見出し画像

生き物の権利

動物は人間の役に立つために生きているのか?

私たち生き物はすべて、この地球上で人間と同じように種として生き残る権利を持っていると思う。といってもそのように認識している人は少ない。これは人間中心のキリスト教の影響かとも思うが、基本は人間の生存と繁栄が最大の課題で、動物は人間のために生きているという考え方だ。イギリスの動物学者デズモンド・モリスは、動物が生きる権利について昔から積極的な発言を繰り返している。ただこの問題を論じるには、私たち人間と野生動物が、どのように棲み分けるのかということをまず考えなければならないと思う。地球上に人間の数がもっと少なかった時代には、人間と野生動物が生きる世界はほとんど隔離されていた。
というのも、地球上の人間の数を考えてみると,第1フェースというか、ホモ・サピエンスが登場した20万年~7万年頃の人類の人口は約5000人と推定されている。この状態で人間が野生動物に遭遇する確率はとても小さい。第2フェーズとしては、人類がアフリカを出て移動を始めた7万年~1万5千年頃の人口は約50万人で、つまり地球の上に人類は50万人しかいない。このレベルでも人間と野生動物の出遭いはそれほど多くない。ところが、現在の人間の世界の人口は76億人、しかも間もなく80億人になると予測されている。つまり人間が生まれたころから現在まで、人間の人口はわずかの間に160万倍に膨れ上がっている。

野生動物と人間の生存領域をどう分けるか

人間と野生動物が接触するタイミングとは、人間が動物を食物にしようとしたり、家畜として使役しようとした時だ。動物の側からいえば、同じように人間を餌にしようと時だ。しかし、人間の数は、ホモ・サピエンスが生まれたころに比べて160万倍になっている。その一方で、人間が自分たちの食料として飼育している牛や豚、鶏などを除けば、増加した動物はほとんどいない。これだけ人間の数が増えれば、野生動物の領域だったところがどんどん人間の世界に吸収されて行って、今さらここは人間の領域だから、入ってきたら害獣として退治するというのはやはり人間性に背く行為だと思う。さしあたり人間に危険が及ぶ状態を放置できないので、人間の町や里を走る回る危険な動物を駆逐しなければならないことには同意するが、それはこれから人間が、人間と野生動物の棲み分けを着実に実行することを、動物たちに約束するのが前提だと思う。

野生動物に代わって動物の権利を擁護する「護民官」が必要

こんなことを考えていると、古代ローマの護民官のことを思い出す。護民官とは、支配層と(農民層でもある)戦士層の社会的な権利に大きな格差があって、それが容認できないほどひどい状態だったのだ。そこで立場の弱い戦士層を擁護するために設けられたのが護民官の制度だ。護民官としてはクラッスス兄弟が歴史的にもよく知られている。護民官は文字通り民に代わって民を守る有力な官職なのだが、私が考えたのは、民に代わって動物の権利を主張し、権利を守る役職を置くことが必要だと思ったのだ。
動物はどんなに不幸な目に遭っても、それを訴えることはできない。また、人間に対して動物たちが人間の不当性を主張しようとしてもその方法がない。そこで、動物に代わって動物側の権利を主張し、被害を訴えるのが、動物の「護民官」の役割だと思うのだ。突拍子もない主張のように思われるか知れないが、地球は人間だけのものではない。人間がいつの時代も聡明であればそんな問題は起きないかもしれないが、残念ながら人間が聡明だった時代はあまりなかったのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?