もっと遠くを見る
予科練にいた若者は、いつも遠くを見るという
私はよく寝床に入ってから本を読む癖があった。家族はそれを、私の目が悪くなった、つまり近視の原因だと言う。それは確かに当たっているように思う。たまにわが家にやってくる歳の離れた私の従兄は、海軍の予科練にいた経験があって、船に乗っていた時代の習慣のように目の前に開けた風景があると、何も言わずにすぐに遠くを見つめるのだった。遠くを見るにいたった理由を聞くと、眼がよくないと飛んでくる敵の戦闘機の発見が遅れたり、近づいてくる艦船を見逃したりするという。少年兵の頃は、それが自分に与えられた仕事だったと、懐かしそうな眼をした。
その習慣があったので、今も視力は2:00をキープしていると、胸を張っていた。しかし40歳を過ぎて2:00の視力を保っているというのは少しはったりが過ぎるが、それでもずっと年下の私の視力よりいい。その意味で、遠くを見る習慣を持っていると、眼が悪くなりにくいというのは事実だと思う。この従兄は、もう一つ奇妙な習慣を持っていて、一日に二度洗濯するのだ。一度に二回洗濯機を回すのではなく、一日二回、午前中と仕事から帰宅後の7時頃に洗濯をするのだそうだ。就眠中の汚れは朝の洗濯で落とし、朝から夕方までの汚れを帰宅後に落とすというのが理屈のようだ。従兄になぜ二度も洗濯するのかと聞くと、船に乗ってると真水が貴重品なので、洗濯は贅沢な行為らしい。だから着衣の洗濯の機会も少なく、戦争が終わって潤沢に水が使えるようになると、きれい好きの従兄としては、贅沢だとは分かっていながら、今も一日二度の洗濯が欠かせないということだった。
私の仕事部屋から京都タワーが見える
洗濯の話は特に興味がないが、遠くを見るということについては、必ずしもこの従兄の影響ではないのだが、私も遠くを見るのが好きだ。寝床に入ってから本を読む癖がなかなか抜けないので、私の近視はかなり進んでいる。ところが、野外に出て30分ほど遠方を凝視していると、眼が軽くなりそのあとは少し近視が軽減しているように感じるのだ。そこで遠くを見ることが好きになったのだが、それはそれで意外な楽しみを与えてくれる。例えば、遠くに何が見えるかと探しているうちに、視野が広くなるのではなく遠くなる。
私が仕事をしている部屋から京都タワーが見えるのだ。遠くを見る習慣になってから、なるだけ遠くにある目標物を探していたが、京都タワーが格好の目標になった。京都タワーはロウソクをモチーフにしているとのうわさは承知していたが、京都タワーを毎日見るうちに、本当にそうなのかと疑問に感じ、このタワーを設計した建築家の設計意図を知りたくなって調べてみた。東京タワーを設計した人は山田守という日本を代表する建築家だそうで、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的なデザインの作品を数多く残した人物だという。色々調べてみると、京都タワーはロウソクをモチーフにしたものではなくて、意外なことにモチーフは「灯台」だったのだ。
京都タワーはロウソクでなく「灯台」がモチーフ
海のない京都市街になぜ灯台かと思う人もいるかと思うが、京都市街の町家の瓦屋根を海のない京都市街の波に見立て、それらを照らす存在になぞらえたということらしい。公式ツイッターに書かれたプロフィールには、「京都タワーは海のない京都市街を照らす灯台をイメージして1964年に誕生」と明記されている。
近くにしか意識が届かず、目先のことばかりを気にしている人のことを「近視眼的」と言うが、要は遠くを見なければものの本質が見えてこないことがあるということだと思う。いつも遠くを見ていれば、近視になるのを防いでくれるのはよく分かったが、同時にこの先の時代を見る眼を養ってくれると思うのだ。
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