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「人の役に立ちたい」

皆様お疲れ様です。
最近私は、漠然とではありますが「人の役に立ちたいな」と考えるようになりました。
そんな矢先、

「人の役に立つ」ということについて考えさせられる出来事

が、2つあったので、まずはそのお話をいたします。

出来事1


先日、母の日と称して自分も楽しんできた岐阜県の旅行。

そこで衝撃の人物(私が知らなかっただけで有名なお方ですが😅)が存在していたことを知った。

その名も 円空さん

私自身。全くと言っていいほど信心深いタイプではないので、
最近知った知識ではありますが、
円空さんについて、知らない。
という方のために、ご説明。

1632年に岐阜県で生誕
7歳の時に水災害でお母さんを亡くし
お母さんの魂を求めて旅に出た
北は北海道から南は三重県、奈良県まで
全国を行脚し、ただただ人々の
幸せを祈って、
木彫りの仏像を掘り奉納し続け、
修行の旅に生涯を捧げた。

推定12万体
各地の民衆の話を聴き、人々を
苦しみから救うため
悩み苦しむ人には菩薩像を
病に苦しむ人には薬師像を
災害に苦しむ人には不動明王像を
干ばつに苦しむ人には竜王像を
限りある命を救うために阿弥陀像
を掘り奉納。

それらの仏像が、飢えや疫病や
災害に苦しんでいた
当時の民衆に安らぎを与えた。

円空さんの彫った仏像は衣がとても
簡素化されている。
それは、
見た目を細かく造形し、
芸術品として見せるために
作成しているのではなく、
「より多くの人に安らぎを届けたい」という強い想いの表れ。
そして全ての仏像が微笑を浮かべている。

私は、「究極の世のため人のため」とはこのことか!
と感銘を受けた。

と同時に、今の時代に円空さんが居たら。。。

見返りを求めず与え続ける→giveの精神
民衆の悩みを聴く→傾聴
課題に合わせた仏像の提供→問題解決力
主要なことに時間を使う→タイムパフォーマンス
同じことを同じ熱量で続ける→継続力、熱量

間違いなく成功者になっているだろうと想像し、ファンになった。

出来事2


先日、私が働く会社(従業員4000人くらい)の社長と話す機会があった。
何でも質問を受け付けてくださるとのことだったので、
私が聞いた質問は、

「社長というお立場になってみて、更にこの先の"なりたい自分"ってありますか?」

回答は、「人の役に立ちたい」でした。

こんな大人数を率いる 社長になっても、行きつくところは
「人の役に立ちたい」!?
私と同じ??

そんなわけはないと、歩深掘り開始。


このお二人と私の違いは??


気づいたこと。
一人の人のためになることをしても、人のため。
社長のように4000人以上の人のために動ける人もいる。
円空さんのように日本全国の人を救える人もいる。

人として成長すると手助けできる人の範囲も広がるんだ!

今の私が力になれる人々の範囲はせまい。でも、
まずは目先の困っている人に自ら声をかける、
身の回りに居る人の役に立つ。
そして
その範囲を広げていけるように自分が成長していけば
社長や、円空さんに近づけるのではないかと。

もう一つ気づいたこと。
人の役に立つって実は自己満足なのかもしれない。と。

私が人の役に立ちたいと思ったのも
深掘りしてみれば、そのアクションに対して、相手が喜んでくれれば自分も嬉しい。そして「よくやった」と自分を褒めてあげられるからなのかも。

社長ほどの立場になると人から褒められることって
あまりないような気がする。
孤独を感じることもあるだろう。
そんな自分を「人の役に立つ」という実感で承認したいのかな。

なんて思ったり。(上から目線ですみません💦)

円空さんは幼い頃にお母さんを亡くしている。
「世のために身を削って尽くしていれば、いつかお母さんに
会えるのではないか」と期待をする自分の心を静めるために
旅をしていたのかもしれない。

でも、それが「人のため」の正しい形なのかもしれない。
円空さんに関しては、そうであって欲しいとも思う。

自己犠牲のみじゃ悲しすぎる。

自己満足でもいいんだ!
誰かのためになるのであれば(^^)

なんとなく腑に落ちたので、今日は床に就きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました☆彡




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