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喪失から受容までの長い拒絶

大切な何かを喪失する経験は、大小あれどみんながもつものだと思う。死別だったり絶縁だったり、失恋だったり絶交だったり。人だけじゃなくて、怪我や病気による健康な体の喪失だったり。大切な物を失くしたり。私も大切な人を失う経験をしたことがある。でも、私の友人の両親は自分たちの娘を失った。私には計り知れないほどの大きな喪失。自分の子どもを失う以上の喪失があるだろうか。

大学の実習で病院へ行った時、慢性疾患の患者さんが疾患を受容するまでの段階について教えていただいた。喪失、拒絶、闘争、折合、受容の5つ。このプロセスは、病気だけに限らない汎用性があると思った。大切な人・ものを失った時、初期にあるのはひたすら拒絶だと思う。受け入れたくない。信じたくない。嘘だと思いたい。この期間が一番辛い。

思う存分拒絶をした後、やっと闘争の過程に入ることができる。喪失体験と向き合い、精一杯頑張る。そこから徐々に折り合いをつけることができるようになっていく。折り合いをつけることに慣れていくと、ようやく受容することができるようになっていく。

拒絶から折り合いまでは、何度も行ったり来たりを繰り返す。折り合いがつけれるようになったと思ったら、拒絶したくなる時もある。喪失から受容までは簡単なプロセスじゃない。

強く美しい

友人の両親は強いと思う。大きな喪失を受容していくことを選んだ。そこまでの過程でどれだけ辛かっただろうかと思う。もちろん受容した今も辛いだろう。でも受容できる人間ばかりじゃない。拒絶しかできない人間もいる。拒絶の過程を乗り越えて受容できる人間は強くて美しい。

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