仕事は『自分の使命』を表現する手段
僕は仕事が大嫌いだった。
今でも組織の中で働くことは「肌に合わないだろうな」と思っているが、うつ病を患う前は特に酷かった。
当時は、仕事というのは生活の為にやらなければならないことだから、「選り好みをしてはいけない」、「辛くて当然」挙句の果てには「懲役同然」とまで考えていた。
そのうえ、本当に恥ずかしいことに、自分が満足できていないのに他人を満足させられる訳が無いという態度で働いていた。
今振り返ってみると、長時間労働に嫌気がさしていたということを差し引いても、僕の仕事観は酷いものだったと思う。
とにかく感情を抑制して、やりがいや楽しみなど一切見いださず、淡々と機械のように仕事をこなしたのだ。
その結果、行動力や仕事のスピード感などは評価されたが、主体性や気配りといった人間的に重要な部分が完全に欠落していたと思う。
ところが最近、とある本に出合って仕事観に変化が起こり始めた。
その本には、今は仕事は『自分の使命』を表面化する手段と書かれていた。
自分の使命とは、わかり易くい言えば、この世界で自分が実現したい(すべき)ことだ。
例えば僕の場合、社会や労働することに対して生きづらさを感じ、うつ病を患って『社会的弱者』の立場を経験した。
発症した当初は深い絶望感を味わったが、徐々に考え方が変わり、現在は「そういった人たちを救いたい」、「もっとお金や観念に縛られない自由な生き方が認められる社会を創りたい」と思うようになった。
もしかしたら、これが僕にとっての使命なのかも知れない。
今はまだ、noteで自分の経験や考えを発信することくらいしかできていないけど、1つの記事がきっかけで苦しみや固定観念から解き放たれる人がいたとしたらこの上ない喜びに思う。
お金についてもそうだ。
有難いことに、会社に属していなくても生活できるくらいの収入が得られることが解った。
また、以前とは違い、物事の捉え方や感じ方が変化した。
その結果、必要以上に物欲が湧くことも無いし、何なら格安で他人にお譲りして、そこで得たお金を寄付するようになった。
単純に収入だけを比較すれば、昔の方がずっと多かったのだが、精神的には今の方が圧倒的に豊かで安定している。
本当の幸福と言うのは、お金では買えないということを身をもって経験した。
だからこそ、『自分の使命』を実現することこそが幸せなのだと解るのである。