ヴェネツィアの石 著:ジョン・ラスキン
ラスキンに近づくな、あなたは人生を棒に振ることになる。
これは私が大学の恩師から言われていた言葉である。ウィリアム・モリスはラスキンのヴェネツィアの石に感銘を受けて創作活動に没頭して行った。恩師はウィリアム・モリスを目指しなさい。と言っていた。だからモリスになったつもりでラスキンのヴェネツィアの石を買ってから、ラスキンに近づいたら人生棒に振るんだよな、と読まないで家に眠っていた本である。読もうと思っても最初数ページで読めない事がわかってしまう難読の本だった。
人生を棒に振ってしまっても構わない、と言うより既に棒に振っていると思われる40代になって、読書もここ4年で幾つも経験し、難しい本も読めるようになった。そこでヴェネツィアの石に挑戦しようと思って読んだのだ。ゴシックの精神とやらを紐解きたかった。
今、読み終えて人生の価値観が変わっただとか、審美眼が鍛えられたとか、ゴシックについて語れるようになっただとか、そう言う事は一切無い。ヴェネツィアの歴史をその政治や火災に置いてどのようにサン・マルコ大聖堂が出来たのか。その中にあるゴシック建築の精髄であるドゥカーレ宮殿が出来たのかを綿密に時代を追って読む事になった。
ラスキンは奴隷的建築とそうでない建築としてゴシック建築を挙げ、ゴシック建築は工人のその力量が劣っていたとしても、自発的に考え完成させられた自然性を保つ建築としてその建築を「ゴシック建築は本来的屋根(内部屋根)に尖頭アーチを、屋根覆いには破風をそれぞれ用いた建築である」として、必ず葉飾りが用いられる事にも言及していた。
工人達はそのゴシック建築を自然に始めて行きその頂点に達したドゥカーレ宮殿のような建築を成した後、自然に消滅して行ったのだ。その過渡期の建築を全てゴシック建築と呼ぶ。
図版を用いて説明され、装飾について彫刻についてのラスキンの批評がふんだんにされてあるが、ラスキンの見ている物を直接見て論評を読む事はできない。そうなのか、ラスキンはこう考えてるのかとしか読みようが無いのである。一読しただけではわからない。しかし、一読はしてみたと言うのが今回の読書だった。
4,000円以上する学術書に当たり、読んでみたわけだが、勉強になったとかそう言うことは別に無い。建築を学んでいる人にはこの学術書は有用なのだろうが私には必要の無い本だったし、ウィリアム・モリスのように感銘を受ける事も無かった。洋服を勉強している時にデザインの勉強もしてこの建築の話しまで勉強の枠が広がって行ったが、装飾に関して衣服に応用できると思える箇所は無かったし、有ったとしても私には理解できない所だったようだ。
まぁ、生きてる間にその内実に迫ってみたかったと思っていた本だったが、読んでみてもさっぱりな内容だった。それでも一読はしたんだ。もう勉強は辞めようと思う。