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わたしの水玉自伝

あ から始まる好きな言葉。 

私の名前、愛の言葉、アルコール、甘い苺、愛のむきだし、赤い靴、明け方の空気の匂い、アンダーグラウンドな世界とか、泡でいっぱいのお風呂。

アーバンギャルド

バンギャ?バンド?ギャル?

???

頭にはハテナマークが浮かんでましたが、
何だか素敵な響きだと直感し。
当時22歳の私はTwitterのTLに流れてきた「スカート革命」のMVの再生ボタンを押したのでした。

流れてきたのは、とても可愛く、毒々しく、ポップで上品な音楽と、前髪を真っ直ぐに切りそろえたお人形さんみたいな女の子。
その他、不思議な男性陣の映像でした。笑
一瞬で引き込まれたのを覚えています。

YouTubeやTwitter、ニコニコ動画を駆使し、あっという間にアーバンギャルの一員となったのでした。

今回水玉自伝を読み、本当に長い時間をアーバンギャルドと過ごしてきた事に改めて気付かされました。

大好きな映画、愛のむきだしの中で引用されている聖書の言葉に

【我々が知るのは一部分、また予言をするのも一部分であるが故に完全なものが到来するときには部分的なものは廃れ去る】

という言葉があります。

本当に一部分、だけど真実で乗り越えてきた事実で。この長い月日でさえ今この瞬間アーバンギャルドという存在が続いていて、きっとこれからも続いていくという事実に繋がっている事に、安心したような、嬉しくて泣けちゃうような、そんな気持ちになりました。同時に、あの時は、、と思い返して不甲斐ない気持ちになったりもしたのですが。

自伝、という物はいつか作ってみたいと思っていました。何故かは分かりません。自分が特別な人間だとも、平凡な人間だとも思いません。ただ、生きてきた。その事を今になってちゃんと肯定してあげたくなったのかもしれません。もしお付き合い頂けるのであれば幸いです。

自分の顔が大嫌いでした。否、今も嫌いなのですが。自我が芽生え、周りの人間と接するようになってから、自分は人とは違う!とてつもなく不細工だ!だから意地悪されるんだ、と思い始めました。親はピアノや絵画を習わせてくれましたが、教室に通う事も苦痛で仕方がなかったし、何一つ楽しくありませんでした。

それでも絵を描く事は好きだったのですが、描いた絵(生まれたばかりの可愛い弟の絵。愛情込めて描いた。褒めてもらえるとさえ思っていた。)をクラスメイトの誰かに(闇深いね)ぐちゃぐちゃに塗りつぶされて、もう終わりだと思いました。今でも涙が出ます。イジメ、ダメ絶対。塗りつぶした奴、〇ね。その他割愛しますが色々な思いをしてきました。
ここから暫くはメンヘラ中二病フルコース!まっしぐら!という感じでお察しの通りの生活をしてきました。ロリータファッションに興味を持ち、なけなしのお金で原宿に行き、当時プチブームだった、BODY LINEにてロリータ服を購入し、粗悪な素材ではあったものの自分もロリータさんになれた、、と鏡の前でこっそりにやけていたりしました。自分の顔が嫌いなくせに、可愛いものを身に纏いたいという気持ちはとても強かったのでした。

通信制高校に通う事になった私は、宇都宮のオリオン通りを拠点に、高校で出来た全身真っ黒のお洋服に身を包んだGLAYファンの女の子とよく遊んでいました。カラオケに行ったり、Festaに行ったり。そこで、BABY,THE STARS SHINE BRIGHTと出会い、長いお付き合いを始めたのでした。その女の子とは卒業してから疎遠になってしまいましたが、あの頃の未来への不安とか焦燥感は今でも辛く苦しいものであったと思うし、どうか元気でいて欲しいと切に願うばかりです。そんな日々を乗り越え、同年代の友人より少し遅れた社会人生活をスタートさせたのでした。

とは言ったものの精神的に不安定な状態が続いていたため、少ない時間からしか働く事が出来ませんでした。それでも職場では周りの人に恵まれ、今でも交友がある事はとてもありがたく感じています。そして、2011年。東日本大震災が起きました。14:46 今でも鮮明に思い出します。とても辛く恐ろしい出来事。当時某コンビニエンスストアで働いていたのですが、電気も止まって信号も動かないのに物凄い沢山の人が商品を買い漁りに来て、真っ暗な中オーナーと二人で電卓を叩きました。何だかすごく悲しくなったのを覚えています。この地震の2年くらい前、免許を取ったばかりの友人と二人で弾丸の東北旅行をしました。車一台で、下道をずっと走って。峯田和伸さんを崇拝している子だったので、二人でゴイステや銀杏を熱唱しながら色んな所に行きました。優しくしてくれた東北の人達。美しい景色。テレビ越しに見る、壊れてしまった世界が本当に怖かった。その頃も不安と恐怖であまり具合はよくなかったように思います。Twitterのアカウントは震災前から持っていたのですが、震災を経験し、リアルタイムに情報を得る事が出来る、繋がっている安心感に繋がるというメリットに気付き、本格的に使い始めました。そして、アーバンギャルドとの出会いを果たしたのです。

スカート革命のMVを見て、一瞬で虜になったのはきっと、運命で必然だったのだと思います。ずっと心の中にあった、可愛いものを愛したい気持ちとか、自分が嫌いだけど嫌いになりきれなくて苦しい気持ちとか、毎日不安で仕方なくてでも誰にもすがれない気持ちとか。全部アーバンギャルドに出会って、アーバンギャルドの音楽にぶつける事が出来ました。醜くても、腕に傷があっても、可愛くなりたくて、愛されたくて、認められたくて、いいんだよ。って、アーバンギャルドはいつも囁いてくれました。なりたい私にやっとなれたのだと思いました。可愛くなるために努力もしました。現場で沢山の友人が出来ました。すごく嬉しくて、幸せで。色んな初めてを経験しました。沢山の思い出が、私のスマホとプリクラに残っています。

・黒歴史発掘場で有名なmixiより 

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・初めての生アーバンギャルドは、憧れの戸川純さんとのツーマンライブでした。初参加にして、天馬さんから近藤さんを勝ち取り運命を感じたのでした(エモい)

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・現場で出来た沢山の友人とのプリント・クラブたち。

あたしたちの青春はプリントされて わずかな光と闇にプリントされて

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時を重ね、大人になって(元々大人だっただろという突っ込みは聞こえませんw)段々と私も変わっています。前髪ぱっつんを辞めたり、髪を染めてみたり。スカートの丈も長くなったような。でも、私です。
少女フィクションの大人病を聴いた時、ああ、私がいるって強く思いました。どんどん変わってゆく。景色も、周りの人も、関係性も。

だけど抗う必要はないんです。
だってアーバンギャルドは歌ってくれている。どんな私も。過去も現在も未来でさえも。
そしてこれからもきっと、アーバンギャルドと一緒に生きていけるから。

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