「ゴキブリ」がなぜそれほど怖いのか?
「ゴキブリ」と「アブラムシ」
ゴキブリというのは全国共通の言葉、つまり標準語だと思う。その言葉が指し示すモノは、太古の昔から何ともふてぶてしく生き抜いてきた昆虫で、おそらく生理的に好きだと言う人はほとんどいないだろう。しかしこのゴキブリのことは、大阪でもやはりゴキブリと言うのだが、同時に一部の人はアブラムシともいう。最近では、コマーシャルでの表現もあり、どちらかというとゴキブリと呼ぶ方がはるかに優位にあると思う。それとアブラムシと言う言い方は、比較的高年齢の人がよく口にする。しかし、アブラムシと言えば、植物に付く小さな虫のこともアブラムシと言うので、そこは確かに問題だが、植物に付く小さな虫のアブラムシについては、言葉として一般的な使用頻度が少ないので、大阪ではそのままにしているといったところだろう。
ただ大阪人としては、「アブラムシ」という呼称はテカテカしていて、いかにも油臭いという意味合いからきた言葉だと思うので、それはそれなりにリアリティがあるので、なかなか捨てられないのだと思う。だから、突然ゴキブリが登場した場合などは、思わず「アブラムシや!」と大声を出してしまうのだ。
家族団らんを台無しにする一匹のゴキブリ
ところで、家の中でゴキブリが出てくると、主婦はじめ家族の人がそこまで大騒ぎするのはなぜだろうかといつも不思議に思う。玉虫みたいに美しくはなく、芳香を放つわけでもなく、なにしろ素早く奇っ怪な走り方をするので、家の中にゴキブリが出てくれば、不愉快に思うのは仕方がない。しかし大声を挙げて逃げ回るほどに凶悪なものかというと、咬まないし、刺さないのでそうでもない。私と同じ年頃の友人は、部屋の中にゴキブリが出てくれば、顔色一つ変えず、素手で一気に捕まえて窓から捨ててしまう。おそらくゴキブリは一般的はそれくらいの存在感なのかも知れない。
都市部を少し離れればマムシや青大将といった蛇や、ネズミがよく人間の居住部にでてくるが、人間の居住環境に出てくるそうしたものに比べて、ゴキブリがそれ以上のインパクトを持っているとは思えないので、あれだけ人間に嫌われるというのは、きっとそれなりの理由があると思うのだ。
ゴキブリはユニット住宅の美意識を阻害する不倶戴天の敵
そのことをつらつら考えるに、これは現在のユニット化された美しく清潔な居住環境と密接な関係があるのではないかとハタと思いついた。最近のユニット化を主流とする住宅商品は、いずれも隙間なく緻密に設計されている。ユニット化の流れは、水回りの部分を中心に進められ、どんどん対象部分を広げていっているのだ。ユニット化は、次々に接続部分の規格化を要求し始めるので、住宅の一部分をユニット化すると、隙間なく美しく清潔な住空間の方がたちまち優位に立ち、やがて家の全域に広がっていきやすい。
こうした住空間の、美空間化、統一化、清潔化、快適化によってもたらされたハイレベルの空間クオリティが、次第に住空間の標準化になりつつある。だからこの美しい住環境の中なので、たかがゴキブリ一匹と言えども、許してはならないものとなっているような気がする。つまりゴキブリは最近の美しく清潔で快適な住環境に致命的なダメージを与える可能性があるので、ことさら嫌われるのだと思う。結局のところ、私たちが快適で清潔な住環境を実現しようとする中で、ゴキブリはその私たちの理想に立ち塞がる不倶戴天の敵とみなされるようになったのではないだろうか。それが現代人がゴキブリを特に恐れる本質ではないかと私は思うのだ。