〜スローフードに魅せられて〜 お弁当編
以前インド料理店に関する記事を書いてから、随分時間が経ってしまった。本当はたくさん書きたい文章があるものの、日常のあれこれに追われる日々。ついつい、Twitter にて140文字以内の短文を垂れ流すだけにとどまっていたが、ようやく重い腰をあげることにした。
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関西で育ち、就職で関東にやってきて、気づけば4年あまり。もともと食べることは好きなので、休日には度々でかけて飯を食らう。電車で1時間程度の場所ならば、食事だけを目的にお出かけするレベルである。そのための交通費も含めると、エンゲル係数がものすごいことになっている気がする。
(※: エンゲル係数の定義について、実はよくわかっていない。もし経済学専攻の方がこの記事をお読みであれば、コメントに見解を記載していただきたい。)
「出身地から離れると、食文化の違いで苦労する」みたいな話を聞くことがあるが、自分はそこまで関東の食文化を苦痛に感じなかった。粉モン成分の不足と、時おり出汁文化、醤油文化の違いでうっすら違和感をおぼえるくらいである。 ただし、どん兵衛きつねうどんの関東仕様、こいつだけは食える気がしない
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さて、「〜スローフードに魅せられて〜 お弁当編」というタイトルについて。関東に来てから様々なスローフードに出会い、感動した経験がいくつもある。気が向いたタイミングで、他にも色々執筆したいと思っている。が、今回は第一回として、関西人の自分の胃袋を掴んだ関東の味、スローフードなお弁当について扱いたい。
そもそもスローフードってなんだろう?
一応、記事を執筆するにあたって定義をググるところから始めてみる。
「日本スローフード協会」という団体があったので、そちらのHPから引用させていただこう。
なにやら、"持続可能性"とか、"多様性"とか、最近流行りの意識が高いワードが並んでいる。思っていたよりスローフードって複雑な概念のようである。
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学生時代、高校英語の教科書に ジェイミー・オリバー というイギリスの料理人についての文章が記載されていた。イギリスにおける学校給食改善運動の中心になった人物で、教科書の文章中にもスローフードについての説明などが記載されていた。いわゆる "ジャンクフード" に対する批判的文脈からの解説だったため、やはり意識高めの文脈だったと記憶している。
(一応、教科書会社のページに それらしき資料 があったので興味を持たれた方は参照してほしい)
当たり前ながら、英語の教科書に掲載されていたスローフードの話は、自分の頭の右から左へ通り抜けていった。それなりに英語ができてしまった故に授業を聞いていなかった 学生時代の自分にとって、食事は「空腹を満たす」という目的の比重があまりにも大きかった。通学路のマクドナ○ドは小腹を満たしてくれても、イギリスのシェフの意識高そうな話は空腹を満たしてくれない。
その後社会人になって、休日に美味しいものを食べに行く経験の積み重ねの中で、「食事の重要性」「食文化の素晴らしさ」といったものに強く興味を持つようになった。その経験が、"スローフード" という考え方にふたたび出会うきっかけともなったのである。 まずは料理に感動を覚えるところから始めないと、せっかくの素晴らしい理念も理解しにくいものである。
個人的には、以下のポイントを抑えるところから "スローフード" について理解すれば良いと考えている。そのポイントとは、
材料の生産者や料理人などの作り手に敬意を持って、料理を楽しむこと
伝統、文化にもとづいて、手間を惜しまないことで "美味しい" を作りだすこと
の2点である。
厳密に言うと、上記の自分による解釈は "スローフード運動" の厳密な定義からは少し外れているかもしれない。「地域の食材を消費」や「有機農業を推進」などの理念を網羅しているわけではないからだ。しかし、「スローフードの入り口」として抑えるべき点を抑えれているのではないかと思う。
ちなみに、「伝統・文化にもとづいて、手間を惜しまない料理」を適正な値段で提供している飲食店は、多くの場合において食材の品質にもこだわっていると思われる。飲食店・家庭の食卓を問わず、「旬や季節の食材を用いること」「鮮度が良いものを使うこと」を考えると、自ずと "地域の食材" は作り手にとって魅力的な選択肢となることだろう。
お弁当という文化を考える
日本ではもちろんのこと、世界中において何らかの形でお弁当の文化が存在している。働く人々や学生が、家から容器に料理をつめてそれぞれの職場や学校に持っていって食事をする。インドでは "ダッバーワーラー" といって、家庭からお弁当を回収してオフィスまで輸送することに特化した職業があるくらいである。
余談ではあるが、鉄道で移動しながらお弁当をたのしむ文化もあるのはご存知のとおりだろう。 台湾の国鉄である 臺灣鐵路管理局 は、販売しているお弁当の美味しさから一部で 臺灣便當管理局 などと揶揄されることすらある。 中華圏においては冷めた食事を好まない文化がある。おそらく、台湾におけるお弁当文化は、日本の占領統治による歴史的背景があるのだと思っている。
話を戻そう。 現代の日本においては、お弁当は家庭で作るだけではなく、飲食店や小売店で購入する機会が多いはずだ。日本の人々がいつからお弁当作りをアウトソーシングすることになったのかは、よくわからない。
しかしながら、「日常の食事に外で買ったお弁当を食べる」という場面、ライフスタイルについて想像すると、
「素早く」「安価に」「空腹を満たす」
というニーズが大きくなってしまう気がする。そして、それらのニーズ要件を完璧に満たすお弁当は、ファストフードに近いものになりがちである。
要するに、現代のお弁当はスローフードという考え方から外れたものが多いのではないだろうか?
スローフードなお弁当
その存在を知ったのは Twitter のタイムラインであった。フォローさせていただいている方のツイートがきっかけだ。(※:この場を借りて引用、及び弁松総本店さんへの出会いのきっかけを頂いたことにお礼申し上げます。)
ツイートと写真をみただけで自分の脳内に衝撃が走った。そのお弁当に詰められたおかずの数々は、日本の家庭の食卓から消えつつあるような料理ばかりである。"向き合って背筋が伸びてしまう" その表現にふさわしいお弁当だ。
後日、もちろんそのお弁当を購入するわけである。
平日の昼下がり、山手線の某駅前のベンチでその包を開封した。今では珍しい経木(きょうぎ)の折に詰められた輝くおかずの数々。食べる前から興奮が止まらない。
口にして、思わず唸ってしまう。晴れた空の下、街行く人々の喧騒が一切耳に入らない。お弁当を食べながら、その味への感動からしばし自分の世界から抜け出せない瞬間であった。まさに、胃袋を掴まれたのである。
弁松総本店のお弁当
弁松総本店は現存する中では日本で最古の弁当屋だそうだ。
( ※: 公式HP より)
公式HPには、お弁当に対するそのこだわりが記載されている。一部を引用しよう。
伝統的な手法で、手間をかけて、職人さんがひとつひとつのおかずを調理する。まさに、自分が考える スローフード そのものである。
美味しさへの感動はもちろんのことながら。時代が変わっても味を伝え続けようとする姿勢、そしてそのこだわりに敬意を示さずにはいられない。 先述したとおり、思わずお弁当に向き合って背筋が伸びてしまう。
スローフードの入り口として、弁松総本店さんのお弁当ほどピッタリ当てはまるものは、なかなか存在しないのではないだろうか。
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関西人の自分も、地域の食文化の垣根を超えて、その美味しさの虜になった。"日本人のDNAに刻まれた懐かしい味" という謳い文句は大げさではない。 普段異国飯を好んで食べる自分が、弁松さんのお弁当の味には心から懐かしさと安堵を覚えたのだ。特に、玉子焼には驚かされることになる。
と、いうのも、自分は卵料理が非常に苦手である。卵焼きや、目玉焼き、ゆで卵など、加熱した卵独特の香りがどうも苦手なのだ。食べた瞬間吐き気を覚える事が多い。(※:アレルギーなどではない好き嫌いのため、茶碗蒸しやプリンなど香りが薄いものは大丈夫だったりする。)
ところが、弁松さんの玉子焼きは、苦手な卵の香りが一切しなかった。
実のところ、初めて弁松さんのお弁当を食べたとき、玉子焼きだけは残すつもりでいた。 ところが、お弁当のその他のおかずのあまりの美味しさに「このお弁当の玉子焼きならば大丈夫なのではないか?」と心が揺らいだのである。 清水の舞台から飛び降りる様な気持ちで、恐る恐る玉子焼きを口にした。
その瞬間、心配は消え去った。初めて口にする上品な甘さと出汁の味。二十数年間の人生で初めて、玉子焼きを口にできない呪縛から開放された 瞬間であった。
最後に 伝統の未来を考える
ここからは、ただのお弁当の話から規模が随分膨らむ話になる。
2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、世界中の外食産業が大きな打撃を受けた。本記事で扱った弁松総本店さんにおいても、外出自粛における弁当需要の低下。そして、飲食店ではない業態上、時短協力金の対象外となり大きく打撃を受けたようだ。
この記事を執筆した2022年5月後半時点においては、2022年2月24日から始まったウクライナに対するロシアの侵攻が継続中である。その情勢の中で、ロシアに対する経済制裁の影響もあり、あらゆる品物のサプライチェーン(供給網)の混乱が世界各地で深刻化している。
直近では、イギリスにおいて、国民食であるフィッシュアンドチップスを提供する店が危機に瀕しているという報道 が記憶に新しい。タラや食用油を含む主要食材の値段が高騰しているためである。また、ウクライナが世界有数の穀倉地帯であることから、小麦などの供給についても懸念されている状況だ。
いつ、なにが起こるかわからないここ数年の世界情勢において。昨日までの普通の暮らしが、明日も同じであるという保証はどこにもない。
20世紀以降、世界はこれまでにないスピードで変化を続けている。大きな変革の中で、人々の暮らしは便利になっている。同時に失われつつあるものもたくさんあるのだろう。
そのような世の中の急速な変化のなかで、スローフードに関わる文化や歴史はいつ失われてもおかしくないと自分は考えている。
気候変動の影響で、伝統の料理に使われる食材がますます貴重になっていくかもしれない。また、産業構造や人々の働き方の変化の真っ只中。弁松総本店の職人さんのように、伝統を守る作り手の世代交代も難しくなっていることだろう。
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少し重い話になってしまったが、この記事を読んでいる方にお願いしたいことがある。
まずは、これからも美味しい食事を日常に取り入れることを続けていただきたい。日常で口にする料理の数々には、それぞれなにかしらの文化や歴史がある。
特にちょっと特別な日の食事には、伝統や手間の素晴らしさを感じられるものがあるはずだろう。 そういったものに価値を感じた際には、スローフードという考え方について、少しでも思いを巡らせていただければ幸いだ。
一人でも、食文化を守りたいと思う方が増えることが、美味しい食文化を未来に伝えていく第一歩となる。
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この記事を読んで、興味を持たれた方は、是非、弁松総本店さんのお弁当を試していただきたい。残念ながら関東でしか購入することができないが、関東に来たついでにちょっと時間をかけて寄り道がてらでも購入していただきたいと思う。寄り道時間以上の価値ある食事の体験、歓びを保証する。
最後に、弁松総本店さんは 公式の Twitter アカウント がある。非常に食欲を刺激されるのでフォローをおすすめしておく。
(※備考:むちゃくちゃ弁松さんのお弁当への愛を語りましたが、特に誰かからお願いされたわけでもなく自分の意志で執筆しました。本当に美味しいから! 絶対買って! 食べて!!!!!)