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変化していく、何もかも

色々あって実家に帰省して3日目。
実家に帰るのは半年ぶりくらいだけれど、たった半年でも見違えるように色々と変化が見えてくる。
飲食店も、スーパーも、アパートも、知らないもので埋め尽くされている。
もし僕がずっと実家にいたら、前からずっと存在していたかのように振る舞うであろう新たな建物たちが、半年ぶりに戻ってきた僕に対しては、月日の流れを突き付ける者たちとなって出現する。

最近、母が20年間続けていたパートを、店舗が閉店したしたことによって辞めることになった。
20年間という、僕の人生の約8割強を占める時間をそこで過ごしてきたんだから、思い入れなんて言葉じゃチープすぎるくらいの感情がきっとあったのだろう。
僕はまだ20年間ほど続けたことなんて、呼吸くらいしかない。自分の人生経験の浅さを悔しがるとともに、お疲れさまでしたと伝えた。

月日は流れるもの。地元を出て約2年しか経っていないのに、2年以上の変化があったようで、寂しさについていけなくなってしまう。友人も皆、結婚をして新たなステージへ旅立っていったりしている。
若干置いていかれそうな焦りを抱えながら過ごす最近の日々は、少し心が痛い。

そんなことを考えていたらモヤモヤしたので、気分転換に自転車でも乗るかと、家の裏にある自転車に乗ろうとしたら、余計にモヤモヤした。

僕のかつて乗っていた自転車は死んでいた。
錆びれて、蜘蛛の糸が伸び、ハンドルには経年劣化を表すような白いコーティングがされている。
抜け殻のようなその姿を見て、なんだか申し訳なくなった。
年を取るにつれて、離れていった自転車。10年近く乗っていたのに、ある日から急に使わなくなったから、さぞかし寂しかっただろうな、、なんてことを考えてしまった。もしこの自転車が言葉を発することが出来る世界線であったら、僕は第一声で「ごめんね」と言ってしまいそうだ。
せめても、僕はアーモンドチョコレートのストラップが付いた鍵をお守りにして持って帰ることでしか、この感情を忘れられそうになかった。

何もかも変化をすることからは逃れられない。
あの頃のままで、なんて願いは全て虚しく月日の流れによって消去されてしまう。

一瞬一瞬を噛みしめて生きる。
難しいけれど、僕らはそうしないときっと幸せになれない。

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