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社寺散歩|安倍文殊院|奈良

 渡海文殊群像とかいもんじゅぐんぞうの免震工事が始まるとニュースで知り、急いで駆け込んだxicano(しかの)です。こんにちは。

今回は安倍晴明ゆかりの安倍文殊院あべもんじゅいんです。

現在、免震工事中(2024年7月~2025年5月)ですが、渡海文殊群像とかいもんじゅぐんぞうは文殊菩薩が獅子から降りた状態のお姿を拝観することができます。


安倍文殊院あべもんじゅいん

奈良県桜井市阿部645
日本三文殊第一霊場

大化元年(645)  孝徳天皇の勅願により大化改新のときに左大臣であった安倍倉梯麻呂あべのくらはしまろが安倍一族の氏寺として建立した『安倍山崇敬寺そうきょうじ(安倍寺)』が始まりです。

本堂

永禄6年(1563)、松永弾正久秀まつながだんじょうひさひでの兵火を受け火災で焼失。100年後の寛永5年(1665)現在の本堂(文殊堂)が再建されました。

国宝 渡海文殊群像とかいもんじゅぐんぞう

ご本尊  騎獅文殊菩薩像きしもんじゅぼさつぞう
高さ約7mの騎獅像は日本最大

渡海文殊群像とかいもんじゅぐんぞうは文殊菩薩様一行が雲海を渡り、私達衆生しゅじょうの魔を払い、知恵を授けるための説法に出かけているお姿です。

国宝  騎獅文殊菩薩像きしもんじゅぼさつぞう
    文殊菩薩像もんじゅぼさつぞう(快慶作・鎌倉時代)
    獅子像ししぞう(宗印作・安土桃山時代)

国宝  善財童子像ぜんざいどうじぞう(快慶作・鎌倉時代)
国宝  優填王像うでんのうぞう(快慶作・鎌倉時代)
国宝  須菩提像すぼだいぞう(快慶作・鎌倉時代)
国宝  維摩居士像ゆいまこじぞう(宗印作・安土桃山時代)

永禄6年(1563)松永弾正久秀まつながだんじょうひさひでによる焼き討ちの際、文殊菩薩像と脇仏三体は救出されましたが、維摩居士像ゆいまこじぞうと獅子像が焼失しました。
その後、慶長12年(1607)仏師 宗印そういんにより再造立されました。

ちなみに...。
仏師 宗印は豊臣秀吉が発願した京都・方広寺ほうこうじの(幻の)大仏や、吉野・金峯山寺きんぷせんじ(青の秘仏)蔵王権現像ざおうごんげんぞうを造ったかたですね。 

本堂・浮御堂(共通)拝観券 1200円
落雁(お菓子)と騎獅文殊菩薩像のポストカード付き

振り返る善財童子と獅子のアイコンタクトがとってもキュートです😍


釈迦堂

本堂と繋がる釈迦堂

ご本尊:釈迦三尊像
明治の神仏分離しんぶつぶんりにより、多武峰とうのみね妙楽寺みょうらくじ(現・談山神社たんざんじんじゃ)のご本尊を引き取りました。

手水舎

金閣浮御堂きんかくうきみどう安倍仲麻呂あべのなかまろ歌碑

文殊池もんじゅいけに浮かぶ浮御堂ではご本尊 弁財天べんざいてんを中心にして、左右に安倍晴明あべのせいめい安倍仲麻呂あべのなかまろがお祀りされています。
(安倍晋三元首相の御位牌も並んでいました。)

また、お堂内には「霊宝館」として安倍晴明に関係の深い陰陽道の秘宝や古文書がたくさん展示されていました。

七まいり

金閣浮御堂きんかくうきみどうは『七まいり』という厄除け・魔除け・方位災難除けを祈願する修行場となっています。

おさめ札
浮御堂の回廊を7周します

受付で「おさめ札」を受けとり参拝方法を教えていただきます。

七まいり参拝方法
①橋を渡り、おさめ札を持ち正面で合掌一礼
②時計回りに回廊を回る
  回廊を回る際は災難を払うよう「○○しないように」と願う
  例:「病気しないように」「事故に遭わないように」
③正面の箱におさめ札の右側から1枚切り離し入れる
④1周ごとに1枚入れ7周で7枚入れる
⑤最後のおさめ札を入れ終われば、正面向かって左の入口より堂内へ入る

「○○しますように」ではなくて、「○○しないように」とお願いするのは初めてでした。
「して欲しい」ことは次々と浮かびますが、「しないで欲しい」ことを7つ見つけることは意外と難しい🤔

安倍仲麻呂 歌碑

天の原  ふりさけ見れば  春日なる
三笠みかさの山に  でし月かも

唐の詩人 李白りはく王維おういとも親交があった安倍仲麻呂

安倍仲麻呂あべのなかまろ(698〜770)
養老元年(717)19歳で遣唐留学生として唐に渡り、日本人ながら科挙に合格、唐名を晁衡ちょうこうと称し、唐の皇帝玄宗げんそうに仕えました。
天平勝宝5年(753)帰国の途につきましたが船が難破し、再度長安で唐朝に仕え中国でその生涯を終えました。


西古墳(特別史跡)

飛鳥時代に造立された西古墳は安倍文殊院を創建した左大臣 安倍倉梯麻呂あべのくらはしまろの墓と伝わります。

古墳内に願かけ不動尊

加工した花崗岩かこうがんで左右対称に組まれた内部は大化元年(645)当時のまま保存されています。
現在、古墳内部にお祀りされている願かけ不動尊は弘法大師が造られたと伝わります。


東古墳(県指定史跡)

飛鳥時代に造立された東古墳は「閼伽井あかいの窟」とも呼ばれ、古来より羨道えんどう(通路部分)に枯れることのない泉があったと言われています。この泉の水「閼伽あか水(知恵の水)」は清浄な水として法要などに使われました。


不動堂


弘法大師像と御砂踏み石

四国八十八所・西国三十三所の本尊仏として境内に祀られていた石仏を一同に安置したものです。
その前には弘法大師像と「御砂踏み石」(中には四国八十八か所のお砂が埋まっています)がお祀りされています。


白山堂(重要文化財)

流造屋根柿葺ながれづくりやねこけらぶき社殿

ご祭神:菊理媛神くくりひめのかみ
菊理媛神くくりひめのかみは日本三大霊山である白山の女神・白山比咩神しらやまひめのかみと同一神です。
白山信仰と陰陽道は古くから深く結びつき、安倍晴明ゆかりの当山に白山神社の末社が勧請されました。


清明堂

ご祭神:安倍晴明公

陰陽師・安倍晴明
延喜21年(921)安倍文殊院の元本堂であった、安倍寺旧跡の仲麻呂屋敷と呼ばれる地で生まれ、少年時代をこの地で過ごしたと伝わります。

如意宝珠にょいほうじゅ
撫でるといかなる願いも意のままに、悪を払い、災難を防いでくれます。
安倍晴明公  天文観測の地

安倍晴明がこの丘で星を見て陰陽道の修行をされたと伝わります。


ウオーナー博士 供養塔

ラングドン・ウォーナー博士(1881〜1955)
アメリカの東洋芸術研究家であるウォーナー博士は、第二次世界大戦において「奈良・京都など古都の文化的価値」をアメリカ政府に説得し、おかげで日本本土空襲の際に空爆リストから外されました。


境内マップ
御朱印
本堂で頂ける3種
天文観測の地から見た
金閣浮御堂と文殊池


安倍文殊院 公式YouTubeチャンネル
境内ライブカメラ
2025年の干支🐍 ジャンボ花絵

12/ 15(日)より安倍文殊院恒例、職員さん手作りの干支花絵がライブ配信されています。


最後までご覧いただきありがとうございました。

参詣日 2024年5月14日(火)


年が明けて骨折が完治したら、特別編成の渡海文殊群像と干支花絵を見に行きたいなあ 😉


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