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羽化(perfect smile)
心穏やかな日々が続けばいいと、ずっと思っている。
バックする車と並行を保って歩くような日々で、いつか何かと衝突すると思うと気が気でない。消費する快楽で脳を紛らわせながら、時々起きて不安の中作業をして、再び快楽とSSRIに包まれて眠りについていく。能天気に明日の朝食のことを毎日考えられたらいいな、と思う。たまにそういう穏やかな日もあるのだ。YoutubeとTwichは微弱なCBDだ。そういう消費で世界の終わりに対する恐怖をごまかしていく。ああ、そういえばおれはアルバムを作ったんだっけ、と不意に思う。およそアルバムを作り切ってもわりあい楽に死ねそうにないことに絶望する。そういう絶望を重ねていつか弾けてしまうんじゃないかとも思ったりする。
天使にはなれない、と思う。天使になるには身体を捨てる必要がある。けれどもどんなアバターを置いたとしても、おれたちの意識をサーバーやストレージに送る技術が生まれない限り、おれたちは永遠に身体という苦楽から逃れることはできない。天使になる意志を持ちつつも、天使になることは現実的には厳しそうだ。そう気づいてから天使になることは諦めた。けれども超越、真実、深層、永遠、そういうものには卑近したいとも思う。だから身体を捨て去らず、ここにいながら、ここで羽化、あるいは堕天する必要があると思う。羽を生やすことと羽をもぎられて落ちていくことは同じ行いであり、ぐるぐると階層をくだりながら落ちていく先に内なる超越があると思う。おれたちは生まれながらにして天使になることはできなくとも、天使と繋がっているし神とも繋がっている。だからぐるぐると羽をもぎられる/羽化する必要がある。ぐるぐると、ぐるぐると、ぐるぐると…。
おれの最期に残るもののことを考える。最後にはlove,kindness,humanityがあればまだわりあい楽にな気持ちで死ぬことは可能かもしれない。そしてそうした倫理は、深く底に居座る、あるいは深い井戸を抜けた先の、外側に通じてるという、希望のような直観がある。