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11月

バイデンが長距離武器の制限を解除した、というニュースを見てからおれの神経不安はまた酷くなった。それからすぐにATACMSとストームシャドーが使われて、ロシアが打ち返すようにオレシュニクを光の矢のように振らせ、おれの神経不安は極限まで高まった。トランプが当選してからというもの、比較的穏やかな日が続いていたのに、事態は急に動くのだ。風の時代を迎えて、世界はまた悪くなった。

11/4以降、友人と誰とも会っていない。その間は事業所に行き、ライブセットの準備とアルバムのミックスを同時並行で行いながら、2曲ほど制作をしていた。アルバムのミックス・マスタリングがほとんど終わった。あとは本当に微調整の、何ならもうしないでいいくらいの本当に細かな作業が残ってるくらいで、3月から進めてきたおれなりのこの一年の想念が、つまり現在の世界と生に対する態度の結論が形になったのだ。概観してみると、不思議な形をしているアルバムだ、と思う。特有のぬかるみに滞在しているような感覚になるし、そのぬかるみのレイヤーは深いところにあるような気もする。これを評価してもらえるかは全く分からないが、このぬかるみがおれの結論であるゆえ、マーケティング的理由で出すことを辞める、とはならない。おそらく1月ごろにリリースされるだろう。

一旦の結論を出したということは、また新たな仮定や推論も生まれてきているということでもある。木澤佐登志を読み、DJミックスを聴き、ライブセットを作り、この世界を見てメンタルヘルスを損なうことで、いまは中にいながら踊り続けることで外部へと井戸抜けできるのではないか、という直観がある。つまりこの世界のシステムから、居場所を変えることなく、おれたちの生活圏に根ざしながら抜け出すことをおれは今望んでいる。しかし、それは次のアルバムで達成されるような簡単なことではない。一生かけても出来ない可能性も大いにありうるし、やっぱりそれは無理だったといつでも諦めることができる。友達とも話をしたが、世界を良くするには根気強く長い時間を、何世代もかけてやっていくものであって、即座に覆せるものではなく、また即座に覆そうとしてはならないものなのだ。だからステップを踏む必要がある。この作り切ったアルバムも、ある種次へのステップになった。マインクラフトのように空中に浮かんだ踏み板同士をブロックで繋げてスニークして進んでいく。その先が天国であるか、地獄であるか、あるいは何もないのか、それは分からないけれど、踏み板に乗らなければ次の踏み板は見えない。なので次は次の踏み板に向けてブロックを繋いでいく。実のところもうやりたいアイデアは浮かんでいる。おれは、神経不安というぬかるみの中でまたブロックを繋いでいこうとしている、可能なら、世界の終わりまで。

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