分かったようで分からない「大阪人」
大阪のおばさんは「豹(ひょう)柄の服が好き!」
大阪のおばちゃんは「ヒョウやトラ柄の服が好き!」とか、「明日の朝のパン」がいつも買い物リストの筆頭にある」とかいったことは、今では全国的に常識になりつつある。これは必ずしもおばちゃんに限らないが、大阪人は何でも断定的に言う習慣があって、最後に「知らんけど!」と、必ず責任回避の文言を忘れない」といったことも、大阪人の新しい特性の一つに加わっているようだ。私は長く大阪に住んでいたので、そのことは承知しているが、テレビなどでは、そうした習慣が生まれた背景までは教えてくれない。
ただ、最近よく考えるのだが、全国的に大阪人というイメージはあるようだが、改まって大阪人のイメージを聞くとどうもはっきりしていない。そこで、「ヒョウやトラ柄の服が好き!」といっと分かりやすいイメージが出てくるのだろうが、私は、「分かったようで分からない」のが大阪人だと思っている。
大阪弁を聞くと「吉本新喜劇」の人かと思ってしまう?
仕事のせいか、あるいは私の話好きのせいか、昔から全国各地を回っていろんな人と話をする機会が多かった。その経験から思うのだが、他府県の人たちにとって大阪人は、かなり「エイリアン度」が高いように感じている。つまり「エイリアン度」とは、同じ生活人として受け入れの許容を越えた違和感を漂(ただよ)わせているということだ。おばちゃんのヒョウ柄好きも、ある意味、エイリアン度を示している部分なのかも知れない。
日本全国どこに行っても、何度か訪れていると次第に親しくはなれる。しかし人間の会話にとってイントネーションやリズム感がわりあい重要で、親しくなっていても、唐突に大阪人である私が大阪弁で話しかけると、話しかけられた人は、一瞬身構えるようなところがある。私はあまり気にしないが、その地に居住する大阪人と話していると、彼らは大阪人の話し言葉を聞くと、誰でも「吉本新喜劇」の人か、迫力のあるその筋の人のように思えて、ついつい身構えてしまうのだそうだ。確かにそれも大阪人の一つのイメージかも知れないが、意外に大阪人の実像について語られることは少ない。
例えて言うと、大阪を外から見ている人は、大阪人は豊臣秀吉が好きだろうと勝手に考えている。大阪人はほとんど「豊臣秀吉」を英雄視していて、大阪と言えば「秀吉」という図式で見たがる。つまり「秀吉」を誉めると大阪人は喜ぶと思っているようだ。しかし私の見るところ、伊達政宗や武田信玄、上杉謙信などに対する地元民の愛着の程度と比較すれば、秀吉に特別の思い入れを持っている大阪人は、少なくとも圧倒的な多数派ではないと思う。江戸時代の大阪には、高槻藩、麻田藩、狭山藩、丹南藩、岸和田藩など多数の藩が存在していて、「大阪=豊臣秀吉」となるほど単純な話ではないと思うのだ
大阪圏には「皇都」がゴロゴロしている
その辺りのことを理解いただくためには、少し大阪という地域の地政学的な側面を知っていただいた方が分かり易いのかも知れない。大阪という街と深いかかわりを持つ周辺府県としては、京都、奈良、神戸(兵庫)、滋賀がある。普通は大きな都市の周辺に衛星都市的に小さな都市が成長するものだが、大阪を含めてこの5つの都市はいずれも皇都である。つまり、歴史的、文化的には大きな権威を持った都市として、今も大阪と深いかかわりを持ち続けている。さらにこうした5つの府県の中には、複数の皇都が存在したところもあった。こうして考えてみると、大阪圏には歴史的、文化的に決して疎(おろそ)かにできない超一級の都市がひしめいている。大阪の歴史的、文化的存在感は間違いなく、大阪圏内での1200年以上の都市間の密接な交流と互いに発展に向けての切磋琢磨(せっさたくま)の結果だと思う。
外から見た「大阪弁」は一つだが、大阪弁にはこの大阪圏全体の言葉が複雑に入り混じり、正確に言えば「大阪弁群」を形作っている。大阪弁には、落語家の桂米朝、女優の浪花千栄子などが話していた上品な「船場言葉」や、作家・今東光の小説によく登場する多少荒っぽいが素朴な味わいが生きてる「河内言葉」などが知られている。つまり大阪弁という単一の言葉はなく、「大阪弁群」だ。それと同じように大阪人のメンタリティは、多様な歴史的、文化的確執と交流が育んできた肥沃な味わいがあるが、一口では言い難く、どこまで行っても「分かったようで分からない」ものなのだ。