二十歳になった、あなたへ



二十歳になった、あなたへ


今日、令和3年3月25日、二十歳になったあなたへ。



これから先、あと10年は、毎年迎える誕生日に私のこの文章を読んで、あなたの使命について深く考えて欲しいと思います。


私は、今まで育ててくれた家族や、出会った先生、友人に恵まれ、衣食住に困ることなく、大学にまで進学することができました。しかし、これは決して当たり前のことではありません。そして、これを「普通」「当たり前」と言い切ってしまうことは、あってはならないと思っています。



あなたが、高校二年生の頃、フィリピンのスラムで出会った女の子はあなたと同い年で学年は小学6年生でしたね。何度もドロップアウトしながらも勉学に励んでいた少女に当時の私は夢を尋ねました。彼女の答えは「医者」。「スラム街のみんなを救いたい」と言ったあの少女の曇りのない眼差しを私は、忘れてはいけません。そして、そこで感じた「差」も決して忘れてはいけないのです。


少女の夢が叶う確率がとても低いことと、私が帰国して医学部を志せば彼女の何倍も医者になれる確率が高いということ。そして、この差は生まれた環境のみによって生まれ、今この瞬間も大きくなっていっているということ。


この、人生の起点であり、社会の縮図のような出来事を決して私は忘れてはいけません。




途上国に行った先進国の人々は、たいてい自国の素晴らしさを実感し、自分の富裕度合いを再認識し、帰国します。間違いではありません。その通りです。
しかし、ここで最も大きな問題である点は、そこで立ち止まってしまうことであると思っています。



恵まれた環境・立場・豊富な経験は、社会に貢献・還元させて初めて価値を見出すのです。あなたが、親に高いお金を払って行かせてもらった留学や大学での学び・経験は、自分のためではなく、社会のために使ってください。


日本の、世界の差別・格差をなくすためにはあなたの「恵まれた全て」を使って「恵まれない何か」をひとつずつ「恵まれているもの」に変え、それを「当たり前」にしなければならない。


あなたの「日常」が全ての人々に等しく行き届いた瞬間に、あなたはあなたの生活環境を「普通」と表現してもよくなるのです。



そして、決して、人の持っているものに対して嫉妬を抱くのではなく、自分の持っているものをどのように活かすのかという部分にフォーカスして少しずつでも確実に、上ではなく前に進んでいって欲しいと思います。

他人と比較し、自身を卑下する行為は自身の幸福を最も遠ざける行為です。自分と、社会。この2点に自分の幸福感や使命感を織り交ぜながら日々丁寧に生きてください。



二十歳のあなたは、俗的なものに触れ、社会という大きな渦の中で少しずつ毒されながら、確実に「沈黙」や「同調」を身につけてしまっています。現在の日本社会においてはそれが美徳とされているのかもしれません。

しかし、まだ大人になりきれていない私は、同時にそんな大人にならないで欲しいと強く願っているのです。正しいものには正しいと、そして間違っているものには間違っていると声をあげ、社会的弱者側に立ち続ける人間であって欲しいと強く思っています。

蔑ろにされている権利を、蔑ろにしないでください。当たり前の自由を守る行動をやめないでください。そして、常に自分の中の善意や、好奇心や、探究心に正直であってください。本来のあなたは、自身の奥底に眠る弱くて小さな光のような本心に向き合い、大切にしながら活動できる人間です。年齢や、立場や、職業に惑わされず、自分の理想を追い求められる大人であってください。



2021年3月25日
Kirara Okamoto




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