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humanity
ヘルマン・ヘッセのデミアンの冒頭で「これを書き終えればわりあい楽な気持ちで死んでいける」という一節を二十歳の秋に読んでから、ずっと「わりあい楽に死ぬ」ことについて考えていた。それはおれがおれの死ぬタイミングを決めること、自殺に「わりあい楽さ」を見出していた時期もあった。それも長く。ただ、ウクライナとガザでの戦争はそういう考えを変え、おれはとかく破局や惨めな死が怖くなった。この2つの地域で起こってることは対岸の火事ではなくて、地続きで日本にも起こりうることで、おれたちもいずれ戦争やクソくだらないことに巻き込まれて死ぬかもしれない。それは今でもそう思う。だから、たとえそうなっても「わりあい楽に死ぬ」ためにどうしたらいいか、それを去年は考えていた。
離れていた音楽を再開したのには理由がある。ヘッセが作品を書き終えることで「わりあい楽に死ぬことができる」と言ったように、おれも何か作品を作り、遺すことで何か役目みたいなものを果たして、楽に死ぬことができるんじゃないか、と思った。それからSoundCloudで楽曲を投稿しまくる。明日には世界が終わってしまうかもしれない。その前に楽曲を、作品を、おれの生を…。追われるように楽曲を投稿し続けた。楽曲を投稿した直後は、ああおれは人類史におれの証を投げ込んだんだ、と深い満足を得ることができた。もう翌日おれが死んだとて、おれから産まれたものは消えることはない。そうした満足で、破滅への恐怖を和らげていた。けれど、投稿して2,3日も経つと、また不安に駆られる。いまのおれは2,3日前のおれとは違っていて、本当にいまのおれを遺したとは言い難い。だから早く遺さなければ…早く…早く………………。その中でおれとしてもよく出来たと思う楽曲をまとめたEPが「17℃」だった。良く出来た楽曲の集まりだと今でも思う。
「17℃」をリリースし終えて思ったのは、おそらく強迫観念的に今を楽曲に投稿し続けても「わりあい楽に死ぬ」ことは叶わないということ。結局、頓服薬的な効果しかなかったのだ。だから、おれは死やこの世界に対する態度を一度決定する必要があると思った。一時的な紛らわせではなく、一つの作品、つまりアルバムを作ることで、その制作の過程を通して、おれの不安への何かしらの回答に辿り着きたいと思った。それはちょっとした旅だ。実際、なかなか良い旅路だった。アルバムを作り始めると、良い曲だけどアルバムにはハマらない曲も出てくる。そうして溢れてまとまったのが「lifedrop!」だ。
結局この旅路はどうなったか。まずアルバムを作っていたが、アルバムにするのを辞めた。おれはおれの限界を出したけれど、いまのおれでは到達し得ないものを目指していて、それにならなかったという理由で、断片としての作品、つまりEPにすることにした。vqやmareno!、フランクオーシャンやBon Iverの深さまではいけなかった。その深さに到達するには、また別の手順を今後踏んでいく必要がある。そのことが知れたのは良かった。
ただ、「わりあい楽に死ぬ」ための回答も用意できた。「愛しながら死ぬ」がその答えに最も近い。つまり、おれは友達と岩盤浴をしながら、うだる暑さの中、おれを気にかけてくれる友達を愛していると本気で思えたし、そういう友達や家族、恋をしたあの人たちのことを愛しながら死ねたら、どんなに惨めな死を迎えようと、わりあいマシな気持ちで死んでいける、と思ったのだ。それを拡張して、最期のときでも、愛に満ち優しくいれたなら、それはマシな死だ。それを保つというのは、つまりは人間性を保つことだ。この何とも優しくもない世界で、それでも最期まで人間性を保っていられたら、それはホントにマシな気持ちで死んでいけると思う。そしてその過程で人間性を保てたなら、少なくともおれとおれの周りはちょっとだけでもマシになるはずなんだ。それに気づいたのだ。人間性。humanity。
プーチンに、クレムリンに、イーロンマスクに、トランプに、ネタニヤフに、ハマスに、資本主義に、権力闘争に、アメリカに、成果主義に、Xに、インターネットに、中学の時のおれに、humanityがあったなら。おれはhumanityを持って次の旅に向かいたい。優しさはこの人間性なき世界でオルタナティブだ。