「冬の床」
見ることのない鴨川の「冬の床」
「床」「川床」と言えば京都の夏の風物詩だ。夏、つまり五月頃になると、鴨川の西側の川岸にある料理屋などは一斉に川床を設ける。そして川床は九月頃まで続けられるようだ。何かの本で読んだことがあるのだが、川床が設けられている場所は実は京都府の持ち物だそうで、川床を設ける店は、交渉するための団体を作っていて、そこを通して京都府から借りることになるようだ。
鴨川の川床は、京都の人でも詳しいことは知らない人がいると思うが、鴨川の西岸の二条から五条にかけて設けられる。詳しく言うと、鴨川の流れと西岸の間に「みそそぎ川」という小さな川が流れていて、したがって正確にいうと鴨川の川床は、「みそそぎ川」にせり出した特設の桟敷という事になる。私は夏の川床、つまり「納涼床」を見慣れてきたので、冬の二条から五条の鴨川の冬の川床が見てみたいと思うのだが、冬には当然川床がないので、実際は「冬の川床」は存在しない。
しかし存在しないがゆえに、「冬の川床」という言葉を口にするのはいかにも幻想的で、また文学的に言えば「冬の川床」という言葉が何か新しいイメージを想起させるくれるものと期待させる。それを探るためというのではないのだが、正月間近のその日、私は歳末の河原町四条駅で阪急電車を降り、地下から路上に出て四条通りの北側の歩道を東に向かっていた。四条通りの突き当りには「八坂神社」があって、四条通りの鴨川を渡った辺りは「川端の四条」と呼ばれているらしいが、「川端の四条」辺りのの斜め向かいには「南座」がある。「南座」では、年末になると恒例の「顔見世興行」が行わ歌舞伎の聖地のひとつとして全国的に知られているが、その少し前に「顔見世興行」に出演する歌舞伎俳優の名前が書かれた看板を、南座の正面に掲げるのだが、これを「まねき上げ」という。一応これを見るといよいよ今年もあとわずかという気分になるのだが、私も「まねき上げ」を確かに見届けたので、「南座」の前を今度は、四条通りの南側の歩道を西に向かい、つまり河原町四条の方に向かった。河原町四条に行くには再び四条大橋を渡って鴨川を越えるのだが、橋を越える過程で夏ならば川床が眺められる。しかし当たり前だが歳末の今は何もない。私は河川敷の「みそそぎ川」の畔を歩きながら、私の発想のテーマである「冬の床」を何とかイメージしたいと思ったものだ。
歳末の京都・先斗町で「冬の床」のイメージを追う
といってもイメージが突然湧き出る訳ではなく、歩けば何かに出遭うだろうと淡い期待を込めて一旦鴨川を上がってすぐ横の先斗町の通りに入ることにした。その日は実に、十二月も三〇日で大晦日の前日だった。ここまで年の瀬が押迫ると、もはや慌ただしさも通り過ぎて、何とも通りを歩く人も一種の放心状態にあるようで、酒や食べ物を求めて片っ端から店をあさる人と、もはや何をすればいいのか分からない人が通りに取り残されたようにいた。
私も状況は通りを歩く人と少しも変わらないが、私にはその日の予定が全くなく、とりあえずは優雅に一人で歳末の風情を味わって、「冬の床」の幻を見定めようとしたのだ。まずは何の思いつきもなく、木屋町、先斗町界隈を夢遊病者のようにうろつき回っていたが、思いつきでは意味がありそうな成果もなく、とりあえずは居心地のよさそうな場所に落ち着くことにした。先斗町を四条から五条に向かう中ほどに、快適そうなカフェを見つけた。そのカフェは一階にあって、ほとんどの窓や間仕切りがほどほどの大きさのガラス窓枠で構造されていた。先斗町から店の全体を望むと、鴨川を絶好の背景に、黄昏(たそがれ)の鴨川を一枚の絵画に仕上げたような絶妙の完成度だった。しかもこの店には鴨川へと張り出した木製のベランダが設えられていて、店内から自由にベランダへと行ける。私は室内のベランダ側の席に座っていて鴨川が透けて見えるベランダのシルエットを楽しんでいたが、あまりに自然で、迂闊(うかつ)なことにベランダの手すりに大きな二羽の青鷺(あおさぎ)のディスプレイがセットされていたことに気付かなかった。
「青鷺(ヘイロン)」はスタジオジブリの宮崎駿(みやざきはやお)監督の最新アニメーション映画「君たちはどう生きるか」の英語版のタイトルだ。「青鷺」とは、なかなか粋なディスプレイだと思ったその瞬間に、突然ディスプレイだと思った「青鷺」は、そのままベランダの手すりで羽を何度か羽ばたかせ、やがて鴨川の夜の空へと一気に飛び去って行った。私は茫然と「青鷺」を見つめながら、まさにこれが私の思っていた「冬の床」ではないかと感じ入っていた。「冬のフェニックス」と呼ばれる幻想的な美しさ、「青鷺」という神秘性が、まだ見ぬ「冬の床」を見せてくれたような気がして、私にとっては最高の歳末となった。