ダンサーインザダークはただの胸糞映画ではない。【ネタバレ感想】
ダンサーインザダークは所謂"胸糞映画"として扱われ、自分も"胸糞だからオススメ"という風にオススメされた記憶がありますが、この作品は胸糞という一言で終わらせてはいけないと思います。そんな言葉だけで作品を評価するのにはもったいないと考えています。
作品詳細
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(原題:Dancer in the Dark)は、ラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演の、2000年製作のミュージカル映画。
セルマ・イェスコヴァ(ビョーク)
キャシー(カトリーヌ・ドヌーヴ)
ビル (デヴィッド・モース)
ジェフ (ピーター・ストーメア)
ノーマン (ジャン=マルク・バール)
あらすじ
チェコからアメリカにやってきたセルマは女手ひとつで息子を育てながら工場で働いている。セルマを母のように見守る年上の親友キャシー、何かにつけて息子の面倒を観てくれる隣人ビル夫妻、セルマに静かに思いを寄せるジェフ。様々な愛に支えられながらもセルマには誰にも言えない悲しい秘密があった。病のため視力を失いつつあり、手術を受けない限り息子も同じ運命を辿るのだ。愛する息子に手術を受けさせたいと懸命に働くセルマ。しかしある日、大事な手術代が盗まれ、運命は思いもかけないフィナーレへ彼女を導いていく。
━━━━━━━━━━━━
ラース・フォン・トリアーと言えば、『ハウスジャックビルト』や『ニンフォマニアック』を手がけたかなり独創的な作品を作る監督ですね。
デンマーク映画を世に知らしめた存在、そしてドクマ95の映画撮影の手法を確立させた監督でもあます。
ドクマ95とは"純潔の誓い"と言って映画製作する上での掟のようなものです。例えば、カメラは手持ちである事や回想シーンの禁止 などと10個ほどのルールがあります。気になる人はWikipediaで見てみてください。
特にダンサーインザダークはドクマ95に忠実に沿った映画となっています。
カメラワークが素晴らしい。
見て頂いた方にはわかると思いますが、この作品ミュージカルなんですよね。ミュージカルといえばウエストサイドストーリーやラ・ラ・ランドのような明るいものを想像しがちですが、暗いものもあります。
主にミュージカルのシーンと現実のシーンが入り交じった映画となっていて、辛い現実に直面しているセルマが現実逃避の為に自分の世界を頭でつくりあげます。その世界には自分が自由に歌い、希望で満ち溢れています。その部分がミュージカルとして描かれています。
何よりも味噌なのが、セルマの目の前で起きている現実のシーンは手ブレが効いたカメラワークになっていて、現実に'歪み"を視覚的に感じさせられます。
そしてミュージカル(想像)のシーンでは普通の映画のように、手ブレがないカメラワークになっています。
つまり彼女の空想の世界というのは"純粋で歪みがない"という事を示唆しています。セルマの純粋な無垢さを深く深く感じ取れますよね。
この現実と理想の落差を上手く表現しています。
正直手ブレが酷すぎて最初は見にくかったのですが、それが逆にリアルドキュメンタリーを見ているような感覚に陥る。
現実は歪みのある残酷な世界、理想は歪みのない活気溢れる音が鳴り響く素晴らしい世界。そこの対比がなんとも美しく、かつ残酷で現実の悲惨さを引き立てている。
ラース監督らしい作風ですよね。
音楽
劇中に出てくる劇中歌は全てビョークが作詞作曲したものとなっています。
ラストの歌意外はすべて彼女の空想の中の曲である事もポイントです。
工場に鳴り響く音を音楽に派生させるシーンはミュージカルによくある手法であり、しっかりミュージカルの良さも見出しています。下記のプレイリストを聴いて頂ければわかると思いますが、非常に素晴らしい曲ばかりです。明るく美しい壮大なメルヘンな世界観がこの映画の持ち味、現実とのギャップを一層引き立てています。
社会構造、人間の理不尽さを具現化。
現代の腐った社会構造を映画として見事に具現化しています。セルマは共産主義のチェコからの移民という事も足枷になります。
そんな残酷な社会構造も然り、ビルとの描写では人間の様々な思惑を描いており、劇中に出てくる展開の理不尽さに重い気持ちになります。
誤解があって自分が不利な状況に置かれたり、仲良かった人が疎遠になったり、誰でも色々な辛い経験をしていますよね。人間関係ってそれほど繊細だし、残酷なものです。セルマは様々な"誤解"で社会的弱者に追い詰められてしまいました。目が見えないという病気をもっている設定によって人間の理不尽さ/社会の容赦のなさを引き立てています。彼女の様に現実逃避をしなければならない状況もあるでしょう。
また死刑制度についても考えさせられます。
デンマークは死刑反対主義であり、デンマークがEU統合の条件として「死刑廃止」も出しているみたいです。
更にラース監督も死刑制度に反対しています。
デンマークの当時の死刑についての考えがこの映画で感じる事が出来ます。
二視点から見える違った解釈
Filmarksなどで皆さんの感想をみると「救いようのない」、「重い」。などの感想がありますが、それはあくまでも客観的に見た場合です。しかしセルマ自身の立場になってみてください。「病気持ちの愛する息子の為に全力を注いだ人生」を真っ当し、刑が行われる直前はあの表情でした。彼女にとって目標を達成できて幸せだったのです。彼女は自分がどれだけ弱者扱いされても、息子が幸せであれば十分だったので。
ただの傍観者として見ると、セルマの事を"不幸"と思ってしまうが、この映画にしっかりと感情移入し、見てみると息子の手術を実現させ、彼女は"幸せ"だったのかもしれない。だからこそこの映画は2回目3回目と見て欲しい。
ラストの字幕に込められた想い
ラストに彼女は歌を歌います。しかし歌の途中で刑が執行されてしまいました。
They say it’s the last song they don’t know us, you see It’s only the last song If we let it be.
(これは最後の歌じゃない 分かるでしょう? 私たちがそうさせない限り最後の歌にはならないの)
↑↑↑
この部分が字幕ででます。ここはセルマが歌うことが出来なかった部分です。
最期を迎えてしまったセルマですが、母の偉大な愛はこれから先も続いて行きます。そうさせない限り最後の歌にならないし、それで全てが終わる訳ではありません。
手術が成功したという結果を聴き、これからの息子への希望を抱き最期を迎えました。彼女の恍惚な表情を見て僕はポジティブに解釈しました。
また他の方のレビューにはこんな解釈もありました。
下記は似たレビューを記録していた方々を拝見し、要約しました。
━━━━━━━━━━━━━━
この字幕は歌うことが出来なかった部分であり、非常に大事なリリックだと思います。
「最後の歌にはならない」というフレーズを歌うことが出来なかったと同時に、「そうさせない限り」が歌の途中の刑の執行によって「そうされてしまった」と言う風にも解釈でき、まだ人生に幕を閉じたくないセルマの気持ちの表れだったのかも知れません。
━━━━━━━━━━━━━━
これはネガティブな解釈ですが、理にかなっていますよね。見る人によって様々な解釈がある。これだから映画って楽しいですよね👌
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ありがとうございました。
ラース・フォン・トリアーの作品は過激な表現によって人間の真理をえぐる天才だとおもいます。ドグマ95によって醸し出される独創的なリアルさは見ものです。