【小話】知識獲得への疑問符
你好我好大家好(ニーハオオーハオダアジャアハオ)どうもMuneです。幾分か風が心地良くなり、令和4年も春が来てしまいました。私は復学を果たし、あいも変わらずオンラインを通して留学しております。1年間の休学で考え方も変化して、以前よりも前向きにパソコンと向き合えています。ビザ、おりると良いなあ。
さて、今回は近頃このパソコンの向こう側から聞こえてくる授業ラジオのとある話をきっかけに、学ぶ目的と世界観や価値観を広げる目的について考えたことを自分なりに整理しつつ話してみたいと思います。
なぜ学びに来たの?という質問
私は商学院(所謂日本でいうビジネスや経営学部)の貿易経済コース専攻のですが、大学のカリキュラム上2年生までの間にミクロマクロをはじめ沢山の経済学分野の知識をたたき込まれました。そして満を持して迎えた3年生では貿易や経済の歴史と異文化地域の理解についての授業が多くなる見込みでした。
その中で、中国商業史という中国から世界までの経済や貿易の発展に纏わるTHE歴史の内容が予定に組み込まれていました。
正直なところ、2年間かけて得た理論的知識や実用的なツールに比べると、やはり私を含む多くの学生はこの歴史の授業を少し軽視していました。
さあ、歴史知識の暗記だろ、ロジックや計算に比べたら楽勝だぜ。と軽く身構えてチャイムが鳴り止むのを確認した後、教授が自己紹介をし、さて、と賽を投げ出すと思った矢先、開口一番教室内の学生に「あなた達はなぜ私のこの授業を受けに来たのだ?」と薄ら笑みを浮かべたような声で問いかけました。(はなから教授はオンライン授業のカメラの前にいないので声での想像です)
勿論、カリキュラムにあったからだなんて答え方を向上心の塊の学生達がする訳もなく、私がパソコン越しに話を飲み込んだその直後には、ある向上心の高そうなハキハキした声の男子学生(イメージしやすい様にあえてちびまる子ちゃんの丸尾くんとでも呼びましょう)が「それは無論より多くの知識を得て、経済や貿易に関しての知識を深め、私たち自身のこの分野についての世界観を広げるためです」と私が試験官ならはなまるをあげたくなるくらいの模範解答を提示してくれました。
丸尾くんのその返答の速さと模範的な一字一句とそのハキハキし過ぎた声に思わず私はパソコン越しに少し微笑んだのですが、同時に教授もフフッと軽笑した様に聞こえました。それを懐疑する間を与えずに教授は「君は実にいい学生ですね」とどこか皮肉った口調で話しました。
なんだ、真面目な学生を嫌うタイプの先生なのか、それとも丸尾くんの答えが正し過ぎて返す言葉がないのか、などと余分な考えが浮かぶくらいの沈黙を与えた後に、教授が話した内容はそれなりに私含むそのクラスの学生達を悟させるものでした。
学びへの疑問符
私がイアホン越しに聞いた教授の中国語の対話内容をまとめるとおよそ次の様なものでした。
教授:「これから私と共にみなさんが学ぶものは歴史の内容です。所謂知識です。ただ、知識を得るという事を目的にするのはあまりにもくだらないのかもしれません。」
教授:「現代社会ではみなさんを含む多くの学生や学者が重複した知識やスキルを習得し、伝えていく事で、コピー機の様なエリートを目指しています。勿論、それはエリートなのですから社会的に十分に賞賛されるべきでしょう。しかし、その数えきれない知識や情報を自分の中に詰め込んだ状態のみなさんは果たして元の自分という存在を保った状態で命本来の考えや判断をできるのでしょうか?例えば、今一つアバウトな質問をしてみますが、みなさんは古代ヨーロッパの経済貿易のことを優れたものと思いますか?」
丸尾くん:「当時の交易手段(航海技術などを列挙)を十分活用して多国間でより多くのモノのやり取りをして自国の利益を生み出せているはずなので、優れていると言えると思います。」
教授:「なるほど、とてもいい返答です。そういった判断をしたのはきっとあなたの今まで手に入れた当時の歴史に関する知識と経済知識を基にしたロジックのある考えだと思います。さて、ここでは、この質問についてこれ以上は言及しませんが、みなさんはこの様に考えた時、教科書などの知識でそれを捉えたと思います。ただ、その知識やロジックというものは言って見れば一種の洗脳に過ぎません。」
教授:「学ぶという事でより多くの知識やロジックを手に入れ、自分は賢くなったと感じますが、ややもするとそれは逆にそれらに支配されていると考えることもできます。もう一つ質問をしますが、みなさんは今の中国と漢の時代の中国のどちらの経済が発展していると思いますか?」
丸尾くん:「どちらも優れた部分と足りない部分(色々列挙した)があり、考え方によっては一概に言えないのかと思います…」
教授:「そうですね。質問の内容を少しすり替えてみましょう。みなさんは今の自分が10歳の頃の自分より優れていると思いますか?勿論優れている部分はあると思います。例えば10歳の頃の自分よりは確実に知ってる世界が広いし、難しい数式も解ける。しかし、劣っているというか失ってしまったものをありますね、10歳の頃は毎日に発見があり未知の中に楽しさを感じて、無知ながら沢山自分で考えて遊んだりしたのではないでしょうか。今はきっとあの頃よりはそれが少ないでしょう。なぜですか。」
丸尾くん:「知っていることが増えたから発見が減った、、制限されたということですか。」
教授:「そうなのかもしれませんね。学ぶことは楽しい事だと少なからず何処かでみなさんは感じたからこそ、大学まで進学しているし自分なりに学科を選んだ。というのが全てではなく、きっと中にはこの学科でこの知識を得て将来はここで働いてこういうエリートになるなんていうイメージをした人が多いのでしょう。いつしか、”学びたい”という言葉は皆さんの命本来のものではなく味が付いて人によっては”学ばなくては”という社会に出て行くための義務や使命的なものになっているのかもしれませんね。」
なるほど、とここまで聞いて私を含むクラスのみんなはしばらく沈黙を味わって考えさせられました。なんと言っても、この話を血眼になって将来に役立てるビジネスに関する知識を学んでる学生にこのタイミングで話してるのですから、諭すと同時になかなかに皮肉が効いてて内容を噛み締めながらも笑えてきました。
確かに、学ぶ事で私たちはそれまでに無い知識を得て、新たな世界に出逢うが、もともと無知な状態にあった想像力や豊かさが減ってしまう節はあるのかもしれません。
中国では『读万卷书,行万里路』という諺があります。 『(多くの本を読み、多くの場所に行く事で)視野を広げ、見聞を広めなければいけない』というものです。これは知的探究心から出発し、自分自身をより豊かにするために必要な事です。しかし、これはあくまで昔の諺。
現代の様な幾多の情報が行き交う社会では、自身がその時間をかけて培った知識の豊かさも肩書きとしてただ一つの情報として完結してしまうことがあると思います。心から思った大学で学びたい事、言語能力、留学などを通して増やした世界観や物事に対する価値観もいつしか当初の線路から外れて自己証明の為のツールに成り下がってしまうのでしょうか。そもそもそれを学びたいと考えるのもその社会の文化に影響或いは洗脳されたからなのでしょうか。
世界観を広めたその先へ
そもそも「学ぶ(まなぶ)」ということの語源は「まねぶ」に通じているので、先人の真似をするということ、つまり教授の言う「コピー機の様なエリート、学者から学生への重複した知識の複製」は習得して行くということを体現しているので、何も不可思議な事では無いと思います。
ただ、その中で自分という命の「意思を保ち続ける」ことに追求していく意義があるのかもしれません。
一概に与えられた物を精一杯コピーしていく事は確かにその過程で自分という人が一種の社会上のモノに成り下がる可能性があります。大事なのは知識や情報の波の中にずっと自分がいる状態を作ることなのでしょう。知識は受け取るのではなく、自分の中で判断するというニュアンスが正しいのかと思います。
学問のロジックや歴史的知識そして自分で足を運んで得た見聞全ては判断の後に、私たち自身という色の付いたフィルターを通してコピーしていく必要があるのでしょう。それこそが冷ややかな情報社会に生きていく自分自身の命に対する一つの尊重であり、意志を持って落とし込んだ知識知見から温かさを与えてもらえる些細な方法なのかもしれません。
留学している身からすると、現代社会はとても簡単に自分の世界観や価値観を広げられる手段があると思います。インターネットを通して多くの情報が流れてくるし、パンデミックこそありますが、世界中を訪れて現地の事を知る事も容易くなったかと思います。諺に『井の中の蛙大海を知らず』なんて言いますが、今はその井戸の中でもWi-Fiがそこら中に飛んでいるかもしれませんね。
考えてみると、簡単に情報が手に入るからこそ、それを十分に噛み砕けく前には次の情報が押し寄せてくるおかげで、あれもこれもなんだろうが少し知っているという状態になってしまうのでしょう。深く考えて味わう時間は例え身を置いたとてうまく用意できるモノでは無いです。広く世界を知っているだけでは物足りないということになると思います。
先ほどの諺の続きは『井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さ(深さ)を知る』だそうです。現代社会では井の中でも大海を知れちゃったりします。そうだったらより一層その大海の空の青さを自分の中で深く知っていき、自分色を持って考えて進んでいくのが一つの学びの道での生き方になるのかもしれないと私は感じました。
私も数年後も自分がその中にいれる事を願って努めていこうと思います。脳裏に松本人志さんの名言「魂は歳を取らない」が微かによぎりました。
まとめ
さて、ここまで読んでいただきありがとうございました。いかがでしたか、今回は大学の講義から得た些細な考えについての小話でした。私の感じたことが少しでも伝えきれていたらとても嬉しいです。
これからも大学や留学、文化や学習などなど感じたこと考えたことを少しずつでも言葉にして共有していけたらなと思います。
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