、エンジェル、お水、大好きだったジャーキーを置いた。先代の時に一番寂しかったのは触れないのと匂いを嗅ぐことができないことだったのを思い出して、以前にフリコのフエルト人形を作ろうとブラッシンング後にブラシに残った毛を貯めたものがあったので、それをフレームのまわりに置いた。これで子どもたちのモフモフへの愛着も少し満たされたらいい。
作り終わったら、急にがっくしキテしまい、疲れてソファの上に横になったらいつの間にか眠ってしまっていた。
そうしたら昨日は見れなかったフリコの夢をみた。
ストーリー性のない夢だったけど、横を向いて口を開けたフリコが真っ白い息をハァ〜ッとわたしの方に向かって吐いた。ただそれだけだった。
死因を知りたかったわたしに、やはり気管狭窄だったと教えてくれたのかもしれないと起きてから思った。
そしてさっきまで身体が痛いほど悲しくてボーッとしていたのだが、まるで魔法にでもかかった様に少し楽になった。先代が亡くなった時には一緒に死んでしまいたいとまで思うほど強いペットロスの時期を過ごした。でも今回とても不思議なのだが、このフリコの夢を見てからは、「フリコの死を悲しかったことだけで終わらせないようにしよう。むしろこのことを自分で自分のことを幸せにするきっかけにしよう。そうすることがフリコの供養にもなる」と明確に思うようになった。
ああ、また夢に出て来てくれないかなあ、フリちゃん。
その夜はまたフリコに会えるかもしれないという気持ちと、まだ残る悲しさ疲れで早々に寝てしまった。
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