炎天下で煮えたスイカの思い出
津波から避難のための丘の上の別宅にあるスイカ畑
子供の頃、夏休みになると紀州の親戚の家に行くのが数年来の習慣だった。お世話になっていた家は、海岸の近くに時計屋を営んでいて、その家とは別に海岸通りから少し離れた丘の上に建てられたばかりの新築の別宅があった。なぜそうなっているかと言えば、海岸通りにはしばしば津波がやってくるからだ。丘の上の別宅が建てられる前は、津波が来れば丘の上の方に避難して、津波の猛威に耐えながら、津波が過ぎ去れば海岸通りの時計店を改修してまた仕事を再開する。
店の展示品であるデモ用の大時計などは、津波で流されないように紐で縛ってある。津波の騒ぎが収まったら、それぞれの家の周辺に取り残された家具や店の商品を、それぞれ持ち寄って元の地主に返すのだ。もちろん、津波をかぶった商品は駄目になるので、特に価値のある家具や商品は、別宅ができる前は、丘に近いところに保管用の小屋があって、そこに保管されていた。
炎天下で温かくなったスイカでのどを潤す
お世話になっていた家には、私と同じ年齢くらいの佳乃子という女の子がいた。子供のことだけに互いに詳しい自己紹介もできず、大人たちからは漠然と遠縁の子と聞かされていた。佳乃子はいわば私の接待役的な役目を担っていて、ひまわり色のワンピースを着て、どこかに出かけるときにはいつも彼女が付き添ってくれた。ところで、丘の辺りの別宅の周りには比較的大きなスイカ畑があり、その日佳乃子は私をスイカ畑まで連れて行けと親に言われたのか、手に小型のナタのようなものを持参してスイカ畑に向かった。私が佳乃子のナタに気をとられていると、佳乃子は私にナタを気にしなくてもいいという風に、そのナタでスカイを切る仕草を見せた。
季節は夏の盛りで、スイカの収穫時期がいつかは知らないが、佳乃子はスイカ畑を歩き回って、彼女なりに一番見事に実ったスイカを選び出し、農作業の用具が入った小屋に入り、中からスイカを切るまな板になりそうな板を引っ張り出してきた。そしてその上に持ってきたスイカを置いて、一瞬のためらいもなくナタで一刀両断、真っ二つに切ったのだった。そのスイカは真っ赤に熟れていて、見た目にもその甘さが伝わってくるようだった。
私は佳乃子の顔を覗き込んだが、佳乃子は微妙な顔をしている。何か不都合があったのかと佳乃子の言葉を待ったが、彼女は「スイカが煮えとる!このまま食べてもええが、煮えとるからうまくないぞ。家に帰って井戸にでもはめとくか?」と、私に尋ねた。結果的には、暑いスイカ畑で佳乃子と二人温かくなったスイカを、これも彼女が家から持参してきたスプーンで食べることになった。のどが渇いているので、美味しくはないけれどちゃんと食べられて、スイカが温かくなると、こんな味になるのかと、一つの経験をしたという感じだった。
行水とスイカで語る紀州の夏の思い出
佳乃子もそのことは心得ていて、畑は暑いのでスイカは家に帰ってからゆっくり食べればいいという予定で、農作業の用具入れからリヤカーを持ち出し、そこに段ボールの大きな箱を載せて、ほどほどの大きさのスイカを4個持ってきて中に入れた。佳乃子は、そのリヤカーを引っ張って、家族がいる海岸通りの家にスイカを運ぼうとしていた。その頃には私も佳乃子に幾分慣れ親しんでいて、私は力もないのに、リヤカーを引っ張って、丘を下って浜の家まで運ぶのを買って出た。海岸通りの家に戻ると、佳乃子は早速大きなたらいに水を入れて、不愛想に私に行水することを命じた。
私は佳乃子の前で裸になることを躊躇したが、有無を言わせない迫力で、私から下着を奪うと洗濯場の方に歩いて行った。私は仕方なく行水に漬かって待っていたが、彼女がいない間に近在に住んでいる親戚の子供たちが集まってきて、私のたらいの周りを取り囲んでいた。それも全員が女の子で、私は恥ずかしくて身動きもできなかった。
そこに佳乃子が行水のところに大きなまな板を持ってきて、早速スイカを切り始めた。彼女は一番初めに切った一切れのスイカをグンと手を延ばして私に渡そうとしていた。私が一方の手を延ばしてスイカを受け取ると、周りの女の子たちにかなり素裸を見せることになり、佳乃子の顔を見て困惑を伝えようとしたが、佳乃子は一向に気にすることもなく、スイカはたくさんあるので遠慮せずに食べろといった風に目で促した。そこで私も覚悟を決めて、裸を気にせずスイカを食べ始めたが、かなりの時間をかけてみんなで畑から持ってきたスイカを平らげた。周りの女の子たちは雑談に耽っていて、たらいの周りでの雑談は延々と続いた。暑い夏とは言え、水でふやけそうになりながら、救われるタイミングをひたすら待っていた。やがておばさんが私の着替えをもってやってきて、佳乃子にそれを渡した。彼女は、小さな子供に下着を着せるみたいに、パンツを広げて足を入れろとパンツを振った。周りの女の子たちは、いずれも親せきの子供ばかりで、互いに顔を見交わしながら、あたかも私が佳乃子の許婚であるのを理解したように、急に温かい顔になった。温かいスイカとこの出来事は、この海岸通りでの私の数少ない夏の思い出となったのだった。