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「悲情城市」の世界

ヴェネチア映画祭で中国語圏映画最初の金獅子賞を受賞

私の世代では、台湾を代表する映画監督と言えば、まず孝侯賢 (ホウ・シャオシェン)が想起される。1989年のヴェネチア映画祭で、中国語圏映画で最初に金獅子賞を受賞した名監督だ。この賞を受賞した作品は、戦後の台湾史上の大事件であった「2・28事件」を背景に、台湾北部の港町・基隆(キールン)に生きる一家に襲いかかった悲劇を描いた「悲情城市(ひじょうじょうし)」という映画だ。この映画では香港の俳優トニー・レオンが聴覚に障害のある主人公の役を好演したことが話題になった。

私は、昔から孝侯賢監督の映画が好きだった。その理由をいろいろ考えるのだが、映画監督として才能があふれていることは言うまでもない。また私が孝侯賢が好きな理由の一つに、彼が映画監督の「小津安二郎」に心酔していて、彼の作品にはどこか日本映画の香りが漂っていることがあるかも知れない。しかしそれだけではないということも分かっていた。そこで思ったことは、孝侯賢 の映画には、台湾だけではなく、日本を含めた東アジア全体を映画の背景として描かれているからではないかということだ。偶然のことだが、私は改革開放を旗印として経済成長に夢中だった頃の中国で、ある映画大学と提携してエンターテイメント事業の創成を目的とするプロジェクトを模索していた。その過程で、中国の映画業界との交流が生まれ、孝侯賢 が中国の北京映画大学に留学していたことを知った。孝侯賢 もまた、改革開放後の中国の映画の在り方を考えていたのだろうか。

台湾を描きながらその背景には日本や東アジアの「近現代史」

孝侯賢 は、一貫して台湾の映画監督としの立場を貫いたが、多様な作品群に共通するのは「台湾」だけではなく、「日本」や「東アジア」の近現代史を背景にしていることだと思う。「悲情城市」は、日本軍が去った後の台湾に「毛沢東」に率いられた人民解放軍に追われて「蒋介石」の国民党軍が台湾に逃げ込み支配化を進める中で、戦前・戦中の日本の支配下にあった台湾の住民を迫害した事件がテーマになっている。この映画も、東アジア全体の複雑な政治情勢、中華人民共和国と中華民国の対立が絶対的な背景として描かれている。この映画の舞台となっている台湾北部の港町・基隆だが、この街は私の近親者の家族がかつて戦中・戦後と親子三代にわたって居住した街であり、ここにも、幾重にも重なる台湾と日本の関りがテーマの一部となっている。
また孝侯賢の映画の中で、私が好きな作品の一つである「童年往時」は、孝侯賢の自伝的な映画で、幼いころの幼馴染たちとの流れゆく時代を年代記的に描いたものだ。この映画の中にも日本をはじめ、台湾と東アジアの地域や国々との濃密なかかわりが描かれている。

孝侯賢と私は似通った年齢なので、その時々の国際情勢を共有しているのは言うまでもなく、台湾の戦後史の中に登場する子供たちの世界の中にも、日本家屋や子供たちの遊びの中に隠された日本の存在がしばしば顔を出し、台湾を描きながら日本や東アジアの複雑な情勢が背景となっている。孝侯賢自身は、親が「蒋介石」の国民軍とともに台湾に逃れてきた一家の末裔なので、中国本土にも親戚縁者が多く、台湾に対する思い入れは深いが、生来の台湾人とも多少距離感があるという複雑な立場なのだろうと思う。だから「童年往時」に描かれる世界は、どこかで日本人にとって、東アジアの人々とって、共同体的な親しさを感じさせるのではないだろうか。


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