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10月/浅瀬
イランとイスラエルがミサイルを撃ち合い、北朝鮮の部隊がクルスクに向かい、自公は過半数が割れた。そういう10月が終わろうとしていて、おとぎ話のような11月と大統領選を迎えようとしている。どちらが勝っても、それなりの希望と大きな絶望はあるだろう。
10/5にライブをした。2年前にSPREADでphaiのライブをした以来。その一月あとに20220223を作ったんだっけ。ライブはうまくいったと思う。反応も上々だったし、音にも手応えがあった。なんというかライブやDJをしている時のトランス状態というものは、音楽の内部にいるようだし、この世界の外部にいるような感覚になる。脈は速くなり、手も足も震えるけれど、深いトリップの中で外側の砂漠を見つけたような、そんな感覚になる。その時おれという一人の人間が生きていることが、事実として感じられる。おれという存在のアイデアが深いトリップの上空から降ってくるようだ。それが悪いアクトの時は深いバッドトリップで、良いライブをした時はグッドトリップだ。そうやって一人になるためにライブをまたしたいし、すでに予定もある。だからライブのためにまた準備をする。深いトリップにはとにかく準備と練習が必要なのだ。
クラブのエントランスに座りながら、中から漏れる音と外の車の音の混ざり合う狭い空間にいながら、おれはそうしたトリップと世界の境界にいるのを感じる。ニルヤの島というイベントで、ライブ中のvqからエントランスにいるおれに糸が渡されたことがあった。中ではみんなが糸を持っていたらしい。その糸が外に続いて、おれのもとに渡った。糸、紐帯がクラブの中には張り巡らされていて、そういう実感はもともとあったけれど、それが外に続いてることが重要なんだ、と思った。おれたちは中にいながら外に行く必要がある。その中に深く深く溶け込みながら、外の砂漠に井戸抜けする必要がある。vqのライブ中、ずっとおれはエントランスで糸を持ち続けていた。おれにはおそらく、そういう責任があった。
ふとNieR:Automataのことを思い出す。あれもどん詰まりの物語を、外部によって救済する物語だった。このたやすく世界の終わりを想像できる世界で、おれたちがその外宇宙の砂漠に接続するために、準備と根気が必要だ。そのためのアイデアをいまは考え続けている。