バナナ売りの少年
1.ゆだったバナナ
うだるような猛暑の中、追い打ちをかけるようなアスファルトの熱に焼かれながら街なかの沿道を歩いていると
ふいに少年が近づいてきて、小脇にかかえた箱を差し出し「八百屋ですけど、果物どうですか?」
その顔は日焼けというより熱で火照って風呂上がりのように湯気が出そうな赤い顔をしている
15,6歳ぐらいだろうか?八百屋の子が手伝いをしているのか?あるいは丁稚奉公のように中学を出たばかりの子が物売りをやらされているのか?
どちらにせよ、こんな猛暑の中、通りに出て物売りとは、戦後の貧しいどさくさの時代ならともかく、いまどき尋常とは思えない
箱の中をのぞくと、トマトが数個とバナナが2本分けておかれている
一瞬『この暑いのにゆだったバナナはないだろ!』という思いが出て、
「いや、いいよ!」と思わず言ってしまった
少年は悪びれる風もなく、軽く会釈して雑踏に消えてしまった
と瞬間、『しまった!どうして断ったんだ!』というせつないような後悔の念が襲ってきた
『あんな少年がこの猛暑の中で物売りとは、何かわけがあるにちがいない!』という思いに変わりすぐ引き返した
成長期なのだろう、つんつるてんの青いズボンと白っぽいシャツを着た少年が、お店に帰るのかスタスタと前方を歩いている
近づいてから「八百屋さーん、やっぱりバナナ一本もらうよ!」と言うなり、さっと振り向いた赤ら顔が笑っている
『目が中学生だ!』などと思いながら、「いくら?」と聞くと、「50円です。」という。10円玉5枚を渡して、あったかくなって少し黒ずんだバナナをもらうと、少年は領収書を渡そうをする。「法律で決まっているので」という。『やっぱり丁稚奉公か?』
少しは事情を聞けばよさそうなものを、照れ隠しもあって、あいさつもそこそこにバナナをポケットにしまいこんだ
歩きながらゆだったバナナをほおばっていると、まるで映画のワンシーンのような俳優気分になっている
2.なにげない自動思考
人間は自分の意志で考えて言葉にしているようでいて、案外思わぬ考えがふいに出てきて、発言したり行動することがある
思考にも、意識的な思考と過去の記憶の蓄積からくる無意識的な条件反射的に出てくる自動思考がある
例えば、忘れものをしたことに気づいた時、自動的に『忘れた!』と出る
実際は、忘れたことに気づいたのであって、忘れたのはすでに過去のことである
あるいは、朝の出勤前に家を出ようとする時、奥さんから込み入った用事を言いつけられているとき、『時間がない!』と出てくる
続いて、『いつもの電車に乗れない!』、『遅刻すると嫌な顔される!』とか次々と思考が連鎖して、ますます嫌な気分になる
先のバナナ売りの少年にすすめられた時も、すぐに過去の記憶から自動的に、『こんな道端で売るのはおかしい』とか、『ゆだったバナナはないだろ!』『猛暑でますますゆだるし持って帰るにもバナナをポケットに入れるのか?』とか次々と思考が連鎖して、少年の事情を考えてあげる余裕もなくなってしまう
結果、本意でないことを口走り、後悔したり悲しい気持ちになったりする
3.自動思考が不幸の元凶
月曜日の朝というだけで、嫌な気分になったり、
これから一緒に仕事をする相棒になる人の第一印象が悪く、それをずっと仕事中も引きづり、楽しむべき仕事をつまらないものにしてしまったり
理想の異性にやっと巡りあえたにもかかわらず、過去のトラウマから否定的な思考が出てせっかくのチャンスをつかみきれず悶々としたり
家族そろっての楽しい旅行中にも関わらず、子供の不注意や伴侶の無神経に逆なでされ、ちっとも楽しめないなど
不幸の原因のほとんどは、現実生活の大きな出来事から些細な事にいたるまで、その出来事そのものよりも、むしろそれに付随する考え方や感じ方が大きく左右する
逆にいえば、この自動的条件反射的に出てくる思考や感情が出てこなくなれば、その出来事そのものを楽しめるようになる
この自動思考は過去の記憶の再生にすぎず、実際に今経験している現実とは無縁のもので、それどころか今楽しむべき現実に文句をつけたり、講釈したりして、現実の体験を歪めてしまう元凶である
しかしこの自動思考にも欠点があり、それと気づかれると途端に出てこなくなってしまう
意識的な生活、気づきの力により、自動思考から解放され頭の中が静かになると、本来の思考力や直観力も鋭くなり、体験そのものを楽しめるようになり、心は安らぎに満たされる