エヴァと時代
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が延期になった。
残念だと思う反面、これこそエヴァだとも思う。
エヴァンゲリオンは一つの時代の象徴だ。
平成初期、バブルが弾けてもいつまでも夢を見て現実が見えない大人たち、現実に嫌気が差してキレる若者、時代の閉塞感から来るカルトな終末思想、1995年という世紀末の時代がエヴァンゲリオンには確かに乗っていた。
そして同時にそんな時代を生きるためにエヴァに縋って、エヴァから降りられなくなってしまった病人を大量に作ってしまった。その時からエヴァンゲリオンは時代を背負わされてしまった。
1997年。「エヴァはアニメだから。縋るな。現実に帰れ。」と観客に冷や水を浴びせた『Air/まごころを、君に』。病人たちは無理矢理エヴァという母親から引きずり出されて他人の恐怖に晒される世界に叩き出された。
2007年に新劇場版が始まる。
新劇場版はリメイクではなく「リビルド(再構築)」の物語だ。
正直に言って旧エヴァは物語としては破綻している。それはそういう狙いがあったのかもしれないし、そうなってしまったのかは分からないが、何度も作り直されてきた継ぎはぎの違法建築みたいなアニメになってしまった。
それをちゃんとした形でやり直したい。
そういうシリーズになる予定だっただろう。
しかし当初年1作ずつ公開される予定だったものの、ご存じの通り制作は遅れに遅れた。2011年、東日本大震災受け、発表から4年遅れて作られた『エヴァQ』でエヴァンゲリオンはまたしても破綻してしまった。
2016年の庵野秀明監督作品『シン・ゴジラ』のパンフレットには1ページ目からエヴァへの言い訳から始まるのが実に庵野秀明らしくてたまらなく大好きだ。
『2012年12月。エヴァQの公開後、僕は壊れました。
所謂、鬱状態となりました。6年間自分の魂を削って再びエヴァを作っていた事への、当然の報いでした。』中略
『制作者が何を書いても言い訳にしか過ぎず、善意と悪意の前に晒される事態を重々承知の上で、こんな時代のこの国で日本を代表する空想特撮作品を背負って作る、という事を少しでも理解していただけたらという願いから、拙文を寄せています。』
『シン・ゴジラ』の「スクラップアンドビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる。」という台詞。
また『Air/まごころを、君に』の「今の自分が絶対じゃないわ。あとで間違いに気付き後悔する。私はその繰り返しだった…。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でもそのたび前に進めた気がする。」という台詞。
これこそがエヴァンゲリオンが時代を背負ってきたものであり、それに対する庵野秀明の心中そのものだとどうしても僕は思ってしまう。
そして2020年。
また世界はウイルスという未曽有の危機に晒され、世界は壊れ、8年待ち続けたエヴァはまたしても延期となった。
そしてこのエヴァンゲリオン新劇場版の打ち出した「リビルド(再構築)」「やり直し」「修復」というテーマそのものが、そのままこの現実世界の再構築を仮託されてしまった。
エヴァンゲリオンはまたしても大きな時代を背負ってしまった。
これは呪いでもあり、願いでもある。
だから予告の最後の台詞「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」にはどうしても大きな意味を見出いしてしまう。
エヴァンゲリオンが背負ってきた人の想いや時代の全てに終止符を打つために、そしてこの壊れた世界の「リビルド(再構築)」のために、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は絶対に公開されなくてはならないと思っている。
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