似ているふたりは、ひとりとひとり。
昨日はじめて、5歳と0歳のつむじの回りが逆だってことに気がついた。
これがわたしには、すごく嬉しかった。
このふたり、きょうだいだけど、ちゃんと違う人間なんだ、って。
3ヶ月ほど前にわたしの中から出てきた0歳は、産まれた瞬間に夫と顔を見合わせるほど見たことのある顔をしていました。
5歳の5年前にそっくり。
産直後、立ち会いした夫と産まれたばかりの新生児と分娩室で親子3人だけの時間があって。
かわいいねえとか、ちいさいねえとか、そんなこと言いつつも、似てるねえ、5歳みたいだねえ、って言葉が出てきてしまう。
そのぐらい、似ている。
子どもを産んだことのある方はわかるかもしれませんが、出産ってほんっとうに自覚がない。
非日常のこと過ぎて頭が働かないというか。
うわー、ほんとにおなかに人が入ってた!
と思ったり。
えっこの子わたしが産んだの?
と思ったり。
ただでさえそんななのに、産まれたのが見たことのある顔で、この混乱した頭をさらにひっかき回してくる。
今回は無痛分娩だったこともあって、出産の瞬間自体は一瞬だった。
だからこそ余計に、よくわかんないうちに子どもが出現して、いったん連れてかれて、また戻ってきて。
はあ、この子がさっきまでわたしの中に。へえ。
二度目の対面の時も、まだ混乱の最中。
だからさ。よくわかんなくて。
名前もしばらく決められなかった。
わたしの優柔不断もあるけど、だって、あまりにも5歳にそっくりだったから。
目の前のこの子はいったい、なに?
わりと混乱したままでも、入院生活は続くし授乳の時間はやってくる。
やってくるから、授乳する。
相手は人間だから、声をかけながら。
こんにちは、おかーさんだよ。おむつはどう?おなかはすいてる?
そんなことをしてるうちに、わたしの中にひとつの思いが芽生えた。
家族や親族に写真を送るたび、面会に来てもらうたび、やっぱり言われる言葉。
「5歳さんにそっくりだねえ」
うん、そっくりだよ。
遺伝子の元は同じだからね。
親のわたしたちだって、そっくりだなって思ってるしね。
だけど。
だけどさ。
その子は、似てるけど、5歳さんではないのよ。
人に言われて、ようやく思った。
5歳は5歳だし。0歳は0歳。
この文脈で5歳の名前を出されるのは、5歳にも0歳にも失礼じゃないか。
ふたりはきょうだいだけど、今この瞬間もうすでに別の人生を歩んでる。
いくら似てても、別なんだよ。
実際、5歳が0歳だった頃には経験しなかったこともこれまでですでにたくさんあったし。
逆に5歳の時には起こったイベントが、今回は発生してないってこともある。
0歳の育児は、5歳のやり直しじゃない。
経験値は多少のアドバンテージをもたらすけど、この子は5歳とは違う。
だから、同じやり方が通用するとは限らない。
そこからわたしはことさら気をつけた。
0歳の顔を見て。
今は、“あなた”を見てるよ。
誰かを引き合いに出さない、“あなた”を。
これから一緒に生きていく、“あなた”を。
そんな気持ちでずっと過ごしていた。
だから、すごく嬉しかった。
ふたつのつむじが、時計回りと反時計回り。
当たり前だけど、やっぱりこの子たちは一人ひとり別の人間だ。
どれだけ似てても、ひとりとひとりだ。
これから先も、似ることもあれば違うこともたくさん出てくるんだろう。
5歳も0歳も、わたしに新しい風をどんどん吹き込んでくるに違いない。
ふたりと。
ひとりとひとりと。
それから、夫と。
これから一緒に生きてく道で、それぞれの色の風が吹くのが、すごく楽しみ。
おしまい
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