見出し画像

社会人11年目となりました

今年こそは。

こんにちは。
どうも、けこぜろです。

本日2024年4月1日をもって、社会人11年目となりました。
大学を卒業してからこの10年、社会人として働いてきたわけですね。
中々の密度です。

仕事内容も立場も全然変わっていません。
相変わらず学童保育に携わっています。
この仕事しかしたことがないからアレですが、自分自身のこの職種は合っているようには感じています。
でなければこれだけ長く続いてませんし、それこそ20歳そこそこの頃は子どもなんて苦手でしたが、ここまで長く子どもたちと接していると全く正反対の感情を抱いているのが不思議です。
でも僕自身が子どもにとって「いい大人」であるかどうかはまた別の問題ですね。

ここnoteでは僕の「スキ」なことばかり話していますが、時折仕事について語ることもあります。
今の仕事自体は好きですが、仕事について話すのはあまり好きではないためその数は少ないですが、今日のような節目にはちゃんと語っておかなきゃなと思うわけです。

ということで、社会人11年目を迎えた今の心境について、これまでの10年間プラスアルファを振り返りつつ語ろうかなと思います。
今の仕事と出会ったあの頃から振り返りますが、思えば遠くまで来てしまいましたね。



この10年を振り返る

アルバイト編

始まりは12年ほど前、中学時代のバスケ部の後輩にバイトに誘われました。
この中学時代というのがまた悲惨でした。
同じ小学校から上がった同級生が多く、学年としての人数が少なくていい感じではあったのですが、僕が所属したバスケ部は練習がハードなため同学年の部員は僕一人だけだったのです。
結果的には公式戦では1度しか勝てたことはありませんし、中学生になって初めてできた後輩には舐められ続けた結果、友達のような関係性になってしまいました。

卒業から5年経っても変わらずに声をかけてくれるのが嬉しいところでしたが、時給1000円のバイトがあるからやってみないか、という誘いを受けたのです。
実際には980円でしたが、学業が忙しくてアルバイトをしていなかったことに加えて、当時の感覚からして時給1000円はそれなりの高さでした。
また、当時の僕は高校時代の3年間に渡って行われた、毎月の頭髪検査の反動で髪を伸ばし続けていました。
まるで不審者みたいな状態ではありましたが、人生経験になると踏んで引き受けることにしました。

その後何だかんだで大学卒業まで学童のアルバイトを続けました。
1年と経たずに一緒にバイトを始めた中学の後輩たちはみんな来なくなってしまいましたが、元来の生真面目な性格から最後まで続けてしまいましたね。

大学3年生の2月、祖母が亡くなったことを言い訳に就活を諦めました。
元々働くことが嫌で就活にやる気はなかったし、祖母の死をきっかけに人生の意義について疑問を持ってしまいました。
子どもの頃から抱いていた「作家になる」という夢は、大学時代に限界を感じて諦めてしまいました。
やりたいことも夢もない状態かつ働く意欲もなかったのですが、そんな僕の人生を変えてくれたのが同じアルバイトの主婦でした。
「職員になってみない?」という提案に乗り、そのまま書類選考を経て面接をしました。
郵便配達のミスで年内に届くはずだった合格通知は隣の家に配達されており、年明けに知ることとなりました。

大学4年生の頃、行きつけだった下北沢の居酒屋でも祝ってくれました

無事就職が決まり、結果的にはアルバイトをしていた職場のすぐ近くに配属となりました。
自転車で10分もかからずに行ける距離で、地元のあまり行ったことのないエリアでしたがその後7年間も通うこととなりましたね。
今となっては現在住んでいる場所の次に馴染みのある街となっています。

そんなこんなで社会人となりました。
これがなんと10年も前でした。

新人編(1年目〜3年目)

社会人になりたての頃は苦労しました。
やっぱりアルバイトととは責任感も違いますし、そんなアルバイトの経験があったとはいえ、僕自身新人特有のミスとか非常に多かったです。
ですが、同期の存在があったからこそ乗り越えることも多かったですね。
当時、僕の業種で男性は珍しいものでしたが、新人として若い男性が2人も配属されるのは中々にレアでした。
改めて振り返ると、この新人の頃は彼がいたからこそ頑張ることができました。

さらに優しい先輩もいれば意地悪な先輩もいました。
優しい先輩はその後7年目まで一緒に働きましたし、仕事からプライベートから色々とお世話になりました。
一方意地悪な先輩には目をつけられてしまい、仕事中に毎回のようにダメ出しをされてしまいました。
「愛の鞭」といえば聞こえはいいかもしれませんが、あまりにも怒られすぎて最初の1ヶ月で咳が止まらなくなってしまいました。
病院に行くと喘息と診断されましたが、この1年目は精神的に非常にキツかったです。

幸いなことに、この年で意地悪な先輩は異動となりました。
職場のメンバーも8人いたところ3人が異動となり、新人が2人と異動してきた職員が1人増えました。
顔ぶれが大きく変わり、2年目にして実質ナンバー3みたいな立ち位置となりましたね。
男性の職員も異例の4人、しかも全員20代とかなり恵まれた環境ではありましたね。
余裕が出てきた2年目はかなり楽しかった記憶がありますね。
1つ年下の後輩もできましたし、同期と含めて3人家が近かったこともあって本当に楽しかったですね。

3年目は節目の年となりました。
仕事的には僕の働く学童は小学3年生になると卒所となります。
つまり、僕が社会人1年目に入学してきた子どもたちが学童で過ごす最後の年になるのです。
3年目が始まった当時子どもの数は増えていましたし、職員体制もこの時かなり悪く、少ない人員で何とか日々の仕事をこなしていました。
あまりにキツすぎてこの時の記憶が残っていません。

夏前に職員体制が良くなり、無事1年を切り抜けることができました。
ですが、3年間を共に過ごした同期は退職することとなりました。
新人時代の相棒がいなくなることはショックでしたし、この時進路を決められなかった自分自身に焦りも感じていました。
3年目は節目の年としてちょうど良かったのですが、このタイミングでその後の人生を変えることはできませんでした。

ベテラン編(4年目〜7年目)

僕の業種はかなり入れ替えが激しいものでしたが、4年目からのメンバーはほとんど固定のような感じでしたね。
個人的には黄金時代とも呼べるようなのがこの頃でしたし、仕事の方では色々と責任感のある職務を任せてもらえるようになったり、新しいことに挑戦こそしなかったけど安定した時期でもありました。
あまりに安定していたので特別な記憶に残っていないくらいです。

また、5年目もあまり記憶に残ってませんが安定していた気がします。
大体5年勤務すると異動の可能性が高まるのですが、この年も無事切り抜けられた感じではありました。

個人的に印象的だったのは6年目の年です。
僕が社会人になったのと同じ年に入学した子どもたちは6年生となり、僕の勤務する職場の小学校の全校生徒が分かる年となってしまいました。
また、僕自身も20代後半ということもあり、仕事も落ち着いてきたのでプライベートでも様々なことに挑戦してみました。
職場となっている学校の5年生の宿泊行事に支援員として参加したり、仕事を早退して映画を観に行き、その後0時からの最新作を観て帰宅し、その後仕事に行くという無茶なスケジュールをこなしたりもしました。
夏にはクラシックバレエの発表会にゲストダンサーとして出演もしましたね。

仕事もプライベートも非常に充実した年が6年目でした。
ですが、年が明けて2020年。
新型コロナウイルスにより、世界の常識がひっくり返る年となってしまいました。
同期の子どもたちも卒業してしまいましたし、職場の環境も6年間一緒に働いた上司が異動になっただけで、メンバーは変わらずとも社会情勢が変わり、手探りの状態で延長戦のような7年目に突入したのです。

7年目は非常に大変な年でもありました。
年々増えた学童の数は200を超えていましたし、コロナによってどうやって運営すればいいのかも分かりませんでした。
当然のようにリモートワークができる業種ではありませんし、感染リスクをヒリヒリと感じながら、日々の仕事をこなすことしかできませんでした。
職場では新人の頃からお世話になっている先輩と僕が7年目の最年長ということで、経験年数こそ短いですけど完全なるベテランとなってしまっていました。
そのため、この7年目が最後の年だということを感じつつ、何も進展がないまま職務をこなし、その後異動となってしまいました。

再始動編(8〜10年目)

初めての異動は本当に辛かったです。
何もかもがリセットされた新しい環境で、自身の持つ経験だけを頼りに仕事に当たらねばなりません。
これまで7年間働いた職場があまりにも良すぎたこともあり、8年目はずっとノスタルジーを感じていました。
ほとんどやる気も出ませんでしたし、新しいことを覚えるのに精一杯で何の進展もありませんでした。
まだまだ世界情勢も良くなかったですし、心は以前の職場に置いてきたままだったため、この年は何度もかつての職場にお邪魔しました。
ですが、卒業式の1週間前と8年目の最終日である3月31日をもって、以前の職場に行くのをやめました。
かつての職員が何度も訪ねるのも良くないと感じたからです。

9年目と10年目はベテランという自覚をもって、新しい職場でも自分を発揮してきました。
お陰でそれなりの居場所を作ることができましたし、頼られる場面も増えてきたように感じます。
ですが、依然として僕自身の進路を定めることができずにいます。
長年働いてはいるけど、肝心なところで結果を残すことができないままです。
これがあまりにも情けなくて悔しいです。
今でも過去にしがみついてばかりですし、後悔ばかりが増えています。
理想としては今日から新しく始めるつもりでしたが、何も変わらぬまま11年目に入ってしまいました。


今年が最後の年

11年目の朝となりました。
昨年度は以前の職場で僕を慕ってくれていた子たちが卒業となりましたが、2年前に会って以来、遂に再会することはありませんでした。
何度か近くに行ったものの、アクションを起こせなかった自分が嫌になります。
結局のところ、僕は最後まで様々な後悔を抱えたまま生きていくことになりそうですが、それはそれとしておきます。

11年目も同じままではいられないので、今年こそは僕の人生に決着をつけたいと考えています。
年明けに建てた目標を達成すべく、今の生活を続けつつも変えられるように頑張りたいと思っています。

そんな今の僕を元気づけてくれるのが浜田省吾の『この新しい朝に』です。
先日ライブバージョンの映像も公開となりました。

この曲を胸に11年目の仕事も頑張ろうと思いますし、僕には今現在触れているM3 MacBook Airもあります。
社会人10周年を記念して思い切って購入したこの相棒がありますし、このM3 MacBook Airを用いて新しいことにも挑戦したいですね。

新しいことへの挑戦といえば、昨年に引き続き今年もバレエの発表会への出演も決まっています。
以前演じたのとは違う演目、未経験の新しい役で不安はありますが、僕なりにできることを頑張りたいとも考えています。
そのためにも演技力も磨いておきます。



まとめ

こんな感じで、これまで10年間の社会人生活を振り返りつつ、次の11年目についての思いをまとめてみました。
惰性で続けてきた今の仕事ですが、続けてきたことに意味を見出す年にしたいです。
そのためにも、これまでとは違った視点、違ったやり方で仕事をしようと考えてもいます。

また、昨日訪れた「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 – メイキング・オブ・ハリー・ポッター」が非常に素晴らしいところでした。

ここで見たものや体験できたことが本当に最高だったので、この思い出を活力にして今日からの仕事も頑張ろうと考えています。
僕の職種は年度初めが1番大変でキツいですからね。

それでは、また。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?